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/*/ さわやかな風に善行が目を醒ますと、窓から見える風景には月が、出ていた。 足元で、黒仔猫が鳴いた。 幻の腕が、善行の首を後ろから抱きしめる。 低く良く通る声が、耳元で聞こえた。 善行はかぶりを振った。 もはや涙も拭かずに呟くと、善行は自分に言った。 善行を抱きしめる声の主が、静かに言った。 はっきり覚醒すると、善行は一人だった。 「……ハンニバル。君は、僕がどこにいても出てくるんですね」 (遠くから、声を飛ばしてきたのだろうか。僕のことを思って) 彼にとってまだどうにか出来そうなこととは、生きている部下を率いることだった。 /*/ 善行がドアを開けると、ドアの隣には若宮が一人直立不動の体勢で立っていた。 善行は感情を消してご苦労といった。 長い沈黙の後、不器用に若宮は口を開いた。 「朝鮮語が使えたんですな」 善行は悲しそうに微笑むと、若宮を連れて歩き始めた。 「ラム酒の原料は、サトウキビから取った糖蜜です。日本酒が最近うまくなったのは、混ぜていた糖アルコールがなくなって、自給できる米アルコールに切替えたせいでしょう。糖アルコールはサトウキビの絞りカス、廃糖から取られる。これらが指していることは同じです」 「砂糖は日本本土ではほとんど作られていない。輸入に頼っているということです。それがないということは、大本営が発表している戦果はともかく、実体は敵の大規模な交通破壊作戦で物資の流入が減っていると思います。そして、生活必需品を優先的に輸送する結果、酒や煙草という嗜好品から、順次ダメージが表面化することになるでしょう」 酒飲みは酒の味で世界情勢を判断する。 「実際今日の兵員輸送には多くの護衛戦力が割かれていましたが、あの損害です。タンカーや物資の輸送船団が、今日のそれより護衛が多いというのはありえない」 善行は喋りながら、歩を進める。 「山岳に散らばった兵、都市に立てこもる兵を排除するのは困難を極める。だが、輸送中ならどうでしょうね。私が敵で、一定以上の交通破壊に成功しているのなら」 「問題はそれが分かっていても、なんの解決にもならないことですよ。結局私ができたのは、もし撃沈されなかったら、という前提の準備だけです。……もし撃沈されなかったら、コキ使われる。港湾防御だけに使われるわけがない。死んだらそれまでだから、僕は、生き残った後のことを準備していました」 若宮は、善行が普段より饒舌なのが気になったが、今必死に、心に開いた穴を繕っているのだと思って、それには触れなかった。なるべく優しく聞こえるように、口を開く。 「少尉は、参謀向きですな」 「いえ、新品少尉などというものは、みんな最初あんな感じです。そして士官というものは部下の死によって、完成します。死んだ兵の血で最後の一筆が書かれるのです」 善行は眼鏡を指で押した。誰かを殺して完成するだと? 僕が? 僕は完成など願っていない。一度たりだって、人が死んで自分が高みにあがることなど考えたことはない。 「良い言い回しですね、戦士。そうやって多くの士官を、育てて来たのですか?」 若宮は悲しそうに目を伏せた。 善行は、続けざまに言おうとした言葉をひっこめると、しばらく黙って、小さな声ですまないと言った。 「……いえ、少尉。これも自分の職務の内です。いままでも、今も、これからも、我々に正義の幻想を抱かせる人間のために、兵は死ぬでしょう。そしてそれを、我々はどうにも出来ません。……自分にはそれが悪いことなのかどうかすら分かりません。だが、信じたいのです。心から。それに意味があったと、それだけを。……立派になってください。少尉。そうすれば、死んだ者に意味が生まれます」 若宮は敬謙な祈りの言葉のように繰り返した。 「……立派になってください。少尉。人が人の上に立つということは、そういうことなのです」
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