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 善行は少し離れると、この頃はまだ禁止されていなかった携帯電話を取り出して、何事か話した。

「それじゃあお願いしますよ。はい、それでは、後で」
通話を切って携帯電話をポケットに入れる。

「坂上先生、臨時指揮車は?」
「あかぎ屋から借りてきました」
 あかぎ屋とは近所の酒屋である。主人が大変な走り屋で、そこの軽トラックはエンジンの換装から足回りの強化まで されていると近所の評判だった。臨時指揮車とはなんのことはない、その軽トラックのことである。

「ではナンバーの追加と無線機、モニターの追加をやりましょうか」
「瀬戸口くんや中村君にしてもらえば良かったのでは?」
「今日は日曜なんですよ」
「……芝村さんと速水くんは特別ですか」
「ええ、特別です。今のところ一番戦力になりそうなんでね」
「その程度の日曜なんですね」
 坂上の軽い非難の響きを聞き流して、善行は口を開いた。
「人を失望させるのが、私の仕事の一つなんです。いそぎましょう」

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 本田はいつにも増してド派手なレザースーツに身を包んでいた。
腕を組んだまま、速水と舞を見る。

「よおし。今日ははじめての路上教習だ。こけたら人が死ぬからな。気ぃ入れろよ!」
「はい」
「わかった」

「よし! テントへ駆け足! 起動までのタイムはいっつも通り計測する!」

 速水と舞は並んで走った。
走りながらウォードレスの人工筋肉をクールからホットに変更する。そうしないと人工筋肉の重みで、 速水達の体力ではまともに走れなくなるのだった。
 舞が瞬間苦しそうな顔をしたが、速水はそれに気付かない。速水も苦しかったからだった。滝川や壬生屋は平気そうに ウォードレスを着るのだが、速水はどうもこれが好きになれない。骨が悲鳴をあげるような気がする。
 少々の痛みを笑顔で吹き飛ばし、速水は舞に言った。

「まさか士魂号で動物園に行くとは思ってなかったよ」
「人型の汎用性、柔軟性をアピールする良い機会だろう。動物園まで行って帰ってこれる稼動性のテストも兼ねていると思う」
「なるほど。でも本当に活躍できるのかな?」
「それを見極めたいのだ。善行も」

 整備テントの中に入る。
中には釣り下げられた士魂号複座型練習機仕様が眠っていた。

「速水」
「分かった」
 速水はウォードレスで強化された筋力で文字どおり飛ぶように士魂号の脇に取り付けられたタラップを駆け上がると、 その背のメンテナンスハッチを開けて、スイッチを押した。
 胸ポケットの下が、少しだけ揺れた。光が漏れる。

舞は整備テントに備え付けられていたコンソールを素早く動かした。
少しだけ表情を歪めると、士魂号を見上げて声をあげる。

「起動用意」

 舞の声に反応した士魂号は、自動的に起動シーケンスを開始した。
2000を越える駆動系と3000を越える自立制御系を確認し、相互が連携を取り始める。 120を数えるプリウォーキングチェックの119個までを士魂号は自らの手で7秒と半分でやってのけた。
 全身に張り巡らされた神経伝達路を伸ばせば日本列島を縦断する。それが士魂号という戦車であった。 壊れやすいと言われても仕方ない複雑さである。

 テントの各所に備え付けられた監視モニターに起動画面が浮かびあがる。
それは黄金の踊る文字であり、文字はこの不格好な侍が目覚めたことを示す証であった。

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OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・ OVERS・OVERS・OVERS・OVERS

−なぜ わたしにはなまえがないのだろう?−

OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・OVERS・ OVERS・OVERS・OVERS・OVERS

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 暗闇の中から浮かび上がるような黄金の文字列を見た後、速水はコクピットに潜り込んだ。
士魂号複座型の乗員ハッチは3個所。通常は背中の主ハッチから乗り込む。
速水が開いたメンテナンスハッチは、この主ハッチの脇にあった。

 速水が席について六点式シートベルトをつけ、首筋に装備されたウォードレスコネクターにケーブルを接続し、 左手に埋め込まれた多目的結晶体を受容体にかざす頃には舞もコクピットに乗り込んでいた。
 首筋に刺されたケーブルのために速水は振り向けなかったが、腕に影が落ちたからわかった。臭いこの空間では、 匂いでは何がなんだか分からない。

