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 幻獣ケンタウロスに踏み潰される死体、にげまどう人々を見て、いつも眠そうにも冷たいようにも見える舞の目が、 細められた。
 細められた瞳の中に怒りが見える。見るものが見れば炎のようにも見えるだろう。

 拳が握られた。ウォードレスが反応して人工筋肉を緊張させる。舞は、怒っていたのだった。

 身体は14、15の小娘なれど、その中に入っている魂は、小でもなければ娘でもない。
誇りが大きさを決めるのなら、その小娘の魂は、大なりと称するに相応しい。
女が先か義が先かと言えば、迷わず義を選ぶであろう。そういう意味では良い女でもありえない。 女の定義に外れる以上、 女の良いにはなりえないからだ。
 それに適切な漢字をあてるなら、それは大なる義、大義となろう。

 身体は14、15の小娘なれど、その中に入っている魂は、大義であった。

 名言を告げることはあっても己の想いを表現することは滅多にないその口元に、その横顔に感情が現れた。 普段は悟られぬよう押し殺している感情が、顔を覗かせたのだった。

 速水は士魂号のコクピットに腰を下ろしたまま、多目的結晶と士魂号を通じて舞の怒りを左手に感じた。
 後席の怒りが伝わってくる。紛う方なき純粋な怒り。

 怒りにあてられ火照りながら、速水はなるべく優しく言葉を告げた。

「それで……どうする?」
「命令は入り口への移動だが、このまま移動すれば交戦は必至だ。無線機は故障している」

 速水はしばらく考えた後、言い方を変えた。
舞の言葉を聞きたかった。速水は自分がどうやって生き残るかどうかの判断をする前に、舞の言葉を聞きたいと思っていた。

「……芝村ならどうする?」

 舞の手によって士魂号の機能チェックが行われている。全駆動箇所、再チェック。プログラム、よし。
 速水は返事を待った。兵装チェックをしながら声を待つ。武装、演習噴進弾のみ。ないも同然だ。じゃあ戦意、 いや、勇気は……。

「我々は努力をしてきた」
「そうだね」

「今まで我々は努力してきた。恥を忍びながら」

舞は、静かに言った。この期に及んでなお、言葉は震えていなかった。

「それは十分ではないかもしれん。だが、それでも、私は思う。我々の努力は無駄だったのか」
「……いや」

速水は言った。もう一度口を開いた。降りろとだけは言われないように。

「いや、無駄じゃない。今僕たちが、一番可能性が高いはずだ」

 舞は顔をあげた。その瞳は大海のように輝いた。
「そうだ。我々は我々ができることをやってきた。今もそうだ。機体を動かせ。速水」
「もう動いている」

 心底ほっとして速水は言った。どうやら僕は邪魔ではないらしい。あるいは怒りで冷静な判断を失っているだけかもしれないが。
 速水が舞の意志に沿おうと思ったその瞬間、士魂号は戦闘システムに移行、他を押しのけながら堂々と動き出していた。

「僕たちの機体は、言葉よりも速い」
 僕が生き残るためには、この人の生存が大前提だ。速水はそう思って自分をごまかした。

「武装、なし。勇気はある」
「交戦する。避難完了までの時間稼ぎが最低勝利条件だ」

 醜く不格好な道化の侍は、しかし魂は侍だった。その名の通り。
士魂号複座型練習機仕様は、感動的なまでに自然な動きで猛獣用の檻に手をかけた。
いとも簡単に鉄棒を引き抜き、横桁をひきちぎり、太陽を手にするように頭上に手をあげて長い鉄棒をくるくる廻すと、 槍のように構える。幻獣ケンタウロスと向き合う。

 それは長い長い時と世界を越えて、善き巨神があしきゆめと再び対峙する歴史的、否、伝説的な情景だった。


 ののみにかばわれるように抱かれたまま、ブータは丸い目を一杯に開けて、伝説が歩いて戻って来た様を見上げた。

(ホモ・ギガンテス・メガデウス)
(ホモ・ギガンテス・メガデウスだと?)

 それは鳥乙女を肩に乗せて戦う巨神だった。善き神々とともに幾多の戦いを共に戦った、伝説のよきゆめ。

 姿形は変わり果て、ずいぶん余計なものがついているような気がしたけれど、ブータはその中に、古い古い戦友を見た。 覚えていないくらい昔と同じように、それは子らを守って奮戦していた。しようとしていた。

 それはブータを叱咤するように、地上に光を呼ぶために死者の国から蘇っていた。


 限界まで開かれたブータの瞳に、舞い落ちるいくつもの黄金の羽根が映った。巨人の肩に乗った鳥乙女の羽根であった。
巨人のその何よりも太い腕に、星々の光を束ねて編み上げたティターン族の手甲が重なって見える。
 半分開かれたブータの口が揺れる。耳の奥には、声が聞こえる。他を圧して聞こえ始める武楽器の音を。神々の歓声を。

にゃ。
 声が漏れた。
(コンシダー・ステリ、コンシダー・ステリ! 星と共にある星、地上の星。思慮深き者。汝は死してなお信念を貫くか)
 ブータは母国語である長靴の国の古語でつぶやくと、大きな目に涙を溜めて、生きてあきらめる己を恥じた。 死者すら信念を貫いているのに、なぜ老いた程度で我は諦めていたのかと、己を恥じた。

 それは何も変わってなかったのだ。ただ時間が過ぎただけ。ブータはこの瞬間、己の周りを漂う幾千万のリューン達が そうささやいていたことに初めて気づいた。
 失われたリューンを補おうと、ブータが下を向いている間に世界が懸命に歌っていたのだった。

