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第13回(後編)
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憎い。
憎い。
謡子は、暗い瞳で、世界の中心然と歩く舞を見ていた。
有能なのが憎い。人の悪口を言わないのが憎い。
私が憎んでも逃げられないものを平然と捨てて対決をはじめる度胸が憎い。
舞は、ののみに長い黒髪を編まれて憮然としている。リボンをつけられるのを、本気で嫌がっている。
その勇気が憎い。優しさが憎い。男どもを従える凛々しさが憎い。男に嬲られていないのが憎い。
謡子は、心の中で子供の頃に戻った。誰かのものであることを示す服を着せられ、同じように物陰から舞を見ていた頃を
思い出す。
なによりも、他のどんな女にもなびかなかったあの人が可愛がるのが憎い。
その言動の端々が、あの人に似ているのが、もっと憎い。
自分の運命が違えば、私は、あの女のようになっていたはずだ。
オーマ最強と呼ばれながら、誰にもなびかず、誰の味方でもない孤高の星。最小勢力でありながら最大戦力と号された
あの人の大切なものになっていたはずだ。
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「何をしている?」
ヨーコは驚いて顔をあげた。
いつのまにか、長い黒髪を編んだ舞が目の前に立っている。
「あ、あ、ワタシ、ワタシは……」
「整備だろう。入り口で中をうかがうようなことをせず、堂々とテントに入るがいい」
そして舞は、こっそりリボンをつけようと寄ってきたののみを見た。
「リボンはいい」
「ほんとにいらない?」
「私がそのようなものをしていたら、吹き出す者もおろう」
「きっとにあうのよ」
舞は、口の端を笑わせた。その笑い方があの人に似ていて、ヨーコは腹を立てた。
「生き方に似合わないと言ったのだ」
言い方まで良く似ている。私を無視して、覚えていないように振る舞う様も。
殺してやる。いや、それだけで飽き足らない。
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裕の記憶は飛ぶ。
悪魔のような仮面をつけたその男は、長い釣竿を肩に担ぎながら裕の前に現れた。
裕は仮面代わりの厚い化粧で、その姿を迎え入れる。
「フフフ、釣れましたか?」
「勇気は釣れた。それは最初からあった」
「……そして何をされる?」
「残されたものを守ろう。妻は失ったが、想いと子は、残されていた。アレは俺が戦うことを望んでいる
。勇気は偉大なり。勇気こそは諸王の王なり」
裕はバルカラルの言葉に切替えた。
「ガンプオード、ガンプシオネ・シオネオーマ。サイ・カダヤ……」
「サイ・カダヤ・アエル」
悪魔のような仮面をつけた男はそう返すと、柱の影からこちらを見ている娘を見た。
「おいで、イアラ。皆と遊ぼう」
肌の浅黒い娘を抱き上げ、悪魔のような仮面をつけた男は歩き出した。
「父はだまっておりますまい」
「舞を預ける。治療法は覚えているな」
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一方その頃、整備テントの屋根の上。
絶妙なバランスでテントのポールの上に立つ岩田は、朝の風に揺れている。
そして虚空に目を開き、岩田裕は深々と頭をさげた。
「仰せのままに」
岩田は軽く跳ぶと、手を伸ばして青空に70cm近づいた後、まっ逆さまに落下した。
重力からも解き放たれるまでに、後どれだけ訓練すればいいのかと目をつぶり、身を翻して着地する。派手に転がった。
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整備テントの中で士魂号のメンテナンスハッチを開き、神経繊維の束を取り出してテープでとめていた原は、
何事かと顔をあげた。
「すごい音ね」
傍らでバインダーを抱きかかえて丸い文字で記録を書いていく森が答える。
「岩田君ですよ。この時間、ロープなしバンジージャンプやってますから」
「……それって自殺って言わない?」
「この2日は死んでいませんから、自殺じゃないと思いますけど」
「3日前はどうなのよ?」
「岩田君が来る前のことが分かるわけないじゃないですか」
その頭上、やわな金属の欄干に身を乗り出して、髪を編んだ舞は士魂号のレーダーカバーを装着しようとしていた。
レーダーカバーの反対側には速水が居て、舞の鏡映しのようにカバーをもっていた。
頭部のレーダーカバーだけは金属製ではなくFRP製で、二人でもなんとか持てないことはない。
舞が、外が気になる様子の速水に言った。
「パラシュート降下の応用だ。うまくやれば5階から落ちても死なない」
「そうなの? 僕も教えてもらおうかな」
