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 夜も随分更けてから、速水がアパートを出て外を歩き出したとき、来須は一人公園で死者達の声を聞いていた。

 手を伸ばし、自分の周りを回っては天に戻っていく青い燐光を見る。
この奇妙な現象が発生したのは、この公園にテント生活者が出てからだった。

 来須はテント生活をしている家族に、世界に穴を開けるほどのシャーマンかウイッチがいるかどうか調べたが、未だ不審なところは見られず ――ただ不運な少女が一人いるだけだ――いぶかしみながら公園で死者達との逢瀬を続けていた。

 今日来須の前に現れたのは、来須に真の名前を与えた力のある老婆だった。
 老婆は死んだときの姿、即ち矢に貫かれた姿のまま言った。
(坊や、いいかい、ようお聞き。お前は青と三度会う。三度目の青に、お前はいずれ殺される)

 それは大昔に聞いた言葉だった。来須はこの怪異が二度目の青だなと思いながら、口を開いた。バルカラルの言葉に切り替える。
「それよりも聞きたいことがある。夜明けの魔女よ。この怪異の示すところは何だ。なぜ魔力がないこの土地にお前達が出る」

 老婆は手を広げた。その胸にも、肩にも矢が刺さっていた。
(魔力はある。実体化した魔を見てごらん。アルス・マグナはまたしても使われ、精霊は大地に降り注ぐのだ。人は死に絶え、あたらしい世界が生まれる)

「俺がそれを阻止する。答えろ。誰が世界と時の門を開ける」
(運命は変えられないよ。アポロニア最後の精霊戦士。そなたもまた、精霊に使われる者ならば)

 老婆は光の渦になって天に帰った。
来須が振り向く。

 そこに、厚着をした速水が居た。

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 精霊の加護がないため寒いのか、厚着をしてミルク色の息を吐きながら速水が突っ立っていた。手には食パンを入れたビニール袋をさげている。

 見られて術が破れたか。
来須は苦々しく思った後、帽子をかぶりなおした。
「なぜそこにいる」

 速水はまるで悪いことをとがめられたように手を振った。
「え、いや、家がすぐ近くなんだ。ここを突っ切れば、すぐ。それに日が変わるとパンが安くなる変な店があって。あの……」

 速水は、おそるおそる聞いた。
「アニメか何か?」
来須は、帽子をかぶりなおすと、やれやれだと思った。

「見た通りだ。お前が見たものが、その全てだ」
「精霊ってアニメなの?」

 来須は速水がバルカラルの言葉を理解したのに気づかなかった。速水の素っ頓狂な反応に、あきれる方が先だったのである。背を見せる。

「俺はアニメを知らん」
「エヅタカヒロさん、とか。違うか、確か、君は来須君だものね」
「奴は死んだよ。もうどこにもいない」
 来須は養父について言い、考える。あるいはあの人なら、世界と時間の門を越える大魔術を使えたかもしれないなと思う。思いながら来須が歩くそばから 速水がついて来る。
「え、エヅタカヒロさんって死んじゃったの? あの、滝川がファンなんだ。知ってる? あのゴーグルつけた人。僕の友達なんだ」
 来須は、この少年は苦手だと思った。犬や子猫と同じで、適度な距離感というものがない。平気な顔で必殺の間合いに入ってこられることが 来須は苦手だった。
 苦々しく口を開く。
「死んだことは有名だろう。俺も知っているほどだ」
「そうなんだ。あ、なんでこんな時間にこんなところにいるの? アニメ?」

 来須は頭を振った。
「アニメをなんだと思ってる」
 来須は顔をしかめた。これでは自分が詳しいようだと思ったのである。

 一方速水の、とってつけたここ一月のいい加減な知識と幼いころの認識では、アニメというものは幼いころに見た不思議で面白いもの、 程度でしかない。そして来須は、不思議で面白そうなものだった。速水から見ると来須はアニメか、アニメ関係者なのである。
 次に舞が白馬に乗った快進撃系の人、あるいは天を舞う竜なら、この人はなんだろうと思った。

