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「まて、委員長」
「どうしました? 芝村さん」

 珍しいこともあるものだと、善行は思った。善行が知る限り、芝村舞という人物は必要なことを 全部事前に準備しておくタイプだった。忘れ物をしたのだろうか。いや、そういう人物ではないな。そう考える。

「あのブーツドクターの女だが」
「ブラウニー部隊の人物ですね。その主計ということは、ああ見えて結構なエリートのようですが」
「例え雑用や補佐レベルでも、な」
 ブラウニー部隊とは建設工兵部隊のことで、夜間人知れずに道路の補修や秘密飛行場の作成、築城、 切断された電話線や水道管、ガス管などのライフラインの修復、地雷原の敷設や除去などを行う裏方部隊である。 戦闘工兵と比べると地味だが、生活に密着して政治や、軍のイメージに直結する分野を扱うだけに、それなりの行政手腕が ある者が集められていた。また、高官の子が兵役逃れで配属されることもある。

「それが何か」
「彼女をこの部隊に配属したい」

 善行はそうではないかなと、思っていた。
心の中で微笑む。彼女が猫の治療をしていたとき、そういう人物ではないかと思っていた。
 芝村にも人間臭いものがいる。そう思った。青臭いとか未熟と言えばそれまでだろうが、善行はそう思わないことにした。 結局のところ、私と同じ訳だ。そう考える。

「……私としては願ったりかなったりですが、どうやってやるんですか?」
「我が従兄殿を使う。動物園での戦勝祝いということにする」
「なるほど。元々政治的な部隊ですからね。交換条件次第で高官でない娘の一人くらい出すでしょう……しかし」
「なんだ」
「……当人達は、どう思うでしょうね?」
「感謝も喜びもしないだろうが幸せにはなる……そう思う」
「やれやれ、因果な人ですね。一人二人一匹二匹助けたところで大勢にはなんの影響もありませんよ」
「一人二人一匹二匹の集合が世界だ。私が役目を果たすごとに、目的に近づくだろう。後十億回もこんなことをやれば いいだけだろう」

 なんとも希有壮大な人だ。バカかも知れない。善行はついに口をほころばさせた。
「なるほど。おっしゃる通りですね。分かりました」

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 一方その頃。教室の中では善行と舞を二人きりにさせるものかと、舞を追いかけようとする速水の腕を、 滝川が引っ張っていた。

「速水、外行こうぜ。外。寝る前に俺、なんか食いてえ」
「あ、うん。でも、僕丁度外に出ようとしていたんだ」
「俺と一緒に外に出なきゃ全然意味ないじゃん」
「あ、いや、だからね」
「なに?」
「……いや、その何でも無いといえば何でも無いんだけど」

 瀬戸口は考え込むように速水を見つめている。なるほどね。やっぱり動物園のことはあの嬢ちゃんの実力だけじゃ ないってことかと考える。

「うお、いい天気!」
「滝川は空見るのが好きねえ」
「空、広いから」
「……なんやお前らしくなかね。だいたいそぎゃん空見よったら、そのうちUFOにさらわれて解剖されるばい」
「それ、浮殻科の幻獣だろ。あ、なんか光った」
「戦闘機じゃにゃあや? どこにあっとね」
「あれ、もう見えないや」
「目にゴミでも入ったっじゃ、にゃあとね」
「そうかも。まてよ。ナンでお前、外に勝手に行こうとするんだよ」
 速水は顔を紅くした。
「ト、トイレ、そうトイレに行こうと思って」
「あ、そうなの? それなら早くいえって、付き合うから」
「俺も行くばい。狩谷くん。いこか」
「ええ、下まで連れて行ってくれると助かります」

 中村は笑った。滝川と一緒に速水を捕まえる。
「そぎゃん他人行儀でなくてもよかて。ほら速水、お前も手伝いなっせ」

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 壬生屋は、徹夜のせいかいささか乱れた髪の状態で、席から立ちあがった。
上体が揺れる。
 瀬戸口は手を伸ばして壬生屋を支えた。

「あぶないぞ」
 壬生屋を引き寄せる瀬戸口。瀬戸口の胸の中で、顔を真っ赤にする壬生屋。離れようとするが、 瀬戸口が力を入れるので離れられない。意地悪そうに、好色そうに笑う瀬戸口。壬生屋は、瀬戸口の表情の中でも この顔が一番嫌いだった。
「わぁ、いいなあ。ののみも。ののみもねぇ。ぎゅー」

 何もわかっていなさそうなののみも瀬戸口に抱きついた。
笑う瀬戸口。

 中村が声を掛ける。
「感想は?」
「ずっとこのままで痛いね」
 誤植ではない。壬生屋の掌底で、下顎を突き上げられていたからだった。
瀬戸口は手を離した。壬生屋は瀬戸口の親指を掴んで引き寄せると、背に回して関節を決める。