 士魂号は金切り声のような音を立てて過吸機を全開に廻すと、勇気にまみれる人工筋肉を膨れあがらせて 酸素と言う酸素を貪欲に消費し始めた。
 そして走り始めた。前傾になる。地から脚が離れる。

飛ぶような速度で、突撃をはじめた。

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 狭いコクピットの中で、速水は照り返されるインジケーターの光に瞳を輝かせた。
その瞳は、正真正銘の青だった。壮絶な揺れで頭が何度もシートにぶつかる。首を固定するヘルメットがなければ 、気を失っていたろう。速水は舌をかまないように慎重に口を開いた。

「格闘戦なんかやったことないよ」
「誰にでもはじめはある」

 舞は堂々と答えた。いつもの通り。その横顔は誰よりも誇り高かろう。その様を想像して前席の速水は微笑んだ。 勇気が、湧いた。
「そうだね」
「体さばきはそれなりに訓練してきた。操縦をこちらにまわせ、私が行う」
「練習機にもいいところがあるね……これが複操縦装置がない突撃仕様ならできなかった。……僕はどうすればいい?」
「トリガーをまわす。適切なタイミングで槍をつけ」
「分かった。模擬ミサイル、使っていい?」
「何に使う?」
「それは今から考える」
「わかった」

 士魂号を通じて感じる、一緒に舞と走っているという感覚が、速水の気分を高揚させた。
善行に勝ったという気分になる。降りればどうか知らないが、今この時だけは、彼女を独占しているという気分になる。
 最悪でもこの人と一緒に死ねるなと、そう思った。そんな人生は悪くないと、速水は心の底からそう思った。

 この一戦、最悪でも幸せだ。

 速水は、嬉しそうに微笑んだ。もはや俺個人としてはどう転んでも負けはない。俺の最低勝利条件は満たした。 あとはどれだけ上を取れるかだった。
 とりあえずは彼女の生存だけを考えようと速水は思った。後は背中の大人物が、舞がどうにかしてくれるはずだ。 無茶で無謀なこの人だが、こういう時に頼りになるのは他の誰でもない。

 後席から舞の声がした。
「全感覚投入。薬剤投入用意。カウントダウン省略」
「いくぞ」

 次の瞬間、速水の感覚が奪われた。士魂号が全操縦の主導権を握ったのだった。
速水は意識を失うその瞬間、無限の星空を見る。

 この星空を、芝村も見ているのだろうか。

 速水は、そう思った。

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 士魂号は体当たりをするように幻獣ケンタウロスに突っ込んだ。
ケンタウロスが身をかわす。

だがしかし。

 士魂号は、伝説の巨人はそれを予想していた。
狙い過つことなくその赤い瞳に鉄棒を突き込んでいた。

吹き出る幻の血。
士魂号は血の雨の中を走りぬけた。


 白熊が入れられていたコンクリートの壁を蹴って跳躍し、身を翻して再びケンタウロスの前に立つ。
 鉄棒はケンタウロスを貫いたまま。士魂号は徒手空拳だった。
だが、頼もしかった。それを見あげる猫にも、動物にも、人間にすらそれは涙が出るほど頼もしかった。

 本田は腕を組んで、隣の善行に言うでもなく、口を開いた。
「命令違反だな」
「命令が伝わってません」
 善行はそう返した。言葉を続ける。

「この場合はその部署の最先任が最善の行動を取るのが軍隊です。芝村さんのほうが半年近く先に生まれていますから、 彼女の判断が日本国の決定にて我が軍の決定ですよ。軍は市民の保護を優先させた。それだけです」

 本田は善行の表情を伺おうとしたが、伺いきれなかった。幻獣の攻撃を一手に引き受ける士魂号に、 心を揺り動かされたからだった。
「……まあ、それなら死んでも英雄だな。……しかし。戦車だ。戦車じゃねえか。あれは」
「戦車ですね。この気持ちは」
本田のつぶやきに、善行は答えた。眼鏡を取って涙をぬぐう。

 本田は善行を見た。
「どうする、善行、撤退するか?」
「……味方に戦車があるなら話は別ですね。戦い方もある」
 善行は言った。クラスメイトを向く。

「友軍が戦っています。我々のクラスメイトが、味方が、戦っています」

 憧憬の眼差しで士魂号の自然な動きから無理矢理目を逸らした滝川は、善行に口を開いた。震えは、止まっていた。
「やれることは、俺達がやれることは? あれには俺の親友が乗ってるんです」

 壬生屋と瀬戸口が口を開いた。
「わたくしも、助力したいと思います。芝村さんには借りがありますから」
「俺も乗るか」

どこからともなく現れた半裸の中村が頭をかいた。
「おっも参加しようかね」

善行は笑った。
「よし。今から指示します。一瞬の気を引きましょう。我々には戦車がある。それで十分のはずです」

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 坂上は萌に軽く頭を下げると、幻獣と対峙する士魂号を見た。
口を開く。

「戦車と言うのは、人の心の上にだけ存在する虚構の存在です。安全だろうという、ただそれだけ。だが命を賭ける人間は、 それを欲しがる。前に出ろと言われたとき、一緒にいてほしいと思うから」

 坂上はサングラスを取った。目を細めて、萌を、その中に残る影を見る。

「どんな戦いにおいても、戦うのは人間です。人間は心の生き物です。だったら……だったら戦車と言う名の陸戦の帝王は 結局、人の心にもっとも強く残る存在でしょう。もっとも鮮烈に心鮮やかに、己に降りかかる危険を一手に引き受ける、 そんな存在でしょう」


 坂上は見上げた。士魂号。徒手空拳の士魂号。だが坂上は思う。これがなければ、自分は冷静に解説などできないだろうと。

「あれは戦車ですね。それも、かなり素質のいい」