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いい気になって尻尾をぶんぶん振る大型犬のような若い若宮を、家令の若宮は苦々しく見た。咳払いする。自分の恥ずかしい姿を
善行に見せているような気になった。
「忠孝様。発言をよろしいですか?」
「うん? ああ、いいですよ。なんでしょう」
「はっ、では失礼します」
家令の若宮は前に一歩出ると、目の前の若宮に顔を近づけた。にらむ。
「いいか。俺、分かっていると思うが、ちゃんとお仕えするんだぞ」
ムッとする若い若宮。
「言われなくても分かっています! 自分は心の底からお仕えいたします!」
ついに我慢できずに加藤は振り返って善行に言った。
「あ、あの、聞き様によっては随分アレな会話とちがいますか」
「私は普通に女性が好きです」
冷たい目で見る加藤に、善行はお茶を飲みながら言った。
「本当ですよ」
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翌日。
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テントの上に猫がいっぱい。
夜明けが来るのを待っている。
岩田とウサギ、一羽づつ。
どこから来たのか、白鷺にトンビ、雁に白鳥が、燕と暗い空に隊列を組んで飛んでいた。異種編隊飛行。見事なダイアモンドフォーメーションで
飛んでみせる。
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善行が座る隊長室の椅子に、ブータが鎮座した。
夜の間、そこはブータの定位置であった。
木の葉に神々が書き込んだ戦況が描かれ、野戦地図が広げられた。
ひっきりなしに猫が出入りし、航空偵察の結果を書き加えていく。
瞬く間に地図の上に戦場が描かれていく。
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「援軍が必要です」
「分かっている」
ブータは朱肉に肉球を押し付けると、白い紙にぺたんと肉球を押した。
手形ならぬ前足形ができる。爪を伸ばし、紙に突き刺すと、次の瞬間、それを宙に放った。
仔猫の気分が抜けきれていない猫神族の一柱が、それを空中でキャッチした。
そして外に駆け出して行く。
ブータが肉球を紙に押し付けるたびに、猫神族が四方八方に散っていった。
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善行が出勤してくると、小隊長室には猫がいっぱいいて、白い紙が舞っていた。
目を剥く善行。
猫が散り散りに逃げる。
前夜準備していた書類の数々に、猫の足型がついている。
善行は崩れ落ちるように膝をついた。
遅れて出勤してきた加藤は、紙をくわえて走り去る猫の群れとすれ違い、続いて呆然とする善行の背中を目撃することになる。
「ク、クソ猫」
「まあまあ、猫に文句を言うても仕方ないやないですか」
加藤は善行の肩を優しく叩いた。
「うちも手伝いますから、ね。怒らない、怒らない」
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書類を新たに整理し直し、四方八方あちこちに送り出す。
小隊長の分を越えて積極的に情報を集める。
善行は原が用意した整備報告書をめくりながら、自分の影のように従う家令の若宮に口を開いた。
「まだまだ人が足りませんね」
「そうですな。まだ実戦がはじまっていないのに、戦車の稼働率は75%です」
善行は、皮肉そうに笑った。
「たった4両の戦車を動かすのに、どれだけ人がいるんだか」
「……愚痴を言うくらいなら」
「身体を動かせ、ですよね。分かってますよ。分かってます。問題はどうするか」
家令の若宮は、善行に言った。昨日の夜、紙をくわえて走る猫を見て思ったことを。
「……どの部隊でも、戦死してもいいと思われている人間はいます」
「なんだって?」
「嫌われ者はどこにでもいると申し上げました。忠孝様。ですが貴方なら、そういう人間も使えるはずです。立派に御国の盾として
戦死させてやることができましょう」
「役立たずを積極的にとれと?」
「猫の手よりマシであります」
付近の猫がかん高く鳴いたが、家令の若宮は気にしなかった。
考える善行。いや、考える必要もなかった。
「では僕は、役立たずを立派に御国の盾にして、その上家に帰すことができると思うか?」
若宮はうなずいた。この人は復活された。あの動物園の時から。そう思った。
軍神と称えられた方が、神の一柱が戻ってこられた。
「貴方ができなければ誰にもできないでしょう」
「貴方がそういうのなら、そうなんでしょう。分かりました。では、それで行きましょう。ちょっと陳情してみます」
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そして善行が立ち上がり、ホットラインの前に座ったとき、窓を叩く音に気付いた。
背伸びして遠慮がちに窓を叩く、ののみだった。
「窓を開けてやってください……どうしました?」
善行は眼鏡を取ってそう言った。
「うんとね、えっとね、ほうこくです。つばめがきたのよ。すをつくったの」
ののみは数日をかけてあちこちに報告をしていたのだった。善行は、その最後である。
ののみは善行が忙しくないときを、ずっと待っていたのだった。
家令の若宮が何事か言う前に、善行は誰よりも速く反応してみせた。
ののみのいいんちょは、我が意を得たりと微笑んだのである。
「なるほど、いい話です」
善行は言った。
嬉しそうに笑うののみ。
「うんっ、そーなのよ。はんげきはいまなの、みんながもどってきたのよ」
顔をしかめる家令の若宮。
「何を言っているんですか、この頭のおかしい娘は」
「若宮!」
「はっ!」
周囲がびっくりする善行の大声。
軍隊時代の癖で、家令の若宮は背筋を伸ばして敬礼してしまった。
「日報に記録。燕来ると。それと、この貴重な情報を報告した東原くんにお茶を出したまえ。菓子もだ」
「承知いたしました。中佐殿!」
若宮は軍隊時代の癖が抜けきれてないと悔しく思った。ヤケクソで敬礼して昔の呼び方をしてみせた。
「よろしい」
うなずく善行。そしてびっくりして少し涙目のののみに、笑って言った。
「ありがとう、ありがとう。そうですね。僕も、そう思っていたところです」
善行は眼鏡を掛け直して言った。光る眼鏡で、表情が分からなくなる。
「では反撃を、戦争を開始しましょう」
第16話(前編) 了
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