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 中村は、すれ違う老猫が弱っているのを見て、頭を掻いた後で、ポケットから鯖缶を取り出した。

「任務達成のあとの肴に、って思っとったばってんね。やる」
 蓋をあけて、ブータの前に置いた。
見上げるブータに、中村はおどけて言った。

「でも、酒はやれんばい」

 そして立ち上がった。安っぽい階段をあがり、教室の戸をあける。
「悪ぃ、悪ぃ、遅刻した」
「なんだとボケ! ぶっころすぞ!」
「悪ぃ」

「……空いているところに座れ」
「はい」

 中村は瀬戸口の隣の席、一番後ろの席に座った。舞の後ろ姿を監視したまま、瀬戸口は口を開いた。

「何してたんだ?」
「自分が生きのこる可能性を、ちぃとでもあげてきた。士官に弱気になられたら、兵隊はやっとられん」

 中村はそう言いながら、自分の席に深く座り直した。

 瀬戸口は、中村の横顔を見た後、優しく皮肉そうに笑った。
「なるほどね」
「そこ! なにくっちゃべってやがる!」

瀬戸口は立ち上がって敬礼した。

「失礼しました。本田教官。本田教官の美しさについて、結構マジに話していました」
「俺が美しいのはあたり前田のクラッカーだ。ボケ。授業受けろ!」
「はい」

本田は、そう言った後でののみを見た。
 ののみは、笑った。本田は、視線を逸らして声をあげる。

「……さて、ここが、戦車屋の巣なら、お前達はそこのひな鳥だ。いや、ひな鳥にもなってねえ。卵だ。 戦車は通信に指揮に補給に整備にスカウトがいてはじめて部隊になり、砲兵と工兵と歩兵があってはじめて使える兵科になる」

「いいか、卵ども。頭の中身がチーズで出来ているお前達のためにもう一度教えてやる。俺達はお前達を立派な戦車屋にする、 お前達はお国が払う給料の代わりに、殺しの勉強して立派な戦車屋になる。分かりやすい契約だろう。いいな」

 本田は、この子達も戦場に送られる日は近いと思っていた。自分は聞かされてないが、善行の振るまいを見ていれば、 なんらかの命令か通達があったことは分かる。
 鬼のようにしごいて、うらまれてやろうと、思う。死なれるよりはマシなはずだった。

「それだけ分かってれば十分だ。いいな、自分に才能がないと思ったら学校をやめて、徴兵されて装甲もない歩兵屋になって、死ね。 今の御時世じゃあ、紙みたいな奴とはいえ、装甲に守られてるってのは、まこと結構なこった。そう思わねえか?」

本田は、声をはりあげた。

「さて、卵ども、難しいことはなしだ。口答えするな。俺の言ったことを覚えろ。そうすれば、 お前達が立派な戦車屋になれるように教えてやる。分かったな。シンプルで良い授業だろう?」

 本田は、引き伸ばした写真を取り出して、黒板に張り始めた。

「まず、幻獣だ」

「これはお前達の敵だ。お前達はこれを殺す。殺さなければ、自分達が死ぬ。それだけだ」

黒板を物珍しそうに、滝川とののみが見た。壬生屋は目をそらし、速水と舞はなんの表情も浮かべなかった。
 ののみが、大きく手をあげる。
「うんとね、えっとね、先生、質問ですっ。げんじゅーってなんですか」

「口答えするなと教えたぞ」
「ふぇ」

本田は、栗色のののみの髪を掴んで、自分の顔の前に引き寄せた。

「まぬけめ。これが実戦ならテメーは幻獣に殺されているぞ。テメーらは考える必要はねえ。幻獣は敵だ。敵を見たら、殺せ。 以上だ。どうやって殺すか以上は考えるな。テメーらを生かすのは速度だ。理屈じゃない」

そして敵意を露にする生徒達の表情を見て、言った。
 なんら迷いなく立ち上がっている舞を、速水は必死で止めていた。
舞の目を見ながら、本田教官は口を開いた。

「生き残りたいだろうが!」

そして手を放した。 ののみは、泣かないようにがんばった。目をつぶっては、前が見えなくなってしまう。

「いいか。学者先生はこいつらを宇宙人とか、異世界の兵器とか言っている。だが、理由はどうでもいい。重要なのは、 幻獣は不意に現われて、俺達を殺し、増えるということだ」

「この惑星が一つしかなく、住める面積が限られている以上、幻獣は敵だ。いいな。幻獣が絶滅するか、俺達人類が絶滅するか、 それだけだ」

「よし、では全員、大声で唱和。幻獣は敵だ。幻獣は敵だ。敵は殺せ。いけ」

壬生屋と滝川はとまどって周囲を見た。速水は、舞を見た。
舞は表情を消して戦うタイミングを計っているようだった。

 中村が軽くため息をついて、本田の言った通り、声をあげる。
瀬戸口がこれに続いた。

幻獣は敵だ。 幻獣は敵だ。 敵は殺せ。
「声が小さい」

 今度は、壬生屋と滝川も言った。
幻獣は敵だ! 幻獣は敵だ! 敵は殺せ!

「心がこもっていない!」

幻獣は敵だ! 幻獣は敵だ! 敵は殺せ!
本田は、唱和の中で皮肉そうに笑った。

「よし。ようこそ。幻獣殺しの学校へ。通信学校の諸君。これからやっと、高等戦車学校らしい授業を開始する。 どうやって、どう奴等を殺すかを学べ」

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大猫ブータは、教室の前の廊下で、子供の泣く心を聴きながら、目をつぶった。

思わず空を見上げる。天に穴が開いてないかと。
 空には、穴はなかった。いつも通り。
ブータは、自分がただの猫で、頭がぼけているのだと思いたかった。
 光の軍勢は遠くに去り、天は大地を見放して、猫神族は数えるほども残っていない。
血を吐きながら、あれは最初から夢だったのだと思いたかった。

 自分の隣を、泣きながら女教師が足早に歩いていった。