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第28幕
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半島の3月は、まだ寒い。
善行は部下を早く屋内に入れてやりたいと思いながら、白い息を吐いた。
後ろを向き、中佐に勲章を下げてもらう。
「一番早い中尉だな。おめでとう」
「ありがとうございます」
初老の中佐は、嬉しそうに笑った。善行の首に廻した手を、離す。首元に輝くのは黄金の翼だった。
「陸軍の勲章を海兵に贈るのも悪くない気分だ。今後の働きに期待する」
「はっ!」
善行が振り向いて敬礼する。一歩下がり、中佐の退場を待つ。
壇上から中佐の退場を見届けると、また振り返り、そして居並ぶ部下を見下ろした。
一個中隊200人。海兵では慣習上大尉はほとんどおらず、この次は少佐になるはずだった。善行は、出世したのである。
善行の動きに合わせて200名の部下が一糸乱れぬ気ヲ付ケをした。
一斉に敬礼する。
磨き上げられた真新しいウォードレスが中世の騎士達を思わせる。
善行がきっちりと答礼を返した。
無言の時間。兵達は、まったく動かないことで、最大の敬意を善行に向けた。
善行が着任の挨拶をする。
全員が待った。
「諸君。戦争は厳しく、我々は勝っていると言いがたい。そして私がこの職を拝命したのは、長たらしく演説するためではないことは、承知していると思う」
若宮はなんと下手な演説だと笑ったが、それ以外の兵士は微動だにしなかった。
全員が信仰というには厳しすぎる目で、もはや兵士達の間では伝説になっている中尉を見た。彼らがその瞳に浮かべるのは畏敬だった。
彼らはその目で見、あるいは何度も聞いている。一人の新任少尉が、鬼神のような激しさと機械仕掛けの神のような正確さで部隊を操り、連戦連勝を続けていることを。
彼らは知っている。初めての部下が死んだ日、善行が泣いていたことを。そしてその後、身を削りながら戦いつづけていることを。
痩せた奴だとは、誰も言わない。何も知らない者がそう言えば、必ず適正な暴力と教育が兵と下士官達によってなされた。善行は何一つ喋ることなく、その戦果と驚異的な部隊損耗率だけで、その信頼を勝ち得ていた。
善行は長く黙った後、喋りを再開した。
「これから訓練する。演説の時間があるならば、私は部下の死ぬ可能性を減らすための努力をする」
善行の部下全員が顔を紅潮させて、ハイと言った。
「訓練をしよう。兵の諸君。訓練を率先しよう、下士官の諸君、それを監督するのだ。少尉! 一人でも多くの同胞を、助けるために!」
善行の部下は万感を込めて敬礼した。
「以上、挨拶終り! 解散! 中隊は小隊単位で部隊連携訓練を開始する!」
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善行が壇を下りるまで、兵と下士官は異常な緊張に包まれていた。微動だにしない。
善行が士気の落ちた部下をすぐ囮に廻すということは、良く知られていたのである。
だから誰もが気を抜かず、職務に精励した。
実際には、善行が部下を危険な目にさらしたことはない。囮といっても安全だから囮にしたのである。だが、部下はそう思わなかった。だから緊張した。
自分が有能である限り最高の上司、自分が無能なら即座に斬って捨てられる。
そういう風に善行は思われていた。
善行は壇から降りると、部下の視線に耐え切れず、逃げるように若宮を呼んで、下がった。
若宮はにやにや笑いながら善行の元へ走ってくる。
「それにしても、もう少し気のきいた挨拶はなかったのですか」
「久しぶりに食べて寝ていたんです。起きたのは授賞の1時間前で、それで僕に何をさせようというんですか」
「はあ。まあ、そう言えばそうですな。せっかくです。今のうちに食いだめしてください」
「分かってます……しかし、皆はなんで緊張しているんですか。少しは不平を言うかと思ったんですが」
「それは私も思いましたが……まあ、いいのではないでしょうか。中尉。少なくとも馬鹿にはされてないでしょう」
善行は何事か思ったが、結局何も言わなかった。話題を変える。
「どうですか、新しいウォードレスは?」
「いいですな。増幅率が低いのが気になりますが、着装時間が大きく延びているのが特にいいと思います。まあ、サウンドフォックスという名前は気に食わない感じですが」
「名前では戦えませんよ。アメリカ製でしょう」
「はい、いいえ。純国産です。元は憲兵用の装備だそうです。今度の戦訓から急いで量産をはじめたようで、その貴重なものをポンと寄越すとは、陸軍も太っ腹ですな」
「それについては内田大尉から手紙もきましたよ」
内田とは若宮の元教え子で、今は軍政畑で活躍していた。
