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第18回(前編)
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いぬかみさまのおはなし
 おおむかし、ひとがまだ、そらをみあげるしかなかったころ。
さむさにふるえてやりをにぎっていたそのころ。

ひとはおおかみやらいおんのえさでした。
ひとはきのみやくさをたべていました。
まわりはたべるか、たべられるかだったのです。

それはさびしいとひとりのわかものが、おもいました。
よのなかはひろい。たべたりたべられたりしない、いきもののつながりがどこかにあるにちがいない。

わかものはななつのさばくをこえてみっつのやまをこえ、はちばんめのたいりくをこえ、セントラルのうみをわたり、ちのはてまでたびをして、 たべたりたべられたりしないものをさがしました。

ちのはてでじゅうがいいました。
どんなところにいってもかわらないよ。こきょうにおかえり。

わかものはかなしいこころでこきょうにかえります。

こきょうではあいかわらずたべるかたべられるか。
わかものはばかだと、いわれていました。

ばかといわれるのがいやでいやで、わかものはひとり、やまでくらしはじめました。
それからなんねんかたち、わかものはおなかをすかせているおおかみをみつけました。
それはわかものをたべようとずっとおいかけていたこわいこわいおおかみでした。

わかものはいいました。
どうしたんだい? ぼくをたべようとするものよ。

おおかみはいいました。
おまえのかちだ。おれをたべろ。

わかものはながくながくかんがえたあと、じぶんはばかではないとおもいました。
そうしてもっていたたべものをこわいこわいおおかみにわけてあげました。

たべるかたべられるかではなく、いっしょにたべることをえらんだのです。

おおかみはありがとうといいました。このきもちをなんとなづけよう。
わかものはそれはかんがえていなかったと、いいました。

 こうしてひとに、はじめてのともだちができました。
それはともだちというなまえができるまえのこと。

おおかみはひとをたべるさだめをうらぎり、なまえをかえて、いぬとなのるようになりました。
それからなんねんもたちましたが、いまもひとは、はじめてのともだちとともだちです。

どこにいても、いつにあっても、とおくまでいかないでも、こころがそうおもうのなら、そこにはなにかがあるのです。なまえもない、なにかが。
これはそういうおはなしです。

おわり。

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 遠くの砲撃。
 ヨーコは瓦礫の上に腰掛けたまま絵本をとじると、ののみを見て微笑んで見せた。
 幻獣と人類の軍、双方が踏み荒らした街は廃墟のようで、そう遠くもない街路では、一区画の支配権を巡って、血みどろの戦いが 行われているはずだった。

 5121ATP。
 5121対中型幻獣駆逐小隊の初陣は、待機から始まった。

 整備兵の一人、ヨーコ小杉は互尊という名の男性用ウォードレスを着、機関銃を腰に下げて、この待機の間にののみにお話を聞かせていたのである。

 あの女、何度殺しても殺したらないあの女を崇拝するののみの尊敬を奪ってやろうと考えるヨーコだったが、それ以上に戦場に連れてこられたののみが、 ひどくさびしそうに、まるで昔の自分のように見えたことに心動かされ、本心からののみに優しくしようとしていたのである。

 重い防弾ジャケットを着せられたののみは、よろけながらヨーコに笑って見せた。
「ふえー。いいはなしだねえ。いぬさんはながいきだねえ」
「ドウでしょう。いぬは長生キ、出来ないデス。でも」

 ヨーコはののみが涙目になったので、あわてて言いつくろった。

「長生きするいぬもいるでス」
 ののみは泣かなかった。うんとうなずいた。

 ヨーコは笑ってののみを抱きしめた。直後に後ろから頭を叩かれる。
 振り向くと原がいた。整備日誌を持っていた。
「バカ。戦場でなにやってるのよ。ほら早く、やることなくても整備しているふりするの。パイロットが不安がらないようにして」

 頭を下げるヨーコ。
「……ハイ、でス」
 原はため息をついてののみを見た。
「東原さんも、いい子にしていてね」

 下を向くののみ。
「うん、じゃない。はい」
「いい子」
 それだけ言うと、原はヨーコを連れ立って歩きだした。
歩く姿は颯爽としていて、美しい。

 原はヨーコを見ずに言った。化粧を落としているので、今日は子供っぽい。
「戦場に絵本持ち込むなんてね」
 ヨーコはののみに小さく手をふると、背筋を丸めて原に並んだ。
「ワタシ、いつも持ってキテるでスよ? 大切な人、貰ったデス」
「あなたね……まあ、いいわ。ごめん。私、イライラしているのかも」