「痛い、痛い!」
「みおちゃん、めーよ。いたいのはめーなのよ」
「今度から人を見てそのようなことをすることです」
「分かった……分かったって。乱暴な奴だなぁ」
「それを言うなら、貴方は狼藉者です」
 瀬戸口は聞いていない。ののみを見て笑った。
「ののみちゃん。ぎゅー」
「うん、ぎゅー!」

 壬生屋は木刀を瀬戸口の脳天に決めた。瞬間の早業だった。額から派手に血を出してぶっ倒れる瀬戸口。

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 かっちり二分と一秒で砂場の人型の穴から這い出した岩田は、そのまま整備テントに走った。

入り口の布を持ち上げ、逆光を背に声を上げる。

「フフフ、最強の援軍、登場です!!」
「遅刻もそういう風に言うと良く聞えるわね」

 徹夜で疲れた原の反応。
岩田は変な顔をして長い舌を見せて回った。

「フフフ、24時間17分の遅刻ですネ!」
「欠勤1遅刻1よ。おバカ」

 原はこめかみを押さえながら言った。
「でも、ちょうど良かったわ。みんなへばってたのよ。もう一息だから、がんばってね」
「フフフ、お任せください。そんな貴女にこれ、プレゼント」
「何? これ? 目録?」
「ククク、昨日集めてきた士魂号M、恍惚の補修部品達です。故障が一番多い膝の関節部分、交換用装甲板、 神経繊維を重点的に集めてきました」
「偉い、岩田くん!」
 原は喜色もあらわに顔を輝かせて、岩田の背中を叩いた。

「って、全部不良品と廃品じゃない。これ」
「名義上は。511には整備兵が少ないのでちょっとした故障でも交換扱いにするのです。一個小隊で これだけの人数があれば現地部隊でも再生できると思います」
「……なるほど、人手が足りないから故障程度報告のランクをあげてショップ(メーカー)行きにするわけか。 それでサプライ(補給所)に戻ってきた奴を押さえたと。ショップじゃ実際部品レベルの修理しないで廃棄するものね。 短期的にはともかく、長期的には悪くないわね……うん、いいわよ。貴方、整備兵なんかやらないでもこれで食っていけるわ。 よしよし、昨日の休みはチャラ、プラス後でお姉さんがサービスしてあげる」
「フフフ、私に色仕掛けは通用しません。なぜなら!」
「ソッチ系?」
「いえ、単に年増が嫌いなだけです」
 岩田は原の切れのいいパンチを鳩尾に食らって鼻血を出しながら地面に倒れた。動かなくなった。年季の差か、 さすがに舞より痛いらしい。

「先輩、それじゃ顔ぶつより痛いですよ」
「……世の中には言われたら相手を殺してもいい言葉があるのよ」

 森は、原が本気だと思った。徹夜の疲れか、ぶつぶつつぶやく原。
「男って奴は、ナンでもかんでも新しい物ばっかり欲しがるんだから……何よ」
 森は手を小さく上げた。
「い、いいえ。ぶたないでくださいっ」
「なんで私が部下をぶったりする必要があるのよ」
 森は口から嫌な液を吐いて痙攣する岩田を見て、視線をそらした。
「そ、そうですね。あはは」
 原は鼻歌を歌いながら岩田が持ってきたリストを見た。
「……この博多の女とか横浜の女ってなに? 12個入りって」

「フフフ、ハハハハハハ。イーヒッヒッヒッヒッ! ククク……」
 岩田は倒れたまま、土くれを掴んで笑った。
「冥土の土産に教えてあげましょう。それはまんじゅうです! 二つとも地域は違うが中身はまったく同じという」
「冥土に落ちるのは君で、土産が必要なのも君でしょ?」
 原はヒールで倒れた岩田の後頭部を踏みながら言った。あらやだ、結構快感かも。
「ああ! そうでした」
「よし」

 原は足をどけた。
「で、なによこれ」
「ついでに遊びに行ったのでお土産です」
 原はもう一度岩田の後頭部を踏んだ。
「嘘ですギャグです」
「よし」
 原は足をどけた。
「あーもう、岩田くんと話してるとどれだけ時間があってもたりないわ。いいから早く整備を手伝いなさい」

 原は、もう一度岩田の後頭部を踏んだ。

「フフフ、まだ何も言ってませんが」
「あらやだ」

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 一方その頃、ひょっとしたら、恩人がそこにいるかもしれないとテントの中をおっかなびっくり見ていた加藤は、 奇声をあげながら殴り飛ばされる岩田と、何度もそれを踏みつける地獄の女悪魔のような原が織り成す悪夢のような映像に うちのめされ、震え、テントの外壁に背を押し当てながら、地べたにへたりこんだ。
 お守りのように青い薔薇を胸元で握りしめる。

「違う、あれはうちの見た格好いいタコみたいなのと違う……」

 心の中では、美化が進行していた。


<後編へ続く>