善行は一度しか面識はないが、頼りにしている。
「なんですか」
「私が帰れるようにしてくれているそうです……ただ、陸軍預かりという話ですが」
「飛ばされるわけですか」
「殺されるよりはマシと言いたいところですが、実際はどうも、僕は芝村に買われたらしいです。あの狐も、その代金の一部だとか」
「……となると陸軍少佐善行忠孝が誕生するというわけですか。おめでとうございますと言うか、なんというか微妙ですなあ」
「船に乗る機会は永遠に遠のいたみたいですね。いつかは揚陸艦の艦長をしてみたかったのですが」
「それは気の毒です」
善行は、少しだけ笑った。
「冗談ですよ。飯がまずくなる代りに給料が高くなると思ってあきらめます。しかし、元々陸軍から来た戦士に言うのはなんですが、人身売買とはなんとも前近代的ですね」
「中尉はそちらの方がいいでしょう。中尉は乱世向きです。幼年学校も行かずに若くして少佐を目指そうというのであれば、どの道、軍閥に頼ることになります」
「本人の意向と関係ないのが問題ですね」
「……今更娑婆には戻れませんよ。兵は貴方を尊敬しております。さて、準備が出来たようです……それでは中隊長、訓練を統率してください」
「分かりました」
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4月。再編成を終えて街を望む丘陵部に前進した善行の中隊は中隊初めての戦いを経験しようとしている。
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擬装用の野戦ネットを張った野戦砲陣地の一つで、善行は野戦地図を開いて士官の一人から話を聞いていた。
目を凝らせば、あちこちの丘陵斜面に穴が掘られ、88戦車が砲塔だけ顔を出していた。
赤いペンでバインダーに閉じられた野戦地図に書き込みながら、善行は韓国語で礼を言った。
「地図の提供、ありがとうございます。航空写真だけでは精度が悪くて」
「いや、こちらのほうこそ援軍に感謝する」
相手は日本語だった。
苦笑いする善行に、韓国軍の中尉は笑ってみせた。
「朴学良だ。」
「善行です。お互い、仮想敵国の言葉を習わされていたというところですか」
「違いない。それにしても幻獣にも、いいところがある」
善行は笑ってみせた。
「すくなくとも人類同士がいがみあう必要はない、ですか」
中尉は無邪気に笑って同意の意味を示した後、皮肉そうな笑顔を浮かべた。
「運が悪いな、貴官も。正面防御部隊とは」
「いえ。名誉としております。それに一度は、88戦車の掩護下で戦ってみたいと思っていました」
「貴官に言われると、悪い気はしない。死なないで母国に帰られることを願う」
「撤退がなったときには中尉に、ぜひ我が国の料理をごちそうしたいところです」
「それは楽しみだ。正直なところ、日本の音楽には興味があったが、料理はどうだろう。それも含めて、楽しみにしている」
「はい。楽しみにしていてください」
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一方その頃若宮以下は、丘陵部のさらに先、街中でせっせと陣地を構築していた。
歩兵が一番恐いのは、砲撃である。散開するのはもちろんのこと、破片防御するための塹壕や陣地が必要だった。
長く複雑な塹壕をつくり、土嚢を積んで機関銃座をつくり、家を解体した建材で掩体壕をつくり、ベッドをつくる。善行の部下達が、せっせと穴を掘っていた。アスファルトで固められた大地には廃車やガレキをあつめて鉄条網と地雷を配置して陣地をつくり、もちろん建物には土嚢をつみ、必要ない部分は窓を塞いで、割れると危ない窓ガラスを外し、防御力を上げた。実際に使う陣地以外にも偽陣地を同じ分つくる。
こうなると、兵も土木作業員もあまりかわらない。
「俺達、シービーズみたいですね。海兵が泣きます」
「工兵になったということは偉くなったということだ。文句を言うな」
若宮はそう言った後、穴を掘りながら、今兵士が言ったことを考えた。
海兵が泣く、か。海兵が兵隊なら、蝶々蜻蛉も鳥のうちと影で歌っていた奴が、今や海兵の看板をさも価値があるように呟いてやがる。
そして笑った。これはいい変化だと思った。
中尉の力は偉大だ。
若宮は笑った後、その当の御本人が歩いてくるのを見つけた。
走って駆けつける。
善行は軽く答礼すると口を開いた。
「我が城というところですね」
「はい、中尉。立派な城であります」
「斥候兵部隊は?」
「すでに接敵しております。最大でも24時間後には戦闘開始すると思いますが」
「結構。それでは戦いますか」
「はっ」
善行が笑って手をあげた瞬間、兵達が背筋を伸ばして敬礼した。
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