「学兵をやめて第1空挺連隊にでも行くつもりか?」
「ううん? でも、いつか降下作戦あるかもしれないでしょ?」
「それはない。空挺と言えば、最精鋭だ。そして、それでも戦史的に見て空挺作戦は損害も決して少なくない。
我々のような三桁師団の部隊にそれはさせないだろう。やるとしたら、常に予備だ」
「精鋭なのに予備なの?」
「戦いの雌雄を決するのは常に予備だ。切り札だな」
「そうなんだ。軍隊って、意外とケチなんだね」
「そうかもしれぬ」
舞はレーダーカバーを装着し終えると、立ち上がって単座型と比較して特別大きな士魂号複座型の頭を見た。
これより大きな頭部は、頭部に武装を装備した士魂号重装型しかない。
「レーダー換装っと。後はコクピット周りだけだね」
「初期作戦能力獲得試験までは、手をつけないだろう。改造すると、操作系の調整を1からはじめることになる」
「そう言えば、今日は試験だね。パイロット試験」
「自信がないか?」
「僕? ううん。僕は一人じゃないから」
速水は、軽やかに士魂号の頭に触れると、舞ににっこり笑ってみせた。
舞にくっついている限り、そんな心配をする必要はまったくないと速水は思っている。
世界を守ると豪語して行動する人物について猛訓練を繰り返すうち、速水は、もっとも難しいのはこの目を離すと
次の瞬間には困難に頭から突っ込んでいる人物と一緒に行動することそのものであって、士魂号の操縦など
屁でもないと思っていた。
舞は、難しそうにうなずいた。
「滝川か」
大きく揺れる速水。
「どういう反応だ」
「いや、その、なんというか、いや、あのその髪型……似合ってる」
舞は無表情だった。
速水は動揺のあまり、心に思っていたことを思わず口にしていたことに気づいた。
今のなしと言いたかったのか両手を大きく振る。
舞ははっと気づくと、いつのまにかつけられていた髪のリボンをとった。
速水に、薄くこわばった笑いを見せる舞。舞が、怒り以外でこれだけはっきり表情を出すのはめずらしい。
「それがいつかの復讐のつもりか。速水厚志」
「ええ?」
舞はリボンを握り潰した。
「よかろう。私はどのような挑戦でも受ける」
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目を開き、登校途中の加藤は久しぶりに空を見上げた。
青空は微笑をしているようであった。
あの日、一昨日から運命が劇変したように思える。
良い事ばかりが急に起こり始めた。
なっちゃんは親切な上司とクラスメイトがいる部隊に入った。
なっちゃんは才能があるから、きっと昔のように活躍するに違いない。そう信じている。
その様をまた傍で見られるのは嬉しかった。
芝村閥が動いて自分を転属させてくれると聞いたときは驚いた。
今まで雲の上の存在という感じだったからだ。何が気に入られたのか、なっちゃんと一緒のクラスになれるように
配慮してくれるという。
芝村といえば、たくさんの政敵を残虐な手段で抹殺し、あらゆる主要ポストを血族で独占し、幻獣の血で御殿を
染め上げているという話だが、実体はそう悪くないかもしれないと思った。
いい人ばかりだと思うと、加藤は心の奥がにわかにしめつけられるような気になった。
胸のあたりを真新しい上着の上から掴む。
幸せに慣れていないのかもしれないと、そう思う。
それに、自分が一番困ったときに出てきた人。いやタコ。
胸のあたりを押えながら、吹いてくる春風にピンク色の髪を揺らし、加藤は目をつぶった。
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「ということで、新しいクラスメイトが増えました。紹介します」
低くて通りのいい、深みのある声が聞こえた。親切な隊長さんだ。
加藤は、目が大きく見えるように見開いて思いっきり営業スマイル、元気よくお辞儀して自己紹介した。
「加藤、祭です。事務官になりました。よろしくおおきに!」
拍手が起きた。花が咲いたような、満点の笑顔を浮かべる加藤。
狩谷がそっぽを向いていることに気づき、少しだけしおれる。
熱心に拍手する、頭に包帯を巻いた瀬戸口。
壬生屋は後ろを見て、瀬戸口に厳しく何事か言った。
ののみは純粋に嬉しそうだ。その隣で優しそうに笑って拍手している速水。髪にはリボンを結んでいる。
何を考えているのか分からないが、難しい顔で腕を組んでいる舞。速水にリボンが似合っていたので、面白くないのだった。
このクラスでは新参になる、整備の面々は規律正しく、ありていに言えば迷惑そうにパイロット達を見ている。
加藤は目を左右に走らせる……タコは、あのタコはいない。
善行はそれを全部包むように微笑むと、良く通る声で言った。
「加藤さんは事務官として、私の書類仕事を手伝ってもらいます。……加藤さん?」
そっぽを向いた狩谷を悲しそうに、タコがいないことを寂しく見ていた加藤は、営業スマイルしていたことを思い出して