 来須は、速水の笑顔を見て、自分にとってこの少年は徹底的に苦手だと思った。まず喋ることを強制する雰囲気がいけない。なんだこいつは。 いや"これ"も、舞の部下か。いや、領民かもしれない。世界を征服するあの少女は、ただ日々を無茶に生きるだけで、簡単に信奉者を増やす。 三日に一人ペースで誰かを助けたとして、領民をすでに十人ばかりは作っているだろうと思う。

 耳の奥に反応。来須は口を開いた。
「歌が聞こえるな」
「え、どこ?」
「そういう時は耳を澄ますことだ。何かを聞きたいなら、まず黙れ」
「うん」
 本当に速水は黙った。やれやれだと思う来須。
自分も耳をすまし、顔をしかめる。

 速水を見れば、遠く聞こえる歌にあわせて口ずさんでいた。
「それは悲しみが深ければ深いほど、絶望が濃ければ濃いほどに、燦然と輝く一条の光……」

 来須は驚いた。見事な日本語訳だった。
「古い歌だ。なぜ、失われた古謡が分かる」
「え? そんなに古いの? そうか、あの、芝村って知ってる? 髪が長い、そのりりしくて笑うとかわいい子なんだけど、その人が」
「いや、もういい。そうか」

 疑念は一つ解けたとして、来須は考える。
速水は耳をすましながら言った。
「女の人の声だね」
「たぶん、な。問題は誰が歌っているかだ。最近は奇妙な事ばかりが増える」
「どこにいくの?」
「確かめる」
 来須は背を向けて歩き出した。

 速水は舞が歌っているのかもしれないと思い立ち、来須についていくことに決めた。
姿は見れないかもしれないが、舞の声が聞こえるのであれば、睡眠時間を削っても、もう少しでも大きな声が聞こえるところまで行きたいと思ったのだった。
 帽子をかぶりなおしたのは来須である。

「なぜついて来る?」
「え、いや、あの。きれいな歌だから」
 舞が歌っているのだったらきっと嬉しい、とは恥ずかしいので、速水は言葉をにごした。
 それにしても、この来須という人物は、大変な芸術愛好家なのだろうと思う。さしずめ身体は大きいが、吟遊詩人に違いない。 おとぎばなしの中に紛れ込んだようで、速水は少し嬉しかった。

 一方来須は速水を、なんとも心の清い人物だと思った。一言で言えば無垢であろう。
 少し考え、一人で夜歩きした時、危ない目にあわせる訳にもいかんかと思う。
保護してやる必要があると考えた。

「分かった、ついて来い」
「ありがとう!」

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 窓辺に座ると、萌は横笛を取り出し、吹いた後で歌を歌った。
夜は萌に優しかった。誰もいじめに来なかったから。

 私を"借りて"いった人が残した、もう一つの贈り物。
萌は意味の分からないまま、歌を歌った。

 綺麗な歌。歌う自分は綺麗ではないけれど、この空気の振動は、見えないけれど綺麗。
それは夜と同じ。

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 来須と速水が歌を頼りに道を歩いていると、不意に物陰から大男が現れて押しとどめられた。
速水がびっくりして目を凝らすと、それは片腕のほうの若宮だった。

「静かに。こちらへ」
「古いほうの若宮、さん?」
「今は宮石です。こちらへ」

 案内されたところは、萌のいる窓際から、注意深く見えないように選ばれた路上だった。
そこには善行がおり、ワイングラスを片手に座り込んでいた。

 速水は目を丸くした。
「委員長?」
「静かに。聞こえると歌がやんでしまいます。姿を見せるのも駄目です」
 そう言ってグラスを傾ける善行。中に入っているのはワインではなく、主食であるジャガイモから作った密造酒である。
 宮石が主人に代わって言葉を続けた。
「萌様が歌っておいでです。月の綺麗なときには歌われるのです」

