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 テントの上に神々が鈴なり。
夜明けが来るのを待っている。
岩田は押し出されてテントから落ちた。

 この物語は、それがはじまり。

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 その日、岩田裕は休日だった。
部隊は初陣で出払い、神々もまた、出陣していた。

 整備をするにも整備する機体がない。誰かを笑わせようにも、人もいない。
だから岩田は、今日は休日だと決めた。

 整備テントの上に座り、意識の集中をやめる。
 意識の集中を解けば無意識が湧き上がってくる。
動くものを殺し、目に映るものを支配しようという衝動。強靭な意志力と自制心で普段は完全に殺しているものを、誰も見ていないところで 少しだけ緩めるのが、岩田にとっての休日であった。

 誰も居ないテントの屋上であるならば、誰かを殺そうと勝手に動く腕を抑えることも、その首をへし折ろうとする足を絡めて耐えることも必要ない。

 本来の岩田にとって、休日とは周囲の殺戮が終わった後の、また殺す目標が出来るまでの幾許かであり、積極的に殺すのをやめてからは、 真に休んだことはなかった。
 殺せないのだから休めない。夜も眠れない。食事も十分に出来ない。

 集中が途切れれば、岩田は身体に刷り込まれた通り、全てを殺し始める。
 岩田はどう善行を殺し、原の腸を引きずりだし、誰の目玉でビリヤードをするかを考えながら天空に何本もメスを投げ、落ちてくるそれが 我が身に刺さろうとするのを、空気を吸うように嬉しく思った。 士魂号の砲に至近距離から撃たれたいと思った。

 身体はメスを自動回避。脚が動き、空中のメスを蹴る。蹴ったメスを左手に握り、また投げる。
過去の強敵を思い浮かべ、その渾身の一撃をかわして毒を首筋に突き立てる喜びを思い、高笑いした。

 スバラシィ、スバラシィィィィ!
 来るぞ、来る。

 岩田は落ちてくるメスを両の手の指で挟み持つと、にやにや笑って見せた。
座り込む。

 その隣に、子供が現れる。
いつの頃か現れるようになった、小さな頃の自分だった。

 小さな頃の自分は、今の岩田と同じように体育座りをし、そして悲しそうに膝の上に顎を置いた。今の岩田を見る。蔑むように。

 昔の自分にメスを振るう。まずは逃げられないように脚の腱を切断する。
否、すり抜けた。

 岩田は笑った。
まったく昔の自分は厄介だ。殺せない。イィ、そこがイィ、殺せないのを殺すのは最高だ。
頭の中が殺しのことで一杯になる。良い休日。身も心も安らぐ。真の平穏。

 昔の自分の悲しそうなまなざし。未来の自分が悲しいのか。

 小さな頃の自分は後ろを振りむくと、何も言わずに消え失せた。
岩田は振り返った。

 ひどく苦労して屋上によじ登る、ピンク髪の娘がいた。

 身体に叩き込まれた効率よく人を殺すための本能が無意識にメスを投げようとするのをかろうじて抑え、岩田は立ち上がった。

 休日終わり。岩田は脚がピンク髪の頭を蹴り上げようとするのを耐える。

「なんや、踊りの練習かいな?」
 ピンク髪の女は、加藤祭という部隊の事務係だった。昇ってくるまでに、あまりに高いので冷や汗でもかいたか、額に前髪をはりつかせて、 加藤は言った。
 岩田の自制の動きを踊りと思ったようだった。

「フフフ、そうです!」
 岩田は嬉しそうに言った。
 加藤は下を見ないように四つんばいでそろそろと岩田に近づき、隣に座り込んだ。
さすがに、縁のほうでじっとしていたくはなかったのである。そのため、半分くらいは思いかけず岩田の傍に行くことになり、加藤は、少し照れた。

「あー、もーストッキングデンセンしてるし、破れてるし」
 悲しそうに言う加藤に、岩田は笑いかけ、踊った。

「いや、中々の脚だと思いますが」
 顔を赤くして岩田を見る加藤。岩田は顎に指を当てた。

「そう、品種で言うなら、桜島、いや聖護院」
「うちの脚が大根やて?」目つきが険しくなる加藤。
「私は色の白さを言っていますが、何か?」岩田は口から万国旗を出して見せた。

 目を逸らす加藤。急に自分の脚を隠し始める。キュロットスカートという格好からして無駄な行為であったが、見られていると意識すると、 恥ずかしくて仕方がない。

 岩田は加藤の首筋に蹴りを入れようとして、手で押さえた。

「なんで踊るん?」
「フフフ、秘密です」
 ため息をついて、駄目だと思う加藤。近くから見れば、こいつがホントに格好いいタコだったかどうか見分けられると思ったけど、 近くで見るのは恥ずかしいと考える。
 よくよく考えてみれば、なっちゃんの横顔以外、うち、男の人の顔近くで見たことないわ。

 そして思いとは全然違うことを言った。
「馬鹿と煙は、高いとこ登るねんで? 知ってた?」
「ククク、当然ですよ! ギャグの基本ですから!」
 岩田はクケーと奇声をあげた。

「はぁ。なんでそんなにギャグ好きかなー」

 どこかがっかりした感じの加藤に、岩田は真顔になった。

「貴方の髪と同じですよ」
「え?」

 加藤は反射的に岩田を見た。岩田は、笑っていない。

「世界を明るくしたい。せめて、周囲だけでも、自分の心の中でも、その一部でも」
「ち、違う、うちは別に……」

 昔の自分に言い聞かせるように、今の岩田は、優しく言った。
「それでいいのです。少しでも、あるいは口先だけでもいい。まずはやれることをやるのです。それすらもやらないで、何をしようというのです?  全てはささやかな事の集合なのですから」

 岩田はメスを投げそうになる手を押さえ、回転した。

「そして全ては一撃に。ただ最後の一撃のために。卑小なる僕が運命に勝てるとしたら、それはただ一瞬。それが僕の一生の、全部の勝機」

 そして自分に言い聞かせるように言った。
「その時のための我が一生、その時のための我がオーマ。あの娘は勝つ。人中の竜と善き神々の助力を得て、生きて必ず、最後の勝負までやってくる」

「なんや、今度はお芝居かいな」
 軽い失望を浮かべる加藤。自分はからかわれていると思った。

 岩田は見る。加藤の後ろに、善き神々を背に、暴風の王を左に置いた凛々しい娘が、このよのあしきゆめのことごとく、 邪悪なたくらみのことごとくの前に現れる様を。

「そのもの、悲しみが深ければ深いほど、絶望が濃ければ濃いほどに、燦然と輝く一条の光」

 岩田は微笑んだ。そして強靭な精神力で、何もかも黒く塗りつぶす思いを、完全に押さえ込んだ。

「そう、お芝居です。私の全部を賭けた、たった一度の」