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リターントゥガンパレード
第13回(前編)

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 呆然と裕の姿を目で追っていた加藤は、我に返ってなっちゃんを揺さぶった。
「なっちゃん。なっちゃんっ!」
「……その呼び方……やめろ」
「……よかった……あ、うん。狩谷くん」

 なっちゃんと呼ばれていた狩谷は、落ちた眼鏡をかけながら――レンズが割れている――自分の動かない細い脚を見た。 憎い憎い脚だった。

 脚を見ながら、狩谷は痛みと憎しみから意識を現実に戻した。意識混濁から回復したのだった。口を開く。
「何が、起きた?」
「あ、あんなぁ親切な人やってきて、不良、やっつけてん」
「それより」
「でもなんか、なんか、あれ、非現実なもんだったわ。お話の中から出てきたみたいやった」
「非現実……だって」
 早口で説明する加藤に、狩谷はうめきながら答えた。
うめきは、加藤の萌黄色の女子高の制服が、肩口から破れていることについてだった。
指形がはっきりついた、加藤の白い二の腕を見ながら、狩谷はまた自分の動かない脚を憎んだ。

「格好いいタコみたいだったわ」
 狩谷は一瞬毒気を抜かれた。
「……確かに非現実的だ。いや、そんなことはどうでもいい。それより……お前、怪我ないか」
「あ、うん、大丈夫。……大丈夫。なっちゃん。病院いこ、血ぃ、出とる」
「その前に、こいつらを警察に突き出してからだ。それと、着替えろ」
「そんなんどうでもいいやん。病院いそご」
「どうでもよくない!」
 お前をこんな目に遭わせた奴だぞと狩谷は続けようとしたが、狩谷は加藤の怯える顔を見て、言うのをやめた。 不良も自分も同じだと、自己嫌悪した。
「……すまない」
「う、うちこそ、ごめんね」
「いそげ、奴らが起きる前に警察呼ぶんだ」
「うん。あ、でもなっちゃん、今日から学校やろ?」
「そんなの後からだっていいだろ! ……あ、いや、それも奴らにやられたのか?」
「え?」

 狩谷は加藤の髪を指さした。青い薔薇が一輪、髪にささっていた。
「なんて趣味の悪い奴らだ。捨ててしまえ」
「あ、え、う、うん。でも、近くにゴミ箱ないし、あは、あはは」
 加藤は、いそいそと髪から青い薔薇を外すと、狩谷に見えないように背に隠した。
「うち、警察、呼んでくるから」
 狩谷は自分の上着を脱いで、加藤に投げて寄越した。その腕を他人に見せたくなかったのだった。

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 その頃、格好いいタコみたいなのは、長大な土煙を上げながら次なる出番の場所へ走った。
長い髪を風になびかせ、汗を浮かべながら手を脚を高く跳ね上げて暗い裏路地を疾走する。

 懐から奇妙な白いつなぎを出し、跳躍して黒服を脱ぎ、着地する頃には着替える。
頭を振れば髪が短くなり、手を顔の前に左右させれば化粧が施された。

 裕は裕からもう一つの役柄に変化する。そう、すなわち……

「フフフ、来須ですネ!」
違うだろ。

 岩田は、嬉しそうに長い手足と舌を揺らして低空を飛ぶように走った。

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一方その頃。

 朝なのに暗い場所は、裏路地だけとは限らない。
その部屋は寒く、明かりはささず、呼吸する音すらはばかられるような静けさだった。
 薄ぼんやりと見えるのは、テーブルを指さす、女の手。

「死の姉妹が、あんな表情を」

 不鮮明な上空からの偵察写真を引き伸ばしたものを見ながら、暗闇から現れた黒服の女は悲しそうにつぶやいた。

 速水が見れば怒るだろうが、それは、壬生屋の手を取って凛々しく歩く舞の姿であった。
当然速水の怒りは、なぜ自分と舞の組み合わせで映っていないのかである。

 黒服の女は、口に手をあてて鳴咽を漏らした。長い睫が伏せられる。
「あの娘が不憫で不憫でなりません。あの娘は良い娘なのです。あの娘ほど殺しの技を上手に覚えた娘はいません」

 やはり黒服を着た背の高い浅黒い肌の娘が、写真に爪立てながら言った。顔を傷つける。
「男達に嬲られればいいでしょう」
「謡子。なんてことを言うのです。……女のことは女が片をつけるべきなのです。至高墓所の中は、女が決めるのが掟」
「しかし舞は墓所より出ております。神楽姉様は、舞が男の掟で裁かれると決めたわ」
 別の黒服の女が、年長の女に言った。年長の女は、頭を振る。
「神楽はまだ小さいのです。あれはただ、妹にすねているだけ。踏子を送りましょう。踏子、これへ」
「御前に」
 長い髪を三つ編みにした黒服の女が、うやうやしく礼をした。
年長の女はそれを受けると、手を伸ばして踏子に声をかける。