 ヨーコは原が善行のことを心配しているのだと思った。
本人はなんでもないと言い張っているが、原が善行を想っているらしいことは誰の目にも明らかだった。
 ヨーコは冷たい目で考える。そして善行は、たぶん原に微笑むことはない。
ヨーコは心の中で原を許した。自分と同じだ。憐れんでやろう。

「ダイジョウブ、隊長サン、うまくやるデスよ?」
「奴が良くたって、戦争で無事なんて保障にはならないのよ。気休めはよして」

 そう言った後で、原はしまったという顔になった。
顔を赤くして言い添える。
「別にあいつがどうなったって構わないのよ。私の心配は士魂号なんだから」

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「ふえー。いいはなしだねえ。いぬさんはながいきだねえ」
「ドウでしょう。いぬは長生キ、出来ないデス。でも」

 岩陰に隠れて銃を磨く足元を旅する兎、ストライダー兎は銃を整備する作業の手をとめ、空を見上げた。

 空は曇っていた。

「でも、だからと言って世界は無情ではない」
 ストライダー兎はつぶやいた。空は曇っていたが、瞳の色は澄んだ青だった。

「シオネは死んだが、愛は残った。道真は死んだが、子孫は残った。ジョニーは娘を送り出し、猫の王は老いはしたが、だがそれだけだ。 この世でもっとも大事なものは、滅びはしない」

 ストライダー兎は拳銃の遊底を引いて初弾を薬室に送り込むと、祈るように銃に額をこすりつけた。口を開く。
「たとえ俺達、神々が滅びても」

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 これより、はじまりのためのおわりの戦いがはじまる。

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 善行はウォードレスの上からコートを羽織った姿で、私物の双眼鏡を見ていた。
歩兵時代から、共にいくつもの戦いをくぐり抜けてきた品物の一つであった。

 傍らで佇む宮石は目を細めている。若宮の場合、裸眼でもなんとか見えた。
善行に対して口を開く。
「戦場まで2kmです」
「散歩がてらですね。前線まで市電で兵力輸送しているときている」
 善行はそう答えた。

 背後を見上げる。ビルとビルの合間に3機の巨人、士魂号M型が膝をついて待機していた。

 優しそうに笑う善行。

 自分は戦争が好きな、最低の人間だと自分自身をあざ笑ったのだった。
その上、今度は子供達まで戦場に引きずり出して、こんなおもちゃの人形のようなものまで率いて戦おうとしている。
 面白すぎて仕方がない。しかも自分は正規の機甲兵科ですらない。どこを探してもここまで酷い話はないだろうと思った。

 宮石が善行の思考を断ち切るように咳払いした。善行の本心も、宮石だけにはお見通しのようだった。
「皆が貴方の命令を待っています。お伝えください。忠孝様」
 善行は眼鏡を取った手で、目を押さえる。
「命令は待機です。そう伝えてください」
 宮石はうなずいた。視線を、自分と同じ姿に向ける。
「はっ」
 髪を染めた若宮は敬礼すると、走った。

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 若宮は、走る。
 戦車からあえて100mほど離れて徴用された民家の庭には92mm砲弾が積み上げられ、傍らでは20mm機関砲の弾帯を新井木が面倒くさそうに チェックしていた。錆弾や不良弾があると、装弾不良になるため、整備はこういったところの面倒も見ていた。
 その脇を通りぬけ、若宮は機体の場所へ、人型戦車士魂号M型が座る待機所にたどり着く。

 そこには、三機の士魂号が座っていた。道路交通法に準拠していたウインカー類やナンバープレート類が取り外され、替わって増加装甲のつもりか、 装甲の継ぎ目にコンクリートブロックやら歩兵装具などが装備された、純然たる戦闘仕様の士魂号である。