 舞は瞬く間に最後の起動シーケンスを実行。士魂号は最後のパーツであるところの人間、パイロットを認識して それが正しく動いていることを確認。システムの中に組み込んだ。
舞は声、すなわちボイスコマンドでハンガーからの切り離しを命じる。

士魂号を釣り下げるアームが外れ、クレーンゲームの景品よろしく士魂号は着地した。
 腰を沈め、ついで立ち上がる士魂号。



 速水は首を完全固定する専用のヘルメットを被りながら、舞に声をかけた。
「あれ、なにかのなぞなぞ?」
「知らぬ。だが、実害はない」
「ちょっと恐くない?」
「私は調べられるだけ調べた。それで分からない上に実害がなければ、どうしようもない。それはそういうものだろう」

 士魂号と自らを通じるケーブルや結晶を通じて舞の表情まで伝わったのか、速水は苦笑した。

「……あー、なんとなく分かるよ。僕もそんな感じだから」
「何か他にあったのか?」

 いや、君と出会ったときもそう思ったんだ。とは速水は言えずに、結局あいまいに笑ってごまかすことにした。

「でも、不思議だね。あんなのが出るなんて」
「大方、開発スタッフのいたずらだろう。査収検査の時は現われないようにタイムリリースをかけていたに違いない」
「なるほど」

 良くある話だ。舞は、そう言った。



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士魂号は、ゆっくりと首を動かした。

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 士魂号はゆっくり歩き出した。
人型とよく言うが、複座化にあたって後方に長く伸びた胸部分をバランス良く収めるために、本来の位置から前方に 1mオフセットされたこの複座型は、厳密な意味では人型とは言えない。
 腕が身体の中心線から外れて前方に位置しているからだった。

 特に横から見るとその特徴が顕著に現れ、ひどく不格好に見えた。
侍の魂と言うにはあまりに不格好。公道を走らせるためにつけたナンバープレートが、似つかわしくなかった。

 頭の位置に装備されたレーダードームが回転をはじめる。

テント入り口の幕を右手と左手で開いて士魂号が現れた。
 本田教官がにやりと笑いながら腕時計を見る。
通信機のスイッチを入れた。

「ようし。また新記録更新だな。2分フラット! 右向けぇ! 右!」
右を向く士魂号。

 本田は本田に寄り添うに止まった軽トラックの荷台に乗り込んだ。
上機嫌に笑ってマイクに声をあてる。

「戦車前進!」

 士魂号複座型は歩き出した。軽トラックを伴って。

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 士魂号複座型練習機仕様は、快調だった。
絶好調と言ってよい。

 士魂号の体の内側、コクピットに座る速水は、その外側から流れてくる規則正しい呼吸音を聞きながらそう思った。

 後席の舞が、口を開いた。後席からは股越しに前席が見える。
「何を驚いている」
「いや、すごく調子よさそうだから」
「以前から少しづつ良くなってきていたはずだぞ。整備をすればその結果が出る」
「一昨日乗ったのが、滝川が主に使ってた奴だったからかな? いつのまにかこんな差がでていたなんて」
「それだけ完動が少ないというところだろう。実戦が思いやられる」

 速水は速度をあげてもいささかも息が上がらない士魂号の強心臓に目を見張った。
指を広げ、自分の思う通り寸分の狂いもなく動くそれに衝撃を覚える。

「……これは、これはすごい。……足が軽いよ! 信じられない」
「当然だ。そなたの足の運びに合わせてプログラムしたのだ」

 速水が意図的に別のことを考えても、士魂号は最初に企図したことを正確にトレースした。 つまりは動物園に向かって歩き始めた。
 変な感じ。今や速水はただ乗っているだけで、考え、動いているのは士魂号そのものだった。 信号を前に綺麗に止まる士魂号。無意識に道を通る蟻の列を踏まぬように足をとめた。

