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/*/ 速水は耳まで顔を真っ赤にすると、走りながら考えた。 こんな事態に巻き込まれて、俺は、いや、僕は不幸せだろうか。 そして歯を見せて笑った。さらに速度をあげる。 否。断じて否。 今悟った。僕の幸せは、不運の中にあった。 あそこで昼の明るさを夢に見ながら生きるのが、僕にお似合いで幸せだった。 僕は幸せだ。
/*/ 「よろしいのですか、人族に介入して」 ブータは楽しくて楽しくてしょうがないという風に目を細めると、堂々と言った。 「それに、シオネアラダも、恋愛に関しては何も言わなかった。自分自身、種族違いの恋をしていたからの」 傍らを歩く、まだ仔猫の気分が抜けていない小さな猫神族が言った。
「人でも神でも命を賭けて戦う時がある。そしてそれはあの人族だけに限った話ではない。誰も彼も、戦う時が来る。……神々もわしも、な。 絢爛舞踏祭が来るのだ」
「自分の心に嘘をついて生きるのは、つらいことだ。それを納得するのは、もっとつらい。あの少年は他の全てを耐えることができても、 あのつらさは耐えられんだろう」 ブータは横顔をあげた。 「あのシンボルを持つということは、そういうことだ。すべてをなくしたものだけが、あれを手に入れ、あれを身につける」
「それはすべてをなくしたときにうまれでる。それは無より生じるどこにでもある贈り物。それは悲しみを終らせる為に抜かれた刃。 偉大なる魔法の女王が残した最後の絶技。世界のどこにあろうとも、かならずさしのばされるただの幻想。失われそうになれば舞い戻り、 忘れそうになれば蘇る、最弱にして最強の、ただ一つの聖なる力」 口から自然に歌が流れ出た。それは偉大な嘘の歌だった。 「全てをなくしたその時に、それはその者の胸に燦然と輝きだすのだ」 若い猫神族の目の前で、余命幾ばくもない老猫の胸にかけられた小汚いペンダントが、燦然と青く輝きだした。若い猫神族の目が見開かれる。 ブータは神々を集めようと思った。今ふたたび、正義最後の砦に光の軍勢を集め、華々しく絢爛舞踏祭をはじめようと。年老いた猫の心に、 永遠の幻想が舞い戻っていた。 立派な髭を揺らし、ブータは口を開く。 「今まではわしが死ぬまでのことを考えていた。これからは、わしのいない明日のことを楽しみに生きよう。散り散りになった善き神々に伝令を。 ブータニアス・ヌマ・ブフリコラは正義最後の砦に戻ったと」 /*/ 朝が来る。速水は、息が切れるのも身体が酸素を欲しがるのも無視して、走った。多目的結晶で舞を呼び出す一方で、瀬戸口を追いはじめる。
そこには逆光に照らされた男の影があった。
ゆっくりと歩み寄りながら、速水は静かに言った。 「そこまでだ。……ここからは好きにはさせない。舞から手を引け」 瀬戸口は、優しそうに笑った。
「君が死ねばいい」 速水は笑った。堂々と。 「賢いのは返上したんだ。たった今」 「へえ」 盛大に倒れる瀬戸口を前に、速水は堂々と言った。
「はっ、坂上教官の受け売りかい?」 「実体験さ」 速水は、踵で瀬戸口の手を踏みぬいた。瀬戸口が短く叫ぶ。声に気づかれる前に、急がねばならなかった。 「次から次に来るならそれもいい。一人づつ殺していくだけだ。まとめてくるなら、俺が死ぬそれまでに大騒ぎしてやる。 誰も彼も振り向くようにしてやるさ。秘密にできないくらいに」 地面にはいつくばって自分を見上げる瀬戸口に、そして速水はやさしい表情を向けた。 「とはいえ、僕は君を殺したいわけじゃない。ただ、彼女の安全を確保したいだけ」
速水は相手が交渉に乗ったと確信した。緊張を悟られないようにポケットに手を入れる。 「君にも家族はいるんだろう?」 瀬戸口は笑った。すみれ色の瞳で、すべてを見通していると言いたげに。鼻血を出しながら笑ってみせる。 「君を殺せる小物だ」
「それを補う報酬があればいい」 速水の胸ポケットから、青い光が漏れた。 青く輝くその光に照らされる速水の横顔に、瀬戸口の目が細められる。 「誇りだ」 速水は長い長い時間をかけた後、堂々と言った。
瀬戸口は、内心の動揺を隠しながら口から流れる血をぬぐい、笑うふりをした。 「ちと安いかな。俺のプロ意識は高いんだ」 今度は速水が、あっさり引き下がった瀬戸口の反応に軽く驚く番だった。 速水は表情を消した。
「あんたは昔のこと、どれくらい覚えているんだい?」 瀬戸口は、よろよろと立ちがあった。 「いや、それならいい。じゃあ、契約は成立だ。俺は帰らせてもらうよ」
瀬戸口は振り返らずに言った。 /*/ そして瀬戸口は、駆けだした。角をいくつか曲がったところで、涙が出た。 「……ちくしょう、残酷なことしやがって。なにもかも忘れたのに、なにもかも忘れたはずなのに」 速水の胸ポケットから、青い光が漏れていた。 (全てをなくしたその時に、これはその者の胸に燦然と輝きだすのよ) 涙を流しながら、瀬戸口はその言葉を鮮やかに思い出した。 「……なんであれが今更出て来るんだ。いまさら、いまさら!!」
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