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 善行がやってくると、騒がしさは少しだけ減り、皆は雑談しながら席に着いた。
善行から一歩遅れて歩いてきた壬生屋が席につくのを見計らい、口を開く。

「今日は午前中整備がいないので、実機を使った訓練はやりません」
 勢い良く手をあげる滝川。
「はい、委員長。じゃあ何をするんですか?」
「図上演習ですよ」
「げ」

 図上演習とは、ウォーゲームのことである。学生軍で使用されるものはへクスという六角形の桝と、戦闘結果表、 サイコロを使う。
 参謀本部では霊子計算機を使ったものがあるというが、現場では未だそのようなものは普及していない。
 学生軍で使われるものは市販のウォーゲームと同じデザイナーが作り、納品するものが多く、 体裁もそれに準じることが多かった。

 善行は士官の間でも特別図上演習を重視するタイプで、暇を見つけては積極的に部下を相手に練習している。 将校団の中では中堅の図上演習グループを作っているほどだった。

「嫌な顔しなくてもいいでしょう。図上演習だけは、貴方はいい成績をあげているんですから」
「俺、計算苦手なんですよ」
「直感に頼らないほうがいい成績をあげると言うことだな」
「うるせえぞ、外野」

 冷静に寸評する舞に文句を言う滝川。速水が、優しく声をかけた。

「計算なら僕だって苦手だよ」
「お前にゃ優秀な相方がいるだろう」
「うん」
 嬉しそうに恥ずかしそうに笑う速水。
やってられねえという顔の滝川。善行を見る。
「楽なのはいいですけど、あんなの、なんの役に立つんですか」
「我々は軍という巨大な組織の一つの歯車です。ですが、歯車であるがゆえに、全体を念頭において動いたほうがいいと 思うんですよ。ある程度の遊び、裁量がある歯車なら、役割を理解した上で動作したほうがいいでしょう。それに、 目の前の敵の動きが不可解なら、その謎の答えは、より高い見地にあるかもしれない」
「今のところの問題は、図上演習と実践を結び付けられない頭の弱さということだ」

 滝川はこのままでは言葉で殺されるかもしれないと思った。速水を見る。
「速水!」
「え、僕?」
「お前が黙らせるんだよ」
「なんで」
「お前相方だろう」
 速水はしばらく考えた後、にっこり笑った。
「うん。じゃあ止める」
「ふぅ」
 冷や汗をぬぐうしぐさの滝川。眼鏡を指で押す善行。
舞は難しい顔をしたまま言った。
「私は事実を述べただけだ。死にたくないなら、あるいは有意義に死にたいならやるべき事を指摘しただけだ」
「うん。分かってる。でも、いきなりいくつもは実行できないよ。一つづつ、ね」
「それだけの時間が残っていると思っているのか?」
「パンクするよりましだよ。よりマシなほうを選んだだけ」

 舞は1秒考えた。
「なるほど。滝川の脳容量からすれば妥当な話だ」
「速水!」
「はいはい」
 速水は嬉しそうに舞に顔を向けた。
仕方ないという顔で頭をふる舞。だが、速水はそう見なかった。この表情は、必要なことは言った。滝川も考えながら 演習をするだろうと考える。そうでなかったらその時考えるまでだ。という感じだろう。

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 実際は違った。舞は速水の顔を見て、尻尾を力いっぱい振っている子犬だなと思っていた。
犬。ああ、だが仔猫も良いと考えている。

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 善行はきっちり20秒待った後、野暮なことをすることにした。
「ではそろそろ始めましょうか」
「そうだな」
「そういえば、週明けからスカウトが来るそうです」
「そうか」

 平然と答える舞の反応を無視して善行は少し嬉しそうに微笑んだ。
その表情をどう思ったのか、速水は善行を、敵を見るような目で見た。

 善行は、にやける。
タンクデサント(戦車騎跨兵)と比べれば格が落ちるが、スカウト(戦車随伴警戒歩兵)と言えば兵員手帳に特別記載される 立派な兵科だ。ああ、踊りたい。

「それと、弾薬を追加で依頼しておきました。そういえば、加藤さんのこと、あいかわらず無茶を言うと言われましたよ」
「奴の口癖だ。気にするな。奴は爪楊枝を取るにもそういう事を言う」
「なるほど」

 善行はそんなものかと思った。善行は前日に舞に頼み込み、あれこれの融通をしてもらうために準竜師と連絡を取っている。
「しかし、アレは便利ですね。直通TV電話というのは」
「それを言うなら、我が従兄殿とのパイプが便利なのだろう」
「まあ、そうですが」

 舞は速水にしか分からないくらい、少しだけ笑った。速水は善行を憎いと思った。
「いいぞ。あの通信機はそのままにしておこう。私が死んでも使えるだけのパイプを作るがいい」
「ありがとうございます。今度準竜師と飲みにいって親睦を深めておきます」
「やめておけ。奴本人は喜ぶが、奴の家令がいい顔をしない」

 淡々と言う舞に、善行は眼鏡を指でつまんで持ち上げる。
「……家令がなんでそんなことまで気にするのですか」
「芝村の結婚は政治の道具だ。自分からカードを減らす人間がいるのか?」

善行はしばらく考えた。
 速水は、善行と舞の間に入ろうと努力している。

「……では、あの副官は」
 舞は一歩はなれて、速水を入れてやった。
「事実上の妻だ。芝村に連なる者には時折そういう者がいる。書類上はただの部下だが正室よりも影響力は大きい。 そなたも我々を利用するなら気をつけるがいい」
「……はあ」

 毒気を抜かれた善行を押しのけるようにして、善行と舞の間に割り込んだ速水は、一つの可能性を思い立って慄然とし、 不意に舞の顔を覗きこんだ。

「家令って、執事のことだよね。家のことを取り仕切る私的な部下だって」
「そうだ。だが妻の役割を持たせる場合もある。まあ、家のことを取り仕切る点では似たようなものだろう。 居なければ家が成り立たない点も」

「結婚、するんだ」
「制度上と精神上、それぞれ違う相手とな」

 速水は、恐怖に唾を飲みこんだ。喉がからからだ。
「じゃ、じゃあ芝村にはいるの?」
「私か? 家令のことか」
「う、うん」
「当然いるぞ」

 なにを当たり前のことをと、舞は言った。
速水は大きく上体を揺らした後、倒れる。
難しい顔をする舞。

「どういう反応だ」

 そして岩田の真似はやめよといい、舞は速水を助け起した。
速水は舞を悲しい瞳で見上げて、そのまま、訳の分からないことを口走ると教室を走って出ていった。呆然とする善行。 難しい顔のままの舞。

「なんだあれは」
 善行は首をひねった。一つの可能性を思い当たったが、すぐ否定した。一応口に出してみる。
「さあ。彼は私の家令も知っているはずですが」

 善行の家令は片腕の大男である。


 いや、私が芝村の息がかかっていることは、彼は知らないか。
善行はそう思った。


第14回(前編) 了