「舞を連れ戻すのよ。大家令が動く前に、舞を至高墓所に戻すのです」
「大姉様。これは個人的な言葉だけれど、死の姉妹が、殺す以外の仕事をするのはぞっとしないわ」
「脳さえ残っていればいいわ。後は、作り直すから。元々あの娘には新しい身体をデザインしていたのよ。 あの娘が大人になるとき、贈ろうと思っていたの。あの娘の才能に相応しい、完璧な死を呼ぶ舞踏の身体を」
「そばかすの浮いた特殊戦タイプね。あの身体、遺伝子が安定していないと聞いていたけれど……ふむ、脳だけか ……それなら殺しになるわね。了解しました」
「クローン五千体から選んだ完璧なものよ。ああ、私のかわいい竜。その腕で幻獣達を無残に殺していくのよ」

 大姉様と呼ばれた年長の女は、うっとりとつぶやくと、テーブルの上の写真をなぞった。

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 一方その頃。広大な朝の中庭では、老家令ミュンヒハウゼンが、居並ぶ若い家令とメイドに戦闘術を教えていた。

 長い棒を持ち、片眼鏡を揺らして黒い服を着た家令の列線を歩き、次々と姿勢の悪い者の姿勢の悪いところを叩いて修正する。

 片眼鏡を光らせながら、静かに言った。
「常に紳士、淑女たりなさい。万能家令、万能ねえやである前に、我々は紳士、淑女であるべきです」

 ミュンヒハウゼンはそう言いながら、服装のわずかな乱れをも指摘し、容赦なく棒で叩いた。

「エレガントに。エレガントに! いついかなる時も、服装を正しなさい。まず形から入るのです。そして心から、 らしく振る舞いなさい。たとえ死んでもらしく振る舞うのです」

 そして懐から一輪の薔薇を取り出した。
あわせて懐から薔薇を取り出す家令達。百合を取り出すメイド達。
 うまく花を出せずにあせる者達を容赦なく棒で叩きながら、声をあげる。
間違って金ダライを出した、青い髪をしたメイドを大きく叩く。メイドがかけていた眼鏡が割れた。

「屋敷でふんぞり返り、政争を繰り返す、地下で墓を守る者達が芝村ではない。我々こそが芝村、芝村を動かすのは、 我々家令団です。我々こそが芝村の足であり、血であり、この名前のない青い血が流れることで、世界は動くのです。 ……エレガントに。エレガントに!」

 手を叩いてテンポをとりながらミュンヒハウゼンは一人分席の空いた場所を無視して、隣の金髪の大男を見た。 上から下まで。完璧だった。
 満足したようにうなずくと、ミュンヒハウゼンは大声を出した。

「よろしい。今日はこれまで、各自、学校へ行きなさい!」

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 懐からハンカチを取り出すと、ミュンヒハウゼンは汗をぬぐった。
自分は年を取ったと、そう思った。
 元気が良いのは人間だけだ。そう思う。神々は力を失った。

「うむ? どうしたのかね、クルス君」
 近づく金髪の大男に、ミュンヒハウゼンは意識を向けた。
金髪は、ぶっきらぼうに言った。
「裕が、いない」
「裕君がいません、ですよ。ふむ。それは私も気になっていた。私が教えた中でも最高の生徒で、 皆勤賞も目前だったのですが……」

ミュンヒハウゼンは、必要最小限のことしか言わない金髪を見た。
「君も、口調さえ直れば完璧です」

 金髪は何も言わなかった。黙って頭を下げると、背を向けて歩き出す。
用件は終わったと言わんばかりであった。伝えるのが必要だったのか、消息を確かめたかったのか。 それはミュンヒハウゼンにすらも分からなかった。
 嘆息するミュンヒハウゼン。最近の子は分からない。

「ミュンヒハウゼン!」
「は、こちらに」

 今度は主人が呼ぶ声がして、ミュンヒハウゼンは走った。
走りながら、思考を切り替え、長い棒を懐に戻した。上着を見るとまったく分からない。
「いかがでございましたかな。お嬢様」
「結局、自分の実験素材を手放したくないだけよ。幻滅したわ」

 彼の主人は踏子と言う。三つ編みの女であった。

「あまり大きな声を出すと、後がうるさいですぞ」
「盗聴は貴方がつぶしているのでしょう?」
「それはもちろん」
「では、気にする必要はないわ」
「末姫様はどのように」
「死ぬより哀しい目にあいそうね」
 ミュンヒハウゼンは唇をかんだ。主人達の中では、もっとも心優しいと評価している芝村だった。彼女が出奔した後は、 心優しいに加えて凛々しいという評価を付け加えている。
「……それは、悲しゅうございますな」
「貴方は一度でもその手に抱いた子供は絶対に忘れないのね」
「私の髭を引っ張ったのはお嬢様と末姫様だけでございます」
「私の方は一体何百年前の話? ……ふん、いいわ、私、心優しいもの。舞は殺してやるわ。それならいいでしょ?  万死に値するところを、一回で終わらせるんだもの」

 ミュンヒハウゼンは、うやうやしく頭を下げて表情を隠した。
末姫様を守る者が必要だ。そう考えたのは、この時だった。