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 一方その頃。

瀬戸口はこの時間、善行とお茶を飲むのが常だったが、昨日喧嘩してその機会を失っていた。
 今は、小隊長室近くの木の前で、うろうろしている。
つまりは居る場所がないのであった。

教室では壬生屋に会う、喧嘩するのはさけたい。
職員室では善行に会う、会えるわけがない。

である。

 整備テントで機械の様に働いている芝村の傍にいっても面白くないだろうし、そばにはののみがいるだろう。瀬戸口は、子供は嫌いじゃないが 俺のような男の傍じゃいい子に育たないと思っている。

……瀬戸口は面白くなさそうに口の端を歪めた。自分を笑ったのだった。

なぜ善行にあんなことを言ったのだろう。
おそらくは永遠に遠ざかった温かい日本茶を思いながら、そう考えている。

あの時、俺は怒っていた。まあ、そりゃいいさ。そういうこともある。人間だからな。問題はその理由だな。

そう考えて、思考を停止させてしまうのだった。

くるりと振り返る。
「しょうがない、この寒さは速水に抱きついて解消しよう」

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 瀬戸口は、さほど歩く必要はなかった。
向こうから歩いてきていたのである。
最初に笑って駆け寄ってきたのはののみだった。瀬戸口も、笑った。

「あー。タカちゃんだぁ!」
「よう! 元気にしてたか?」
「うんっ」
「…そう言いながら、なんで僕に抱きつくの?」
 瀬戸口は優しく笑って抱きしめていた。……速水を。
嫌がる速水。舞を見るが別に反応なし。それが嫌な、速水だった。
速水の手で頬をおされながらうなずく瀬戸口。
「そりゃ、俺が暖めあいたいからに決まってるじゃないか」
「あったかくてよさそうだねぇ。ねえねえ、おねがいです。ののみもまざっていいですか?」
「そりゃ…」
 瀬戸口は一歩離れて周囲を警戒。滝川に呆れられる。
「なにやってんだよ」
「壬生屋の殺気でもしたのか」
舞がそう言うと瀬戸口は皮肉そうに笑った。図星なのだが、それが気に喰わなかったのだった。俺と速水の仲を裂こうってか?と、にらむ。 相変わらず小梅の血筋は…
そういいながら周囲を警戒する瀬戸口。
「なにさがしてるのぉ?」
ののみの声に、我に返る瀬戸口。 いかん、いかん。暴力に慣らされてるぞ。
笑顔をつくる。そして、ののみに言った。
「ん、いや、別に? たいしたもんじゃないさ。それはそうと、珍しい組み合わせじゃないか」
「……あん?そうかぁ?」滝川は不思議そう。3月のはじめはさておき、最近はそうでもないような気もする。
「普通のような気がするが」舞は、そういいながら間に割り込もうとする速水のために場所をあけた。よほど、瀬戸口に抱きつかれたくないと見える。
速水はいつもより三倍ほど速い口調でしゃべった。舞に見られていると思うと首筋まで赤くなりそう。
「そうだ、味のれんでアップルパイが250円だって、食べに行こうよ」
瀬戸口は少し感動した。口で嫌がりながらちょっとやさしいのは前とおんなじだ。
シオネ、シオネ。俺の姫さま。
「そんなに俺の事を思ってくれたのか」
「東原が言ったんだ」
速水、瀬戸口には厳しい。
「あら?」
抱きつき失敗。ののみは背伸びしながら笑って言った。
「うん。みんないっしょがいいよねー」
「そうねー」
思わずあわせる瀬戸口。先ほどの行き場のない気分が、少し軽くなる。

瀬戸口はスマイルで考える。
やっぱりののみはいい子だな。距離をとろう。そう思う。
俺みたいな遊び人が近くにいたとあっちゃあ、この娘が可哀相過ぎる。

 そんな瀬戸口の気持ちなどまったく分らぬ様子で、舞が口を開いた。
「いくぞ。まだ回収せねばならない者がいる」

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その頃。 プレハブ校舎一階。 食堂。

中村は、いくつかのパンフレットを読んでいた。
いずれも本州の養護施設や、療養施設である。

 中村は自分が鬼善行の下で戦い、戦い抜いて余命いくばくもないであろうこの国と、人類の時間稼ぎとなることを納得して承知していたが、 だからといって他人を巻き込もうとは思っていなかった。とりわけ、一番幼いののみにおいてはそうである。