 来須と速水を黙らせて、善行は自分の唇に指を当て、歌を聞いた。
「歌は静かにきくものですよ。なにかあれば明日聞きます」

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 翌日。

 学校に集められたパイロット、スカウト、オペレーター達は、一つの課題だけを与えられて、残りは休養となった。

 課題は遺言を書く。それだけである。
 教師である本田は自分の生徒達に、間違ってもいいので自分の字で書けと言い、ついでに、死んだ後だから何を書いてもいいぞと辞書を配った。

 速水は何も書く内容はないなと思った後、考え直して、滝川とののみに、少ない貯金をあげるので猫の世話をお願いしますという内容を書いた。

 書いてみれば三行だった。誰よりも早く席を立って外に出た。
 追うようにして、来須が席を立った。彼は何も書かないで紙を折りたたんでいる。

 この点、処世の下手な舞は書くものがないと堂々と発言して壬生屋や本田に怒られ、席を立つに立てない状況である。書く相手が居ないなら 私宛に書きなさいと、泣いて激怒する壬生屋。
 瀬戸口は関係のあった女全部に遺言を書くと言い、髪を振り乱す壬生屋に追い掛け回された。
 滝川は字の綺麗な加藤に頼み込んで代筆してもらおうとしていた。死んだ後くらい頭が悪いところを隠してもいいじゃないかというのが、彼の弁である。
 ののみは白い紙を前に絵を書くことにした。舞を筆頭とする皆の絵だった。
 中村は母宛に美文を書いた。自分は御国のために死ぬが、これは多分、幸せであること。善行が政界に出たら必ず投票してくれということ。 最後に死体は見つからないだろうから、代りに靴下をもらってくれと書いた。

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 教室を出た速水と来須は、何を言うでもなく、共に善行の元、小隊長室に行った。
 善行は何年も前に遺言を実家に送っており、やることもなく、緑茶を飲みながらのほほんとしていた。

 二人が尋ねて来るのを見て、笑ってみせた。
「二人とも、ひどく早かったですね」
 昼間に見る善行は、前夜のことからか、少しだけ仲間意識のようなものを感じているようだった。冗談めかして言う。
「私のささやかな隠れ趣味に、そんなに気になることがありましたか?」

 来須は善行の顔を見た。
「お前はたしか、閥の中だな」
「そうですね。貴方と同じです」
「ならいい」
 来須は全ての興味をなくしたように壁に背を預けた。

 速水は来須と善行を交互に見た後、口を開いた。
「昨日聞いたのは、綺麗な歌ですね。僕、いいなあと思いました」
 善行は笑ってみせた。
「ええ、そうでしょうとも。私も自慢でね。いや、私が歌うわけじゃないから自慢じゃないのかもしれませんが。私はファンなんですよ。彼女の歌の」

 速水は納得した。そして舞にあわせてあの歌を歌えたらいいなあと思う。
「そうなんですか。あの、あの歌って、僕も覚えたいんですけど、教えてもらえますか?」

 善行の表情が、少しだけ曇った。
「それは、いや、難しいかも知れませんね」

 推理する速水。来須の行動といい、この善行の反応といい、何かあるのだろうか。
「秘密の歌なんですか」
「いえ、そういうわけではないんですけどね。何というか、歌がどうこうではなく、彼女はデリケートでね、あまり他人と係わり合いに なりたがらないんですよ。家からも、ほとんど出ませんし。……もちろんこれじゃいけないと思ってるんですが」

 善行はお茶を飲んだ。
 実に問題なのはその歌だと思いながら、口を開く来須。
「心配なのか?」
「友達ですからね」

 そう言った後、善行は自分の言葉を吟味する。
「いや、しかし、いつまでもこのままじゃ駄目なんですよ。彼女はもっと、そう、普通に笑うほうが似合うと思います」

 そう、これは本当にいい機会なのではないかと善行は思う。彼女は綺麗どころが好きだ。来須も速水も容姿端麗だから、眺めれば 彼女の気もまぎれるかもしれない。少なくとも自分は原やヨーコを見ていいなあと思う。そのまま口を開いて、思うまま言った。
「そう。これはいいきっかけかもしれない。うん。分かりました。ちょうど私はお弁当を忘れていましてね。家に誰かをやろうと思っていたのですが。 うん。それを名目に彼女に会ってきてくれませんか。二人とも、特に早く終わったんで、30分くらいならかまわないでしょう。速水君は歌を習う お願いをしてみるといい」