慌ててにっこり笑った。
「あ、はい。あの、力仕事はあんまりできへんけど、それ以外だったらまかしてください。一番得意なのは金勘定で
次に得意なのは備品管理で、次は、ええと」
「それだけできれば十分ですよ」
瀬戸口と善行が、同時に言った。壬生屋と原が片眉をあげた。
「そして僕がギャグの係ですネ!」
岩田は身をくねらせながら窓から出てきた。ずっと窓の外で登場機会を計っていたようであった。踊る岩田。
眼鏡を指で押す善行。
「どうやって2階の窓から出てこれるんですか」
「フフフ、HR前から窓枠に掴まっていました」
「……ギャグはともかく、体力には見るべきところがありますね。席につきなさい」
「フフフ、僕の実力を認めないと、すね毛抜きますよ」
「ちょっと! それ、私のよ! 勝手に触らないで」
席を立って原が言った。
衝撃を受け、傾くクラスメイト。なぜか顔を真っ赤にする森と壬生屋。良くわかってないのか周囲を見るののみ。
善行は静かになった場を見た後、眼鏡を指で押した。
「いつから私が貴方の物になりました」
原は頬を膨らませると善行をにらみ返した。
「何よ」
「フフフ、ハハハハハハ。イーヒッヒッヒッヒッ! ククク……」
岩田は腰をくねらせて額に手を当てた。集まる視線。いつになく真面目な顔の岩田。
「見事です。見事! スバラスィィィギャグです! おおぅ、いいでしょう、我がライバルとして貴方は僕に刻まれました!」
原が投げたドライバーと善行の拳が同時に岩田に入った。
もんどりうって倒れる岩田。壮絶に血を吐いて動かなくなる。
別人や、絶対別人やとつぶやく加藤。恐いので舞にしがみついているののみ。
舞は難しい顔のまま言った。
「心配ない。本物の血はああいう臭いはしない」
「そういう問題なのかよ」
滝川は恐がっているののみの頭をなでた。めずらしく神妙な表情であった。
「大丈夫、傷は残らねえよ」
「しかしまあ、ここまでうるさい部隊も初めてですね。中村くん」
「はっ」
「貴方はどう思いますか?」
中村は善行の眼鏡の奥が笑っていることに気づいた。合わせるように口を開く。
「配属された当初は不安でしたが、今はこれを愛しています」
「なるほど。ではこれも、個性と思いましょうか。とはいえそれもこれも、全員生き残ってからの話。
パイロット試験の後はきびしくやりますよ」
「お手伝いします」
「よろしい。ではかわいいヒヨコども、僕の最後の仲間で兄弟姉妹達を連れてテントへ。パイロット試験をはじめましょう」
「了解しました委員長! 熊本バンドオブブラザーズと洒落込みましょう」
「ハンニバルキャットですよ」
「は、?」
善行は背筋を伸ばし、海軍風に颯爽と歩いて行った。
腕には真新しい腕章が、青地に黒い猫のエンブレムがついている。
教室を出て、廊下側の窓を開けて、善行は廊下に立てかけていたものを見せた。
「部隊になったらこれを部隊章にします。名前はハンニバルキャット。部隊番号は5121になる」
即座に反応したのはののみだった。ぱっと笑った。
「うわぁ、ねこさんだぁ。ねこさんかわいい! まいちゃん、ねこねこはかわいいねぇ」
舞はのけぞっていた。速水や壬生屋にとっては不自然な動作に見えた。
舞は目をそらしてつぶやいた。
「そ、そうかもしれぬ」
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中村は満面に笑顔を浮かべて握りこぶしを見せた。
「ようし! それじゃあ5121になりにいくばい。62戦車学校、特別第1クラス、いく、ばーい!」
「おお!」
「ケー!」
オレンジのバンダナを巻いた森が原にささやいた。
「浮かれてますね」
「混じっちゃ駄目よ。品位がなくなるから」
「岩田君まじってますけど」
「アレには最初からないでしょ」
原はため息をついた。あの馬鹿、なにちゃらんぽらんなことやってるのよ。もっと厳しくやらないと、部下が死んじゃうわよ。
と、心の中の善行に小言を言った。
奴が駄目な分は自分がやるしかあるまい。
原は顔をあげると、実際に小言を言った。
「元気がいいのもいいけど、ちゃんと最後のパイロット試験に合格しないと駄目よ」
自分達整備班が来ている時点で100%合格見込みになっているとは、原は言わなかった。
実力による合格見込みではないのを、原は良く知っている。
「士魂号の操縦は簡単じゃないんだから」
「へへ、整備長って、先生みてえ」
「フフフ、亀の甲より歳の功と言いますからねえ」
岩田はもんどりうって倒れた。目を光らせて口から暗黒闘気を出しながら肩で息をする原。
「先輩、それ、やりすぎです」
「おだまり! さあ、みんなこんなになりたくなかったら訓練なさい!」
原は岩田を踏みながら言った。
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