ののみを、九州から脱出出来なくなる前に本州に逃がそう。
中村は、ののみを脱出させた先の身の寄せどころを検討していたのだった。

もちろん、これはののみのためではない。中村は思う。自分のためだ。

死ぬまでのあと一月か二月か、自分がこうあろうと思う理想の人間と下士官として振舞うそのために、中村は預金を全て解約し、 自分のコレクションの大部分を処分して、どうにかこうにか彼女が成人するまでに必要であろう金銭の半分を捻出しようとしていた。

今は、残り時間を考えながら、他に資金調達手段はないかと考え、最悪はこのままでもののみを送り出し、運を天に任せるしかないと考えている。
中村は口を引き締める。その時は祈ろう。俺の残った運全部が、彼女の上に移るようにと。

どうせ、死んだら母親には恩給が出る。生きていたら、その時は死ぬ気で働こう。
中村は腕を組んで思う。そしてまだ生き残る可能性もあると思っている自分を考えて、ひどく面白くなり、笑った。自分がこんなに楽天的だとは 思ってもいなかった。

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「あー、みっちゃんだー」
 扉を開けて、ののみは駆け寄ってきた。
「どうしたんね」
本当の大人だけが出来る、完璧な嘘で中村は言った。

「ふぇ? それなに」 机の上のパンフレットを見ながら言った。
「うん? ああ。ののみちゃんのごたる子が沢山生活しとるところたい」
 ののみの表情が凍りつくのを見て、中村はその髪に触ってうなずいた。

「いや、怖かとこじゃなか。遊ぶものがいっぱいあっし、友達もいっぱいおる。悪か職員のおりそうなところは避けとる」
「だれか、くるの?」
 首をかしげるののみに、中村は笑ってみせた。
「うん、ああ。なんねぇ、ののみちゃんにゃあ友達がきっと増えるばい」
「ほんとぅ?……えへへ。うれしいな。ともだちはねえ、おおいほうがいいのよ」
「俺も心の底からそう思う……なんだ?」
「しゃべりかた、へん」

中村はうなずいた。幼いののみには、それが不思議な態度だとは、思わなかった。
「うん? ああ、そぎゃんそぎゃん、俺は、このしゃべり方がよお似合うばい」

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そして中村は、顔をあげてののみを追いかけてきた滝川を見た。
「どぎゃんしたんね」
「味のれんでアップルパイが250円なんだよ。喰いにいこうぜ」

 中村はねじり鉢巻の親父を思って、ふと笑った。
「いや、俺はよか」
 たった一人だけだが赤字に貢献しないでいてやろうと、中村は思ってそう言った。

「お前、甘いもの好きだろ?」
「だからといっていつも甘いものばっかり喰わんだろが」
そういった後で中村は笑って言った。
「でも、ありがとね。このことは、良く覚えとくばい」

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 中村喰わないってー。という滝川の声を遠くに聞きながら、中村がパンフレットを再び開くと、パンフレットに背の高い影が、さした。

遅れてきた瀬戸口だった。
中村が顔を向けるより早く、瀬戸口は口を開く。
「いまどき本州に行けるなんて思ってるのか?どうするつもりだ。まさか……」
「そのまさかだ」

中村はそう言ってページをめくった。
「お前な、分かっているのか。そんなものために芝村の力を使った日には……」
「その前に戦死するさ。立派にな。……こいつは退職金の前借だ」

 そして中村は瀬戸口に笑ってみせた。

「俺はな。あの世にまで何か持っていくほど欲張りじゃなか。そして例外として唯一つ持って行くものは、もう決めている」

「誇りか。大悪党として生きるよりも、小悪党として生きるとでも?」
「……俺が持っていくものは思い出だ。それだけがあれば、それでいい」

「後悔するぞ」
「いや、せん」
中村は即答した。そしてもう、その話題には二度と触れさせなかった。