「魔法みたいだ」
「この世にそんなものがあるか。あるのは一つ。ただ努力する人間がいるだけだ。今ある環境を変えようと、 奮闘するただの人間がいるだけだ」
 舞は堂々と言った。いつもの通り。それを言う舞は大層格好よかった。速水にとって残念だったのは、自分が前席で、 舞のその表情が見えなかったことだった。

 速水は、その代りに言葉を反芻した。ただ努力する人間がいるだけだ。か。
何かに似ていると思う。どこで見たっけ。

 ああ、そうだ。土煙の親切な人だ。あの人も滝川が見るアニメに出ていそうだった。

 速水にとって幸運だったのは、特売のレタス並みにヒーローだか魔法使いだかが周囲に出没していた事だった。
 そして思った。世の中は不思議だ。そのまま、思った事を口にだした。

「僕から見ると、魔法を使っていそうな人に限って魔法を否定するんだけど」
「魔法を使っていそうな人は種も仕掛けも知っているからそう言っているのだ」
「なるほど」
 速水は夢のない話だと思ったが、手品師や魔術師も、テレビに出ている時以外ではきっとそう言っているのだろうと思った。 いつも夢を見ていることはないだろうと思う。



 道行く人が衝撃的な表情で士魂号という名の巨人を見上げる。
大方の文民にとって、歩く戦車を見るのははじめてだった。

 士魂号のデイグロウオレンジに塗り上げられた肩が輝く。

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 徴発してナンバーを追加装備した軽トラックの荷台から……そうしないと、法律上荷台に乗れない……善行と本田は、 オペラグラスと軍用双眼鏡で並走する士魂号を見ていた。

善行が鼻を鳴らす。

「全般的に調子よさそうですが、時々不正な挙動をしますね」
「ああ、なんだありゃ」

 善行や本田の位置からでは、士魂号が蟻やミミズ、木の葉の裏に隠れたテントウムシを踏まないように歩いているのに 気付かない。
 そもそも善行もパイロットも、この人型戦車では足元など見えないと思っていた。
彼らはある意味、自分のことを棚に上げていた。自分だって足元を見たりしながら歩くことは普通ないのである。 彼らは人型の本来持っている力を軽視していた。

 士魂号が、時々少しだけ足をずらしてとまる。ペースをあげたりさげたりする。
善行の目から見れば不正挙動。だが士魂号は、そんなことを一切知らぬように正確に動作を続けていた。
 士魂号はパイロットの意志を完璧なまでにトレースしていたのである。
速水も舞も、本来的に殺戮、戮辱を望まない性格だった。

 使い手がそれを望まない限り何者も傷つけない戦車。磨き上げられた名刀のごときその力を皆が自覚するのは まだ少し後のことになる。

 今の時点では、もっとも先見の明に優れた善行ですら、歩兵直協でしか士魂号の使い道を考えていなかった。

「やはり長距離進軍は難しいですか」
「どうかな。動かし始めて二週間の練習生があれだぞ。一月後は想像したか?」
「なるほど」
 それだけ練習する期間があればいいんですが。
善行は眼鏡を指で押してそう思ったが、結局何も言わなかった。

本田は髪を揺らしながらマイクに声をあてた。
「速度をあげるぞ。時速70kmだ!」

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「時速70kmだ。速水」
「速度計なんか、ないよ」
「それは本田も分かっている。感覚でやれ。並走している指揮車から指示が来る」
「分かった」
「70kmでは振動に身体がもたない。全感覚投入。薬剤投入用意。カウントダウン省略」
「はい」

 直後に速水と舞は意識を失った。
首筋に注射針が打ち込まれたのである。

 直後に士魂号の動きがさらに滑らかになった。
これまで半分の制御機能をパイロットに明け渡していた士魂号が、ついに全システムを、パイロットも含めて掌握したのである。

 士魂号にとってパイロットは、あくまで士魂号というウエポンシステムを構成する部品にしかすぎない。 パイロットを部品として認識し、これを完全にシステムに組み込んだことで士魂号ははじめて一個の戦闘単位になる。
 いまや士魂号こそが判断し、士魂号が思い、行動する。

士魂号は本田の声を聞き流しながら風を感じた。
 足を速める。交互に差し出す足は際限なく速くなり、最後には飛ぶように跳躍を繰り返した。