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翌日。

「皆さん、おはようございます」

 善行は自腹で買ったカラオケマイクに声を当てた。
気のない返事をする面々。あくびをする者もいる。
 寝ているものもいた。ののみだった。

 善行はののみの寝顔を見て微笑むと、大人の度量を示す事にした。
前日、多くの者が徹夜で新しい戦車のセットアップにかかりきりになっていたことを知っていたのである。

「三月も終わりが近づいてます。今日も、いい日和ですね」

 幽鬼の如く手をあげたのは、滝川だった。
「花見、やりましょう」
「そうですね、自粛する前にやるのも一つですね」
「自粛ってなに?」
速水は、舞に尋ねた。
舞は半眼のまま口を開く。
「日本独自の風習だ。相手に気兼ねしてお祭り騒ぎをやめることを言う」
「なにか、気兼ねするようなことがあったのかな」
「……八代会戦の損害から、幻獣がいち早く戦力を立てなおすことに成功したのだろう」
「幻獣に気兼ねするの?」
 舞は、半眼のまま速水を見た。
速水は上体を揺らしている。舞はため息をついた。
「たわけ。とりあえず、体力を回復させるがいい」
「……うん」
 速水は、自分で作ったサンドイッチを取り出した。
今日もサンドイッチだった。今のところ、サンドイッチしか作れない。
 舞は、同じ姿勢のまま言った。

「というか、休め」
「……うん」
 速水は、隣の席に座る舞の姿が見えるように手枕して、嬉しそうに微笑むと目をつぶった。
 少しだけ顔を赤らめてたわけと言う舞。
速水が丸まって寝る毛の長い子犬に見えたのだった。シーズー。シーズーは良い。と、心の中で断言する。 これまた速水が知ったら怒りそうな内容だった。

 そんな様を見まわして、椅子を傾ける男がいた。
「やれやれ、参ったね。元気なのは、俺だけか?」
 瀬戸口だった。
隣の中村が腕を組みながら言った。
「お前は昨日おらんかったろうが。俺は元気ばい」

 教壇に立つ善行は中村の体力に見るべきものがあると思った。
やはりこいつは下士官向けだと考える。

 それにしても。善行は考える。この体力では熊本が本格的に戦場になった後が危ない。
 いや、そもそもこんな子が戦場に送られるほうがおかしいのだ。善行はそう思い、ついで小隊付き戦士が着任したら 基礎体力を徹底的に鍛えようと考える。だがとりあえずは、目の前の事態をどうにかしないといけないと考える。

「しかし困りましたねぇ。まあいい。分かりました。今日は五限目まで休みにしましょう」
「しかし、それでは規律が」
 胴衣姿の壬生屋が眠いので恐い顔してそう言ったが、そもそも胴衣姿という時点で説得力に欠けた。
 笑う瀬戸口を恐い目でにらむ壬生屋。ウインクで返す瀬戸口。

「壬生屋さん、後ろを見ない」
「あ、はい。すみません」
「壬生屋さんが言う事はもっともですが、今無理する必要はありません。無理は別の機会に、嫌でもさせますよ」
 善行はカラオケマイクのスイッチを切って、ののみを起こさないように言った。
「ということで、皆さん寝てください」
 皆は気のない喜び方をした。

「あ、でもその前に、新メンバーの紹介です。狩谷君」
「はい!」
「静かに」
「あ、はい。すみません」
 普通は元気良くするべきなのに、妙だな、と狩谷は思いながらドアを開けて車椅子を走らせた。

「予備パイロットの狩谷君です」
「こんななりですが、一生懸命がんばります。よろしくお願いします」

 音を立てないようにした小さな拍手。
善行は教室の外の女子生徒を見る。制服からして他校の学兵のようだった。
「それで、君は?」
「あ、あの、うち付き添いです。1192、靴博士(ブーツドクター)小隊の主計、加藤言います」
「帰れって言っただろ!」
「うー」

 ののみが目をつぶったまま、眉をひそめてうなったので、善行は笑うと狩谷の肩に手を置いて静かにさせた。 加藤に声を掛ける。
「なるほど。ありがとう加藤さん、1192の小隊長には後でお礼を言っておきます」
 善行はそうやって、恐らく遅刻するであろう加藤が怒られないように配慮を示した。

「おおきに、おおきに。隊長さん」
「いえいえ。事情は聞いています。昨日は大変でしたね。彼は大事にしますよ。原隊に帰りなさい」
「はい」
 加藤は先ほどよりも嬉しそうに笑うと、大きく頭を下げて階段を降りていった。

 何が悔しいのか、悔しそうに下を見る狩谷に、善行は母親参観された気分だなと思いやった。
笑って肩を叩いてやる。
 同じ男のつもりだった。気持ちは良く分かる。

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「なっちゃん、よかったなあ。あんな優しぃ隊長さんっ、見たことないわ。良かった。良かった。今日はエエ日やで」
 嬉しそうに息をはずませて、加藤はプレハブ校舎を出た。
次の瞬間、長大な土煙を上げ、凄い速度で走り来る人物を見て、はっとする。

 すれ違う。

 格好いいタコのような姿。

「え?」

 加藤は振り向いたが、もう姿は見えなかった。
立ち止まる加藤。

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 加藤の上空に岩田はいた。
岩田は銀の輝きを残して跳躍していたのである。上空から見れば、振り向く加藤の足元に、タコのような踊る影が映っていた。
 岩田は加藤を見下ろすとそのまま無視し、空中で回転し、プレハブ校舎二階の欄干に足を引っ掛けて着地する。
 身体を天に反らし、片足で立ったまま残るもう片方の足を水平に大きく回転させ、曲がるつま先で器用にドアを開けた。

