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「どこにいくの?」
「狭い路地に面したビルだ。ある程度面積があって、複雑な構造物がある屋上がいい」
「あれは?」

 速水はM2ビルと書かれたビルを指差した。

「それでいこう。今の時間は」
「8時9分」

 舞と速水は、M2ビルに入ると階段を駆け上がった。
エレベータは使わない。電源を落された時を考えていた。

「5……6……これで屋上のはず」
「鍵がかかっている!」

「電子ロックか。待っていろ」
 舞が新聞紙を折る間に、速水が扉に触れると胸ポケットの中が一瞬だけ輝いた。

オートロックが開く。

「開いた!」
「防犯意識の低いビルだ。しかしこれで時間が稼げたな」

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 ドアを開けば、速水はまぶしさに目を細めた。
光の中に、堂々と少女が入っていく。
 速水はすぐにそれを追った。追わなければ後悔すると思った。

そこは屋上だった。黄金の太陽に照らされて、舞が立っていた。
 奇妙な灰色の制服も色褪せる、長い黒髪と、運命に挑む瞳が速水の目と意識を奪わせた。

「はじめて気付いたが、そなたの瞳は青だな」
「そうだったかな。そうかもしれない。鏡なんて、余り見ないから」
「私の父の瞳も青だった。天空に輝くシリウスのように」

 舞は、誰にも分からない笑みを浮かべた。

「ここまでだ。礼を。ここからは別れよう。あの非常階段から降りれるはずだ」
「君は?」

「ここなら誰にも迷惑はかからぬ。戦う」
「もう少し走れば逃げ切れるかもしれないよ」
「戦うための場所とりだ。逃げる為ではない」



「なんで」

「私の民衆を傷つけ、私の公共財産を破壊した。復讐の動機には十分すぎる」

 舞は今後このようなケースを絶つには2種類しかないと考えていた。
 自分がつれもどされるか、相手の継戦意志を奪うかだった。どっちしても戦う必要があった。 黙って連れ戻されるような気概はこの娘は持ち合わせていない。
 だが本心はその胸だけに秘めて。

「それに」

舞は、少しだけ優しく微笑んだ。

「私は逃げるのが嫌いだ」

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「……分かった。ありがと」
「気にするな」

速水は、舞が背を向ける前に口を開いた。

「一つ聞いてもいい? なんで僕の隣に座ったの?」
「後ろに二人、男女が隣り合って座っている。そうすれば、次に乗った客は真ん中か前方のほうに座る。よほどの無神経でなければな。 そなた一人なら、私も守ることができよう」
「……そうか。僕を守り、他の人を守っていたのか」
「それが自由の使い方と言うものだ」

舞はドアの横に座ると、新聞を折り出した。
 それは三角形に見えた。1枚2枚。3組ほど作った。



「どうした。早く行け。来るまで間がないぞ」

 それは速水も考えた。だが、しかし。
速水は心の中の計算式で、別の結果が出るまで何度も考えていた。

「えーと、やっぱり一人じゃ心細いかなって」
「私がか?」
「いや、僕が」

「そうか。わたしは安全に逃げられると思ったが。まあ、確かに裏から廻ってくることもあるだろう」
「うん。手伝うよ」
「ではこれをもて。合図をしたら振れ」
「分かった。ふるんだね」

舞は、新聞の文字を切り取っては文章をつくりはじめた。
「舌をだすがいい」
「え? 舌って、これ?」
 速水が舌を出して指さすと、舞はそうだと言ってその舌に指を入れた。
目を白黒させる速水を無視して、文字を指でちぎり、ドアを開けた先の壁に、速水の唾で濡らしてははりつけていく。

「あ、あの」
「もう終りだ」

「ホウケンここに死す……?」
「史記だ。これから作戦を説明する」

「まず第一ステージは階段だ。私は階段上から迎撃する。階段は狭い。相手は同時最大でも2名だろう」
「銃でうたれない?」
「殺すのが目的なら、ああいう攻撃はしない。私なら狙撃兵を配置する」
「分かった。次は?」

「それなりに相手を叩いたら、相手は2つの手に出る。一つは一度引いた後の強行突入。催涙弾くらいは使うだろう。 もう一つは裏口からの侵入だ」

「最初から裏口からくることは?」
「どのビルに我らが入ったのか、知っていればそういうことも出来ただろうな」
「なるほど、相手は分散しているんだね。しらみつぶしにビルを探していると」
「そして反撃されるとは思っていない」

