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 鳥の声だった。
雀だ。雀が朝が来たと告げている。

違う。この声は……

「それは世界の総意により、世界の尊厳を守る最後の剣として、全ての災厄と共にパンドラの箱に封じられていた災厄の災厄。 自ら望んで生まれ出る人の形をした人でなきもの」

 ブータは己を呼ぶ声に目を醒ました。
一気に起き上がろうとして、咳き込んだ。自分の肩に上着が乗っているのを感じた。
 次に老いぼれた自分の身体を感じ、それでも目一杯広げた丸い目で朝日が射し込む天幕の中を見渡した。まだ心は、夢の中にあった。
 オレンジと灰に塗られた巨人を見上げる。

 その肩に、鳥乙女が居るような気がした。
黄金に輝く翼を持つ、夜明け呼ぶあの声だ。





 違った。



巨人はおぞましい機械で、肩にとまるのは、ただの人間だった。
長い黒髪を後ろでとめ、熱心に巨人を手入れしているように見えた。

 自分の隣に、上着を脱いだ少年が立っている。自分と同じように、巨人の肩を見ていた。

「芝村さん」
「芝村と呼べ。それは稼業だ。敬称をつけるような存在ではない」

舞は、練習用の複座機の肩に座ると、首周りの調整をしていた。

「じゃあ、芝村」
「どうした?」

「遅刻するよ。学校、いこう」
「よく眠れたか?」
「うん。……背も伸びたよ。きっと」
「縮んでいないことを願っている」

舞は、複座型の頭をなでるように叩くと、危うい勢いで整備台まで飛び降りた。
綺麗に着地する。

 巨人の絶望の叫びが小さくなっていた。 ブータは髭を震わせた。あの人間には、巨人の声が聞こえるのだろうか。 そんな風には見えない。

速水は、自分の隣に並ぶブータを見下ろすと、にっこり笑った。
「僕、猫に好かれるのかな。昨日もね、猫を拾ったんだ」

階段を降りながら、舞は口を開いた。

「捨て猫が多いだけだ。自分の食う分が減ると、遺棄するペットも増える。海外では捨てるのではなく安楽死させることも多い。 どちらが動物にとってマシなのか……いや、この場合は身勝手なのは同じか」
「こんなにかわいいのにね」

 舞は、猫を見ないようにして背を向けた。
「かわいいと言うだけで、そういう猫を全て救うのは不可能だ。まずは戦争を終らせるのが一番の早道だろう。 次に経済を立て直すことだ」

ブータは隣の少年に向かって鳴いた。
「上着? もういいのかい?」

 ブータがうなずくと、速水は笑って上着を着た。遅れないように舞についていく。
「猫を助けることは意味がないのかな」
「全部は救えない。だが、やらないよりはマシだ」

舞はそういうと、自分の財布を速水に投げて寄越した。

「そして、芝村はやれるだけはやるだろう。いつもの通り」
「……僕は、一生女性を名字の呼び捨てで通すよ」
「なぜだ?」

 その逆はあるかも知れないが、君を呼び捨てにして、他人にさんづけする気なんか一切ないと速水は思ったが、 言えばさらに何故だと言われると思ったので、速水はあいまいに笑うだけにした。

舞は、何を思ったのか分からないが、何も言わなかった。

「よかろう。千年もすれば分かることだ」
「すごいスケールだね」
「そうか? 明日の明日のようなものだと思うが」

速水は、舞のために天幕を手で引いて出口を作った。舞が通るように。
「明日の明日を千年後みたいなものだっていうのは、あまりない」



外に出た。

 舞は、吹いた風のために閉じた目をうっすら開いた後、謡いながら今日も堂々と道の真ん中を歩き始めた。 おそらくは一生そうであろう。それはただ一人からなる正義最後の砦の女主人であり、世に覆う暗い企みのことごとくと 戦うために乱舞する一筋の光でもあった。

速水は少女と道を歩くというそれだけで嬉しく、にこにこしていた。
 舞と共に登校することを、これからとても大事にする予定であった。

「そう言えば、さっきも歌っていたね」
「謡うだ。何度言えば分かる」

 舞はそう言った後、速水だけに分かるような笑顔を見せた。
舞は、いつ笑っているのか大変分かり難い。

 速水は、今、笑ったと気付いて嬉しそうに笑った。
「芝村は詩に彩られているね」
「私を笑ったのか?」
「ううん。僕はまだ14なんだよ」
「……なんのことだ。相変わらず、複雑なことを言う」

速水はにっこり笑った。罪のない笑顔だった。
「怒り虫を怒らせて、この若さで死にたくないんだ」

 舞の目が細められた。次の瞬間、速水の襟首に手を伸ばした。
速水は逃げ出す。

「ほら、もう怒った」
「怒ってはいない。ただ、殺意を覚えた」
「それを怒ったというんだよ」

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二人が、走っていく。

ブラインドを太い指で開きながら、その男はその様を見て爆笑した。その動作で暗い部屋に光が射し込んだ。
 窓の外ではかなり本気で走って逃げる男と、殺しに掛かっているような女が見えた。

「ぶははは、見なっせ、あん二人、おもしろかねぇ」
「…うるさいな、静かにしてくれよ。頭痛がする」

「なんね、二日酔いね」
「いや、寝不足さ、女が寝かせてくれなくてね」
 相方は、器用にウインクしてみせた。
ブラインドを開いていた太った男は、憮然とした表情をしてみせる。

「はあ、お前変態ねぇ」
「それは、用法が違うんじゃないのかい? ……そろそろ時間だな」
「いくかね」
「ああ、そうするか。新しい出会いが、待っているかもしれない」
「女ね」
「他に何があるんだ」

 すみれ色の瞳を向けて、男は太ったほうを見た。
相手は靴下で汗を拭きながら口を開いた。

「それにしても、お互い芝村の手下はたまらんねぇ。きちー、だりぃ」
「……俺はどうでもいいけどな。……どうでもいい。今日さえ生きられるなら、泥だって食うさ。 靴下で汗を拭く奴と付き合うことだってやるよ」
「言ってろ。ほら、いくばい」
「ああ。それではお仕事はじめましょ」