/*/

一方その頃、整備テント。

押し付けの押し付けで最終処分場の感がある女、原素子は鬼のような形相でサボっている新井木にスパナを投げつけていた。
叫ぶ新井木、怒鳴る原。さながら整備場は戦場の前の戦場であり、人が傷つく、疲弊するという点では、どこも変わることはなかった。

戦争なんてする必要がないと原は思う。新たな発見なんて、なにもない。

軍手をはめなおし、イライラして口を開く原。
「ああ、もうっ。なんで役立たずばっかり部下になってるんだろう」
「仕方ないですよ。戦争なんだから」
そう言いながら、腿の装甲板をクレーンで取り外し、人工筋肉を覆う耐熱ラバーをチェックする森。

原は横目で森を見た後、考え、結局我慢できずに口を開いた。
「なんでも戦争のせいにするのは嫌いよ」
「はぁ」そう言いながらラバーを外すと言うより脱がして人工筋肉の断裂を調べ始める森。

横の森をちらちら見て腕を組む原。
「……なんで田辺さんは首になったのかしら」
「いつものように運が悪かったんだと思いますけど」
森は目を大きく開けて断裂箇所を見つけた。喜ぶ。
「森さん」原の声は静かだった。
「はい」交換している森。まず血管を閉鎖する。
「真面目に私の話、聞いてないわね」
原がそう言うと森は断裂した人工筋肉を取り外しながら、「仕事に集中してますから」と言った。

/*/

 翌日。
まるで夏の海辺のようないでたちで、青い髪をおさげにした少女が、寒さに震えながら水のみ場で米を研いでいる。
公園でテント生活しているこの青い髪の娘を、毎度の田辺真紀という。
その日は着るものがないので、学校指定の水着だった。

白い息を吐く。それが奇麗なので真紀は喜ぼうとしたが、咳が出て、中断した。

 昨日の就職活動はうまくいかなかった。完璧な計画だったが、仕事探しにいったところは戦争による避難を続けている場所であった。門前払い以前に人がいなかった。職業斡旋所にも。
良く考えれば熊本全部がそんな感じである気がしなくもない。

お米は残るところ、数日分だった。公園の水道がいつまで流れていくか分らない。

 心の中で湧き上がりはじめる不安と恐怖を、真紀はじっと内面観察している。
彼女には弟がいた。親がいた。怪我しているところを拾って治療している鼠がいた。小鳥もいた、猫もいた。カマキリの卵はまだ孵ってもいない。
彼女の恐怖は彼女だけの恐怖ではない。彼女が守ろうと思う全部が、彼女を良く見ていることを真紀は良く分かっていた。自分が震えれば、自分より弱いものはもっと簡単に恐慌に陥る。

嘘をつこうと真紀は考える。いつもどおり。

そうして、お守り代わりの黒縁の眼鏡を指で押し、真紀は恐怖も不安も完全に押さえ込んだ。
優しく笑おうと考える。笑える、私は笑えると呪文のようにつぶやく。確かに笑えた。
鋭すぎる視線すらも押さえ込み、この稀代の嘘つきは、いつものように絶大な確信を持つように優しく可憐に笑ってみせた。

誰かを助けようと思ったら、あきらめてはいけない。真紀は思った。勇気を拾ったときもそうだった。もう駄目だと思うこともあった。だが諦めなかったから、あの子は今こうして生きてくれている。

真紀は遠くまで見えると怖くなるという理由でつける黒縁の眼鏡を指で押した。
これがある限り、大丈夫。自分が何者なのかも分らなくなることはない。なぜなら足元しか見えない。

出来ることは全部やる。嘘しかつけないなら、嘘をつくまでだ。それで状況が良くなるとは思えなくても、絶対最後の最後の最後まで、徹底的に断固戦う。

それで駄目だったら、私が悪いんじゃない、世界が悪いんだ。死んだ後で盛大に世界を呪ってやると真紀は思って、優しく笑った。

今日も就職活動をがんばろう。頑張ろうと思う日に事を急ぐ。完璧な計画だ。

そしてとりあえず、がんばって米を研ぐことにした。

 遠坂圭吾が見かけた田辺真紀は、そんな時の真紀であった。