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 速水の読みはほぼ当たった。
舞は整備の手をとめて一方を熱心に見ており、ののみはその傍で蝶と遊んでいた。

舞が見ていたのは、猫だった。自分の尻尾を追って寝転がったりひっくり返ったりする猫を見て、息をとめていた。

みればあちこちで猫が寝転がっており、速水には、昼寝をしているように見えた。

「芝村」
速水の声に、舞はびっくりして背筋を伸ばした。あわてて整備を始める。
速水が妙だなと思う前にののみが顔をあげて笑ってみせた。
「あー、あっちゃんだー」

 ののみは速水をみつけると駆けてきた。とりあえず抱きついてみる。最近、速水が好きなのだった。ののみの瞳には舞が炎なら、 速水は燃え始めた石炭のようだと映る。大昔の動植物が、幻獣と戦うために何億年もかけて、燦然と燃える石となってついには人の姿を取ったのだと。
速水は笑ってののみを抱きとめると、頭をなでて舞に近づいた。

 こここそは正義最後の砦、速水が唯一つ、美しいと思う世界の中心であった。
この光景以外のどんな光景も、どんな人間も速水は美しいとは思わない。
本当に美しいというものは、本物だと速水は思っている。そしてここには本物しかない。
取り繕うものはなにもなく、取引も打算もなにもない、ただ本物だけが並んでいる。

本物の武器弾薬。
本物の人型戦車、士魂号。
本物の猫。
本物の友人。
本物の心。この国を守ってやろうと思うもの。
そしてなにより本物の舞。

死んだ先に楽園があるのなら、それはこの整備テントのようなところだと速水は心の底から思っている。速水はここで聞いた舞の一言だけを理由に、 この世に並みいる理不尽のその全部と、本気で戦う気でいた。

「なんだ、速水、それと滝川」
舞は速水を見ないようにして言った。かわいらしいしぐさの猫を見て火照った顔を両手で一生懸命冷やしている。まさか本物が、猫が自分の尻尾にじゃれる姿は かわいくてよい。などと考えているとは、この頃の速水は気づかない。
 見つめられていると思った猫がにゃーんと鳴いたので舞はなんと残酷な運命だと思った。
赤い顔で速水と話したら変だと思われるに違いない。

 舞が真剣な顔をしているので……いつも真剣な顔だがそれでもいつになく……速水は言いよどんだが、いや、思いつめすぎても駄目だと考えて声をかけた。
「あのね、滝川が教えてくれたんだけど」
「アップルパイが味のれんで250円だってよ。食いに行こうぜ」
「うんとね、えっとね、しつもんです。アップルパイってなに?」
「甘いものだよ」
うわぁ。とののみが笑ったので、速水と滝川も笑った。
舞が一層顔を赤くしたのには気づかない。アップルパイ。甘くてよい。だが、子供の頃は半分しか食べれなくて一個全部食べることを目標にしていた。 今日はいい日かも知れぬとよろける舞。

 あわてて舞を支えに走ったのは速水だった。実際誰よりも、そして一瞬で手を伸ばしている。
「芝村?」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないよ……よろけるなんて……」
 舞の袖を掴んだまま、速水は心配そうに言った。顔を見られるのを嫌がって顔を背ける舞。
「離せ、大丈夫だから」
「……嘘だ。大丈夫じゃないよ。顔が赤いじゃないか」
「大丈夫だと言っている」
「熱があるかもしれない」 速水は、抑制の効きすぎた声で言った。内心は怖くてたまらない。舞が、病気というのが耐えられないのだった。
「……だから、大丈夫だと言っているだろう!」 もとより気が長い方でない舞は、ついに頬を膨らませて言った。袖は、掴まれたままである。
袖を掴んだままの速水もムッとする。
「僕の心配はしても僕が心配するのは許さないなんて不公平だよ。それが君の言う自由?」
「心配されるほどではないと言っている」
 速水と舞は見詰め合った。というより滝川から見るとにらみ合った。

舞のまっすぐな瞳を見ている内、速水はやっぱりかわいいなぁなどと益体もないことを考え、なにを僕は考えているんだと顔を真っ赤にして手を離した。 視線を逸らす。
舞ににらまれてびびったなと思う滝川。
ふふんと笑って勢い良く立ち上がる舞。
「そなた、顔が赤いな。熱か?」
「違うよ!」
腕を組む舞。機嫌が良くなる。
「私の勝ちだ」 つまりは勝負事に勝てば上機嫌なのであった。
「……な、なにが!」 速水は両手で自分の頬を押さえて冷やしながら言った。
「ガンつけあったんだろ。芝村の勝ちじゃねえか」腕を組んで滝川。

舞がはじめて滝川を見た。
「ふむ。にらめっこをそう言うのか?」
「うん? まあ、そうかも」
速水は滝川と舞の間に入った。わざとらしく咳き込む。
「まあ、それはともかく、僕達はアップルパイを食べにいくべきだよ」
「うん。いこういこう」
ののみは速水の袖につかまって笑って言った。

歩きながら上機嫌の舞。
「私は昔からにらめっこでは強いと評判だった。ミュンヒハウゼンにはお強いですなと太鼓判をおされていたものだ」
「だれ、それ?」滝川が聞いた。
「なにかと私の世話を焼くものだ」
 新たな敵かと思う速水。うなずく滝川。
「ああ、俺が良く行くラーメン屋のおやじみたいなもんだな」
「ふむ、そうかも知れぬ……速水、なにがやりたい」
 速水は、舞と滝川の間に入って歩こうとする。ののみも喜んで真似をした。
首をひねった後、動揺する滝川。
「……速水、なんで泣きそうな目で俺を見るんだよ」
「よしよし」
 背伸びして速水の頭をなでるののみ。背伸びしたまま考える。

「あー!?」
「今度はなんだよ」
 滝川はそれでもののみに、優しい声で言った。

「あのね、うんとね、あっぷるぱいがやすうりさんなのをしらないひとがいるのよ。みっちゃんといいんちょとよーこちゃんとそれとね……」
滝川が変な顔をするので、ののみの声は尻すぼみになった。
速水はにっこり笑ってののみの顔を見た。

「そうか、じゃあ、伝えにいこうか」
「うんっ」
 嬉しそうに笑うののみ。何か言いかけて速水の腕を掴む滝川。
「滝川、どうしたの?」
「……いや、それ言うのは俺じゃないのか?」
「何を?」
「伝えにいこうかっていう部分だよ。お前がそれ言ったらまるで俺、悪役じゃないか」
「……はあ?」
「いいよ、もう……」
 滝川は表情に気をつけようと思った。表情次第で人を悲しませることがあるのなら、その逆も、あると思ったのだった。