「フフフ、本伝から外伝に出張です!」
 全員が口に指を当てた。
「あ、シオネ5クローン8番はお休み中ですね、ククク」

 岩田は上体を戻した。腕を組む。

「フフフ、ハハハハハハ。イーヒッヒッヒッヒッ! ククク……」
 高笑いする岩田。突然静かになる岩田。右手の平を舞、否、その隣の速水に向けた。
そのまま手首を二度曲げて、ファイティングポーズを取る岩田。

「その通り、私がこのゲームのラスボスです。さあ、カモン! カモン!」

 静かな場。
無言で首をかしげる岩田。
 滝川と瀬戸口に背を押され、代表になった速水が、優しい苦笑を浮かべて岩田に言った。

「あの、やっぱり、まったく同じギャグ二回はつらいと思うよ」
「は?」

「昨日坂上先生のところから戻って来た時、そんなこと言ってたよね。私がこのお話の最後の悪役です。ヘイ、カモン!  カモン! とか」

 岩田は壮絶に血を吐いて倒れた。
 動かなくなった……。

 呆然とする速水。事態が分からず、左右を見る狩谷。頭を抱えて口を開く善行。
「貴方はなにが言いたいんですか……」
「フッ……あなたはどうやら、僕の嫌いな常識人ですねぇ? あーもう、イヤですねぇ!」
 岩田は操り人形のように、上からピアノ線が引いてあるような角度で立ちあがった。
「あの……」
「あなた、常識人過ぎます。せっかく生まれて来たのに、ああもうソンソン! ソンソンと言えばカプ……」

 速攻で立ちあがってダッシュした舞が派手に岩田を殴り倒した。
呆然とする速水。舞を見る。

「今のは?」
「自粛の代表例だ。急所を正確に突いた。しばらくは立てないだろう」

 速水の方を見てそう言う舞の背後で、岩田はゆらりと立ちあがった。
「芝村、危ない!」

 岩田は舞の背後で踊った。
「なんで私がデンジャラスなのです!」
「少なくともお前が出ると、まとまる話もまとまらなくなる」
「フフフ、ということで私としては速攻で人生をワタシ風にブリリアントでエレガントに改造することをお勧めします!  以上!  自己紹介終わりぃ、終わりぃ! アアンフンフンフンー!」
 舞の言葉を完全に無視して、岩田は言った。

 そして、砂場に面した窓を開けて、両手を広げて外に飛んだ。
 呆然とする一同。冷や汗をぬぐう中村。

「なんと恐ろしい……いくらクドい作品とはいえ、二回自己紹介やるとは……」
「お前、熊本弁はどうした」
 瀬戸口が言った。目を細めて考える中村。
「かー、たいがおそろしかねー。いっくらクドか作品ては言うばってん、二回自己紹介するなんてあろかい」
「言いなおすな」

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 長いため息をついた善行は、まだ冷たい春風が入ってくる窓を閉めると、気を取りなおすように皆を見た。

 眠そうに目をこするののみに、微笑む善行。

「ということで、皆さん睡眠とってください」
「俺は眠くないから、隣の悩みでも聞いてくるかな」
 瀬戸口はまんざらでもないという風に、自らの顎を指でなでる。
善行は眼鏡を指で押した。
「瀬戸口くんと中村くんと狩谷くんには別に仕事があります」
「あらら」
「楽しくやるのもいいですがね、最初の死人が出たら、そういう気分ではなくなりますよ」
 善行はさらりと言った。
「そうならないように、出来ることをやりましょう。瀬戸口君は各機体を繋ぐ無線機の調整。ついでにテレメーターも」
「了、解」
「狩谷くんはまず、神経系の基礎データとシートあわせ用の身体測定を整備に提出しなければなりません」
「はい。一応三ヶ月前のならありますが」
「その年齢では古すぎますよ。成長期なんだから。整備のところへ」
「はい!」
「静かに。中村くんは狩谷くんを下の階に運んでやってください」
「はっ。了解しました」
「その後は、寝ているこの子達の面倒を見てあげてください。休めるようなら貴方も休みなさい」
「はっ。可能な限り体力回復に努めます」
「ああ。それと、この子は特に面倒見てあげてください」
「ののみちゃんですか、何故特別に?」


「失礼しました。この子が小さいからでした」
「ええ、その通りです」
「すみません。軍隊にいると、当たり前のことを忘れます」
「ええ、お互いにね。単なる戦争の道具に堕さないよう、お互い注意することにしましょう。今日の試運転が終わったら、 明日、パイロット候補生の卒業テストをします」

 もうすっかりパイロットになった気分だった滝川が、げっ、と言った。青天の霹靂だった。
 中村が腕を組む。
「そうすれば次は初期作戦能力(IOC)の獲得検査ですね」
「ええ。なんとか三月の末日までには終わらせたいところです」
「無茶ですね」
「損耗率が高い新兵にやる機材があるのかと、そう言う話もあります。歩兵、やりたくないでしょう」
「命令ならやりますが、女子供を引きつれて突撃は嫌ですね」
「私もです。結構。では目的がはっきりしたことで動きましょう。ああ、そうそう」
「何か?」
「中村くん、君は出世だ。野戦任官扱いで昇進させる。下士官として僕を支えてください。以上、解散」
 中村は敬礼した後――帽子をかぶってないので頭を下げる普通の礼である――首をひねった。はて、出世するような 何かをしたろうか。