ガンパレードマーチ・外伝

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第21幕
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 さわやかな風に善行が目を醒ますと、窓から見える風景には月が、出ていた。
二つの月だった。何も映さない黒い月と、人を拒絶するような青い月。

足元で、黒仔猫が鳴いた。
 善行は顔をあげた。眼鏡を捜す。
いつのまにか、寝ていたのだろうか。

幻の腕が、善行の首を後ろから抱きしめる。

低く良く通る声が、耳元で聞こえた。
「お前はよくやった」

善行はかぶりを振った。
「駄目だ。これでは駄目なんですよ。もっと強くならなければ。もっと賢くならなければ。僕が未熟を自覚するたびに人が不幸になる。それは駄目だ。それだけは」

 もはや涙も拭かずに呟くと、善行は自分に言った。
「僕は、訓練がすこしばかりうまく出来るからと言って天狗になっていた」

善行を抱きしめる声の主が、静かに言った。
「生きる者はだれしも、万能ではいられない」
「でも、だから、不幸になっていいわけがない」
「……そうだ。だからあがくのだ。生きている限り」

 はっきり覚醒すると、善行は一人だった。
いや、足元には黒仔猫が居た。二股に分かれた自分の尻尾を、追いかけて遊んでいる猫だった。

「……ハンニバル。君は、僕がどこにいても出てくるんですね」
 ハンニバルと呼ばれた仔猫は、知らんふりして遊んでいる。
善行は少しだけ笑うと、眼鏡を掛け直して立ち上がった。

(遠くから、声を飛ばしてきたのだろうか。僕のことを思って)
善行は、考えるのをやめた。考えても仕方ないと思った。
 彼は言っていた。生きる者はだれしも、万能ではいられないと。きっとあの少女も、万能ではいられないのだろう。
 どうにもならない事実を前にして、それについて考えても意味はないと思った。考えるべきは、どうにもならないことではない。まだどうにか出来そうなところだろう。

彼にとってまだどうにか出来そうなこととは、生きている部下を率いることだった。

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善行がドアを開けると、ドアの隣には若宮が一人直立不動の体勢で立っていた。
歩哨のつもりらしかった。

善行は感情を消してご苦労といった。
 若宮も、感情を表現したりはしなかった。ただ敬礼した。

長い沈黙の後、不器用に若宮は口を開いた。

「朝鮮語が使えたんですな」
「仮想敵の言葉でしたからね。米語と並んで必修科目でしたよ。本当に座学のことは何も知らなかったのですね」
「失礼しました」
「いえ……よく寝たら頭がすっきりしました。任務に戻ります」
「これから毎日このままでは、疲れますな」
「戦うためにここに来ました。毎日このままには、ならないでしょう」
「それは?」
「輸送中に結構な将兵が失われました。そして開いた穴は、どこかで埋めるのが道理です。海兵隊は港湾防御に存在するなどという上層部レベルでの取り決めは、現場では御破算になるでしょう」
「……そこまで読んでおられたのですか」

 善行は悲しそうに微笑むと、若宮を連れて歩き始めた。
「ラム酒が飲めなくなりました。日本酒が最近おいしい」
「はぁ。それが何か」

「ラム酒の原料は、サトウキビから取った糖蜜です。日本酒が最近うまくなったのは、混ぜていた糖アルコールがなくなって、自給できる米アルコールに切替えたせいでしょう。糖アルコールはサトウキビの絞りカス、廃糖から取られる。これらが指していることは同じです」
「どういうことでありますか?」

「砂糖は日本本土ではほとんど作られていない。輸入に頼っているということです。それがないということは、大本営が発表している戦果はともかく、実体は敵の大規模な交通破壊作戦で物資の流入が減っていると思います。そして、生活必需品を優先的に輸送する結果、酒や煙草という嗜好品から、順次ダメージが表面化することになるでしょう」

 酒飲みは酒の味で世界情勢を判断する。
若宮は善行がとんだ酒仙であることを思い知ったが、善行は若宮の内心など知らぬことのように推理を披露した。

「実際今日の兵員輸送には多くの護衛戦力が割かれていましたが、あの損害です。タンカーや物資の輸送船団が、今日のそれより護衛が多いというのはありえない」

 善行は喋りながら、歩を進める。

「山岳に散らばった兵、都市に立てこもる兵を排除するのは困難を極める。だが、輸送中ならどうでしょうね。私が敵で、一定以上の交通破壊に成功しているのなら」
「よほどのまぬけでもない限りは迷わんでしょうな」
「そして幻獣に情報を提供する幻獣共生派はどこにでもいる」
「人類の裏切り者め……なるほど、少尉の説明で事態はなんとなく分かりました」

「問題はそれが分かっていても、なんの解決にもならないことですよ。結局私ができたのは、もし撃沈されなかったら、という前提の準備だけです。……もし撃沈されなかったら、コキ使われる。港湾防御だけに使われるわけがない。死んだらそれまでだから、僕は、生き残った後のことを準備していました」

 若宮は、善行が普段より饒舌なのが気になったが、今必死に、心に開いた穴を繕っているのだと思って、それには触れなかった。なるべく優しく聞こえるように、口を開く。

「少尉は、参謀向きですな」
「それは、現場に向かないということですか?」
 善行は、突っかかった。若宮の見立よりも、善行は傷ついていた。
若宮はさらに優しく言った。

「いえ、新品少尉などというものは、みんな最初あんな感じです。そして士官というものは部下の死によって、完成します。死んだ兵の血で最後の一筆が書かれるのです」

 善行は眼鏡を指で押した。誰かを殺して完成するだと? 僕が? 僕は完成など願っていない。一度たりだって、人が死んで自分が高みにあがることなど考えたことはない。
 相手が若宮でなかったら、その場で叩き殺してやるところだった。それをやらなかったのは若宮のほうが強いことを、善行がわきまえていたからにすぎない。
 善行は、笑った。

「良い言い回しですね、戦士。そうやって多くの士官を、育てて来たのですか?」

 若宮は悲しそうに目を伏せた。
「そう思わなければ、死んだ奴が浮かばれません」

 善行は、続けざまに言おうとした言葉をひっこめると、しばらく黙って、小さな声ですまないと言った。
 若宮は口を開いた。

「……いえ、少尉。これも自分の職務の内です。いままでも、今も、これからも、我々に正義の幻想を抱かせる人間のために、兵は死ぬでしょう。そしてそれを、我々はどうにも出来ません。……自分にはそれが悪いことなのかどうかすら分かりません。だが、信じたいのです。心から。それに意味があったと、それだけを。……立派になってください。少尉。そうすれば、死んだ者に意味が生まれます」

若宮は敬謙な祈りの言葉のように繰り返した。

「……立派になってください。少尉。人が人の上に立つということは、そういうことなのです」

 


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