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 準竜師を見る弟は、準竜師が好きではない。思い出し笑いか、不意に笑ったのも嫌いだったし、姉の背中を見る目線もいやだった。危険な匂いがする。

いつものように絶大な確信をもって花園で優しく微笑んでいるような姉、真紀とは違い、弟、勇気は自分にも世界にも他人の善意にも確信が持つことができていない。準竜師が姉にひどいことをする可能性を考え、勇気は食事しながら身構えていた。確信があるとすれば唯一つ、誰よりも速く姉を守るのは自分だという確信だった。

 勇気は姉を全肯定する。この幼い少年は、真紀姉ちゃんこそは世界最強にして世界最善だと思っていたし、その行動の全部こそが正しいと信じていたが、だからこそ周囲を警戒していた。美人で人がいい姉ちゃんをきっとみんなは狙っている。

 準竜師は勇気に気づいたようだった。
こっちを見て笑った。

 ひるんだ顔の勇気に、準竜師は優しく言った。
「俺は勝吏だ。芝村をやっている」

迎え撃つぞと、顔をあげる勇気。
「僕は田辺真紀の弟だ。名前は勇気」
勇気は、それが世界で一番偉い奴の知り合いだと言う響きで言った。
勇気にとっては響きどころか正真正銘、世界で一番偉い奴は姉だと信じて疑ってない。
だから、それを周囲が笑おうとどうしようと、まったく意に介さなかった。
それを公言しないのは姉が偉そうに振舞うことを極度に嫌う、ただそれのみ。

真紀姉ちゃんはすごい。理屈も常識も遥か彼方の世界で自分の好きなようにやって生きている人だと、勇気は常々見せ付けられ、またそう思っている。他の誰も、父母すらも現実とか常識を恐れて言わないが、勇気はだからそ、自分だけは素直に思ったことを言おうと思っていたのだった。姉ちゃんはすごい。子供でも遠い噂に聞く芝村がどういうものか知らないわけではないが、そんなものでは姉には足元にも及ばない。勇気は、心の底からそう思っていた。

準竜師は笑って見せた。 幼い時の舞が、私はエヅタカヒロの娘だと言ったことを思い出したのだった。突然親切になる。
「ふむ。では厚遇せねばなるまいな。朝餉にお邪魔した手前もある。何でも好きなものを届けさせよう。貴方が何か欲しいものはないか」
「欲しいものはない。でも、必要なものはある」

死ぬよりも、悪く言えば体面、良く言えば誇りを優先させるのが旧家というものである。準竜師は旧家の出らしく他家の男子に対して配慮をした。
準竜師は勇気を見て、深々と頭を下げたのである。
「失礼した。貴方の誇りを汚すつもりはない。必要なものを届けさせよう」
胸を張って口を開く勇気。
「僕の姉は仕事がしたい」
「分かった。用意しよう」 善行におしつけようと、準竜師は思った。「他にはないか?」
「いらない。あとはどうにかする」
準竜師は合格と言った調子でうなずいた。
「分かった。貴方がたと巡りあえたのはわが生涯でも屈指の本当に良いことだった。何かにつけ、困ることがあれば我が家名を唱えるがよかろう。誓ってかならず家のものに助けさせる」
「僕も貴方に言おう、困ったら、姉に頼れ。僕が保障する。あの人はどんな困難も必ず越えて助ける」

 準竜師は本当に嬉しそうに笑った。
「それは嬉しい」

 真紀とその両親が笑い出した。
準竜師が不思議そうに、何故笑うと尋ねると、真紀は笑ったまま口を開いた。
「芝村って軍閥のでしょ」
「そう言う人物もいる。実際は高度に癒着した軍産複合体というほうが正しいが」真顔を向ける準竜師。
「そんな人がこの公園に来るわけがないじゃないですか」真紀は優しく言った後で、言葉を付け加えた。
「軍閥なんかと関係なくても、おじさまはそのまま素敵だと思います」

 準竜師は、空を見上げた。おお、なんという曇り空。
真紀の笑顔があまりに優しかったので、それで準竜師はそれ以上言うことはやめてしまった。

「まあ、俺が素敵なのは確かだな」

真紀が本当の事に気づいてびっくりするのは、今しばらく後の話になる。

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 準竜師の動きは外見に比ず、素早かった。
1日ほどで公園にテントを置いたまま、参謀本部に戻ったのである。

 準竜師は部下にも上機嫌に微笑んで自分の席に座ると、山のような書類を決裁する前に今だ多数設置されている黒電話から防諜番号を文字通りダイヤルして、傘下の私兵部隊に電話した。

「俺だ」準竜師は受話器に言った。
「どうしたんですか」加藤祭が買出しに出ていたので、電話に出たのは善行だった。開口一番俺だなどと言う人も限られていたので貴方は誰ですかなどとは言わずに、善行は頭をかいてご用件は何でしょうと言った。

この頃、初陣前で部隊はあわただしかったが、善行だけは静かだった。

「善行。以前、そなたはどんな人間でもいいから人員が欲しいと言ったな」準竜師の声。
「いや、まあ」嫌な予感がする善行。
「一人いる。使ってみんか」優しい準竜師の声。

怖い人の優しい声はやっぱり怖いですねと埒もないことを考えながら、善行は意識を集中する。スパイでも送るつもりか。いや、こんな政治的に意味のない員数外の部隊にそんなものをやっても意味はない。ならば、親切だろうか。あるいは新型の成体クローンの実験か。

「どういうおつもりですか」善行は、結局素直に聞いた。鬼と呼ばれた戦争の天才善行は、その一方で陰謀のほうはさっぱりである。
「人助けだ。似合わないとは言うな。俺もそう思っている」これまた素直に言う準竜師。
善行は鬼のカクランってどう漢字で書くんだっけと考えた後、不気味な沈黙を追い払うように慌てて口を開いた。
「なるほど、それはいいことをされましたね。分りました。私も人助けのお手伝いをしたいと思います」
「気立てだけは保障する」
「はぁ」

 せめて整備の腕は保障する、くらいは言って欲しかったと善行は思ったが、まあ、整備員が足りないのでとにかく良かったと思った。初陣が終わったら、素子に押し付けよう。