 この人は白馬に乗って高笑いしながら快進撃する変な人タイプだな。速水はうなずいた。
往々にして地上で一番強いのはそういう人だ。世間一般では不利な条件すらも戦いの中で有利な特長に変えていくタイプだ。  つまりは俺と同じというわけだ。俺なら白馬に乗らないし、高笑いもしないけど。
 この人は数が少ないことを有利とし、追いつめられていることを有利とし、自分が女でか弱そうに見えることすらも武器にするだろう。

「その次は?」
「相手は両方を併用する。私を足止めしながら非常階段からあがってくる。私は、挟撃の直前で後退する。そこで合図をする」
「僕はこれを振る」
「そうだ。後は相手に痛撃を与え、講和する」

 速水は、自分に運が向いてきたと思った。
これから僕は戦争に送られる。戦争に行くとき、この娘を利用できたらどんなに生き残る確率があがるか分からない。 この娘に敵がいることを考えてもなお、俺の生存率向上には寄与するはずだ。今、多少危ない橋を渡るのはコストとして考えよう。

 速水は、舞の助けになるように口を開いた。
「講和するのはいいけれど、反撃で敵が逆上しないかな」
「そうさせない程度の善戦が必要だ」
「分かった」

 相手を殲滅させることを目的にしていないところもいい。
現実をわきまえた判断だ。怒りに溺れてもいない。

そうだな。
 この人に取り入り、この人に使われて安全で平凡な生活を手に入れる。
悪くない。今後は気弱でほっとけない奴、だが少しは役に立つ。そんなあたりでいくか。

「なぜ嬉しそうに笑っている?」
「なぜだろうね。……多分、君を信用しているからだと思うけど」

 舞は、不意に顔を背けた。

「終ってから信用せよ」
「分かった」

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 階段を昇ってきた二人の兵士は、登り切った瞬間に舞の鉄拳を食らった。
正確な顎への奇襲をくらい、階段から蹴り落される。

 小銃を奪ってさらに階段から蹴り落し、舞は速水に銃を渡した。
「君はもたないの?」

「博物館級のボルトアクションだ。二人で持っても同時に2発。あまり意味はない」
「分かった。君は乱戦に備える。僕は支援する」
 たしかにこの重量では、あの娘の武器である速度が殺されるだろう。正しい判断だ。

「後備もいいところの兵と装備だ。いよいよ戦争は負けているものと見える。あるいは、私がなめられているのか」
「両方かもしれないよ」
「そうだな。そろそろ配置につくがいい。まずは三角を使え」
「新聞で作った奴だね」



「突入! 突入ー!」
 下方から聞こえる恫喝のような声に、舞は堂々と階段の方へ向かった。
そして戦いだした。階段から続々と兵を叩き落としていく。

「後ろからも来たよ!」
「分かった!」

 舞は新聞の一枚を紙ふぶきにしていた。投げつけ、目くらましにして最後の一人を蹴り倒すと後退した。

隠れている速水に背を向ける形で、屋上に兵士があふれる。己を囮にする舞の動きだった。
 純白の制服を着た準竜師が、舞を包囲する兵士を割って出てきた。

「おいたはそこまでだ。我が従妹殿」
「それはこちらの言葉だ」

 舞は、壁を指差した。

準竜師が壁を見ると、新聞の切り抜き文字で文が作ってあった。

ホウケンここに死す

 準竜師の顔が青ざめた瞬間、舞は撃てと言った。
「伏せろ!」準竜師の声。
兵士達が伏せた瞬間、速水が三角を振るった。
 銃声にそっくりの音が出た。子供の遊びで使われるものだったが、一部の地方では音がリアルなために使用が禁止されたものだった。
続けざまに三発。速水が本物の銃に持ち替える頃には、舞は準竜師の懐に飛び込んでいる。
首筋を後ろから締め上げ、親指を準竜師の眼球にいつでも突き入れられるようにして、舞は周囲の兵を睥睨した。

「教養があることは不利でもあるな。我が従兄殿」
「くっ……」

「私は講和を望んでいる」
「墓所を出た死の姉妹が、偉そうなことを」
「私が姿を隠さなかった理由を考えるがいい。……講和を。墓所よりもそなたの私兵として使ったほうが私は役に立つ」

眼球まで5mmというところの親指を見ながら、準竜師は冷静さを取り戻した。

「いや、やはりそなたは戦いでは役には立たぬ。甘いからな」
「強がりを」
「あの少年を狙え」

兵達は準竜師と舞を交互に見た後、平静な上司の言葉を実行した。
銃を構え、速水を狙う。

 準竜師は、薄く笑った。
「従妹殿よ。一人で戦わなかったのが、そなたの敗因だ」
「あの少年と貴様の命が釣り合うと?」
「貴様には」

 準竜師は舞の腕を片手で掴み、壁に投げつけると、薄く笑った。
舞の意識が、遠のく。