第14幕
善行と若宮が月夜の中を歩くと、幾重もの影が、ついてまわった。
若宮を待機させ、善行は夜の公園に足を踏み入れる。
「いたのですか」
「そうかもしれないとは、思っていたのだろう?」
舞台演劇さながらの良く通る善行の声に答えたのは、魂まで凍る低い男の声だった。
その声を発したのは、ジャングルジムの上に座る、少女であった。
悲しみも喜びも遠いどこかに置いた瞳の、白いサマードレスを着た少女。
その瞳は死んだようで、それゆえに命を感じさせた。
なぜ絶望的な死を感じさせるのに生命を感じるのだろう。
善行は、ジャングルジムの上に座る少女を見上げて、口を開こうとした。
少女は表情のない瞳で機先を制する。それは歌うようで、祈りの声のようでもあった。
「悲しみと絶望と混迷の海からそれは生まれるのだ。それはいつも、複数からなる。死を告げるものは、新しい生も告げるだろう」
「私の表情から良く読み取りましたね」
少女は、低い男の声で笑った。
「心の声が聞こえるのに、なぜ表情を読む必要がある?」
「非接触型テレパスですか」
「そんなものは、ない。軍の研究は、失敗に終る。それは最初からあった。思いやりという、誰もが持つ力だ。お前は物事を複雑に見過ぎる」
「現実的でない話だ」
「現実など」
少女はそれだけ言うと、ジャングルジムから飛び降りた。
着地し、立ち上がり、善行の目の前まで顔を近づけると視線をあわせたまま一歩下がり、不意に天を仰ぐ。
それは祈りにも見えた。
視線を外された善行は、そう思った。
口を真一文字に引き結ぶ。胸に手をあてる。
胸に掲げる青い宝石に手が触れる。それは"それ"の生き様であった。
それは誰かと再び逢うために、舞うように生きるしかない生き様であった。
少女の背に、何千何万もの人の形をした運命が見える。ある者は老い、ある者は生まれ、ある者は戦士で、ある者は農夫で、ある者は女で、ある者は剣鈴を持っていた。全員が手を繋いでいた。
それは生命の大河であった。長い長い生命のつらなりが、その少女の左手に渡されていた。いずれに、胸に掲げられた宝石に触れた右手から、新しい生命に渡されるだろう。
それは膨大な記憶と技が連綿と継承され続けた結果であった。
足を踏み鳴らし、手を叩く。幾千万もの生命が手を叩く音。
それは原初のリズム。鼓動と同じタイミングで叩かれる。
少女は運命に挑むような目で善行を見ながら、口を開いた。
それは意味のある音のつらなりであり、心動かす響きであった。
善行は自分の心臓がつかまれたと思った。
長い髪を振り、運命を見据え、少女は、ただびとでは聞けぬ声で歌を歌った。
そこに剣を持つように、腕が振られる。善行の瞳に銀の剣が映る。
足を踏み鳴らせば、地面に真円が描かれた。
青く輝く。 にたび踏み鳴らせば青い燐光があがる。
それは原初にして偉大なる魔術。今だ魔術と科学が同一であり、政事が祭事であり、戦うことが神聖であり、円が宴と同じであり、武器と楽器が分かれていなかった頃の力と技である。
生命は時折、昔を思い出すときがある。
生態系全体が昔を思い出すとき、この御技は、たびたび使われてきた。
夜が暗くて凍えるとき、行く末、未来に迷うとき、悲しみそれでも生きる時。
生命は、暖かな時を思い出して歌を歌う。
善行は、猫達に並び、その様を見た。
いつのまにか猫達が、現れていた。繁みから、屋根から、路地裏から、歌声を聞くために現れては行儀良く座り、ヒゲを並べて風に揺るがせていた。 皆が皆、傷つき、疲れている様であった。 猫達は朝日を見るように"歌"を見ていた。
それが何故だか神々しくて、善行はなぜだか胸が熱くなった。この地の夜を守るもの達は誰か。はじめてそれを知った。
猫の背に小神族が乗っていた。ある者は弓を持ち、ある者は槍を持ち、ある者は男で、女で。 全員が矛を収め、歌を見ていた。
夢と同じように、歌は見るものであった。
最高度に練り上げられた文や歌は、目に見える。
善行は、泣いた。 |