 士魂号は地味な灰色の都市迷彩でビルに寄り添う形になっているため、遠目では分かりにくい。
さらに形を分かりにくくするための隠蔽ネット、士魂号の数よりもさらに多い4機のダミーバルーン、偽陣地などが作られていた。攻撃を受けた場合、 それが分散することを企図してのことである。まめな善行は本格的でない一時的陣地においても、この種の作業を徹底させた。
 若宮は今しもコクピットに乗り込もうとするパイロット達に手を振った。
「待機だ。待機。全員戦闘準備を整えてそのまま待て」
「納得出来ません!」
 そう言って即座に噛み付いたのは壬生屋である。
「友軍歩兵部隊は今、戦闘を行っているんですよ!?」
 と機体から降りて若宮に詰め寄った。

 頬を膨らませ、顔を赤くして迫る壬生屋から離れつつ、というか、装甲を外した女性用ウォードレスは目のやり場に困る……若宮は、大きな手で 壬生屋の接近を抑えつつ、口を開いた。
「隊長が待てと言うのであれば、待つべきです。十翼長」
 若宮にそう言われても、壬生屋は納得しない。
「そんな、隊長が言うなら友軍が見殺しにされてもいいんですか!? 我々の戦車なら、歩兵よりははるかに持ちこたえられるはずです!!」
 そしていきなり現れた瀬戸口に背中から抱きしめられて、総毛立った。

 抱きしめた瀬戸口は、そのままの姿勢で若宮に敬礼すると、そのまま固まった壬生屋を引きずって連れて行った。うなずく若宮。そして、 ため息をついた。

 滝川を見て、苦笑いしてみせる。
「どうも、ああいうタイプは苦手ですな。私は男の方が好きなようです」
 滝川は頭をかいて見せた。同じく苦笑い。
「まあ、パイロットの女はひでーやつばっかりだから。……しょうがないっすよ、若宮さん」
「芝村は違うよ」
 コクピットから一人降りた速水は言った。
 若宮は助けを求めるように上を見て、滝川は鼻の頭をこすって苦笑いを隠した。
 滝川は思う。どうも俺の親友は、えーと、何と言うんだっけ、そう、春香ちゃん言う所のたでくう虫をスキスキだな。たでというものがどういうものか 知らないけれど、きっと芝村のご先祖の名前だろう。そしてどこか違うと思い、あー、俺国語やっときゃよかった、と述懐した。

 滝川の表情を横目に、速水はそれ以上の追求はしなかった。舞ほど寛容ではないが、速水もそうなりたいと思っていたのである。願わくば 目の前に小悪党で嘘ばかりついているような人間が居ても、普通に接し、許せるような人間になりたいと。

 速水は若宮に微笑んでみせた。
「それで、いつまで待つんですか?」
 若宮は白い歯を見せて笑ってみせた。
「命令があるまでです。十翼長」
「分かりました」
 速水は考える。初陣の僕達に命中率が半分以下に落ちる夜戦はさせないだろう。今が昼すぎだから、いずれにしてもそう待つ必要はなさそうだと考えた。

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 そして若宮は、膝をついて座る士魂号を見上げて、口元をゆるめた。
「しかし、こいつはいいものですな。戦車っていう奴は、乗るものじゃない……」
「乗らなければ、どうするんですか?」
滝川の質問に若宮は振り返り、白い歯を見せて笑った。
「戦車随伴歩兵として、見上げる方がいいように思えます。これを見ていると戦争に負ける気がしません」
 滝川は口を開けて笑った。
「あー。俺も分かります。俺、パイロットにあこがれて来たんですけど、中だと機体が見えないんですよね。な、速水」
「そ、そうかな」
 速水は愛想笑いしてみせた。笑いながら、僕は芝村と同じ戦闘室に居られた方がいいから、狭くても臭くても士魂号のパイロットがいいなあなどと、 不埒なことを考える。

 速水にとっては戦争もパイロットも、目下のところそんな認識だった。
その表情をどう思ったのか、滝川と若宮が同時に速水の背を叩いた。

「大丈夫だって、怖がるなよ。何、お前はさ、後ろから支援すりゃいいんだよ」と滝川。
「そうです。貴方の機体は支援機なのですから。自分も非力ながら努力します。……なんなら、いまのうちにトイレにいっとけ。 実戦じゃ2回は漏らすからな」と若宮。
 言葉の後半は先輩としての内緒話だった。

 速水は瞬きし、今更二人が自分を心配していることに気が付いた。