 速水はうなずいた。
 来須はやれやれだと帽子をかぶりなおした。

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 速水と来須は二人で小隊長室から出ると、思い思いに天を仰いだ。
来須はやれやれだと思い、速水はいいなあと思ったのだった。
 感想を口に出す速水。
「いい人だね。委員長は」
「そうなのか」

 体よく弁当をとりに行かされただけではないのかと来須は思ったが、速水はくるりと回って来須を見上げた。

「たぶん……きっとあの歌の人のことが一番好きなんだよ」
 なぜ一番だとお前は分かるんだと来須は思ったが、結局何も言わなかった。帽子を被り直しただけである。厄介なことは黙って早く終わらせるに限る。

 とはいえ、夜だけではなく昼間まで護衛か。これでは俺は、この少年の家令のようだ。
いくら来須の主人は手がかからないとはいえ、これでは俺が暇を出されたようではないかと、思った。

「こうやって歩いていると、散歩みたいだね」
 狙ってやっているのかどうか不明だが、来須の隣を歩く速水少年は、時折途方にくれさせる言葉を言うことがあった。来須は再び、 帽子を被りなおした。

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 一方その頃、善行を送り出し、一通りの掃除を終えてエプロンを外した萌は、何度も言うのにまた弁当を忘れた善行に、閉口していた。

 一言で言えば、つくりがいがない、のである。

 どんなものを出しても木で鼻をくくったような態度で残さず食べる様を見て、萌はいつも何を作っても同じなのだという思いを強くしている。 善行も、宮石もである。
 うまければうまいと、駄目なときは駄目だと言えばいいのだ。一番いけないのは無視することだと、萌は思っている。

 その上、弁当を良く忘れる。
 わざと忘れて外食しているのではないかと、思う。

 萌の足元で黒猫のハンニバルがにゃーと鳴いた。

 萌はしばらく無意識に黒猫の背を撫でた後、善行を困らせてやろうと思った。
 外食に行く前に弁当を持っていくのだ。どんな顔をするだろう。できれば怒ってほしかった。そうすれば、自分で思うのもめちゃくちゃだが、 弁当を作る意味があると思えそうだった。

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 思い立てばすぐに行動することにした。

 萌は外に出るとき、気味の悪い黒い服を着る。
 一度、いじめをする娘の一人に、そうして気味悪がられて以来、萌は極力気味悪い格好や言動をとるようにしていた。身を守るためである。

 萌としても、本当の神秘や怪異であるところの"借りられた"ことを経て、今、黒魔術だ呪いだかに意味があるとは思っていない。 だがそれが、現実として萌を守ったことがあるのは確かだし、萌はそれ以来、少々ならず傾倒していた。

 弁当を持って、外に出る。
 下を向いて歩く。善行は困ればいい。そればかりを考える。

 二十人ばかりの男に囲まれたと気づいたのは、それからしばらくしてだった。

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 白猫で長毛のスキピオは顔を上げて善行を見上げた。
「どうしました?」
 書き物をしながら質問する善行。

 スキピオは青い瞳を善行に向けると、口を開いた。
「忠孝。お前は糞と猫の違いについて考えたことはあるか」
「はぁ。哲学的ですね」
「現実的な話だ。糞は自分では動かないが、猫は自分で獲物を狩る」
「なるほど」
「お前は糞だ。糞は愛を語らない。その資格もない」

 スキピオは黙った。しばらく書き物をした後、善行は思い立って席を立ち、その背に白猫を掴まらせてあわてて走りだした。