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時は、今に戻る。 初陣翌日である。

滝川は3段飛びでプレハブ校舎の階段を駆け上がった。
立て付けの悪い扉を開け、そして親友を探した。
「速水、速水大変だぞ!」
「出撃?」

 速水は料理の本を読む手を休め、滝川に問うた。
前日、皆がさほどおいしそうに食事をしなかったので、きちんと勉強しようと思っていたのだった。それが戦いの前だったからと、速水は思い至らない。
もちろん、それを知っていても態度を改めることはなかったろう。要は死の恐怖を超えておいしいものを作ればいいだけだろうと完全に誰かに感化されたようなことを 考えていたのである。いや、結局のところ、芝村が食べている時に笑ってくれたらいいなあが、本音なのであるが。

 滝川は速水の手を取って走ろうとした。
「いや、もっと大変だ。味のれんでアップルパイが売り出された」
「ふうん」

速水の反応が気にくわなかったのか、滝川は小さくうめいて速水の肩をゆさぶった。

「なぜお前はそんなにぽややんなんだよ。学生限定1個250円なんだぞ!」
「ほんと?」
速水は目を丸くした。
 いくらなんでも250円は安すぎる。戦争のこの時期、甘いものの相場はその10倍ほどしてもおかしくはなかった。

確かに、どういうわけだか戦時中でもジャガイモと林檎だけは普通に流通していたが、(60年前からそうだったらしい)それでも値段はじりじりとあがり、 簡単に手を出せる値段でもなくなっていた。どういうお店で林檎を仕入れたんだろうと、速水は思った。
そして、料理をする者の実感としていった。
「すごいんだね」

滝川はうなずいた。
「ああ、もう、人で一杯だよ。全然繁盛してなかったのにな。あの店、やるなあ」
滝川は速水を探して味のれんに寄った時、店の親父が不敵に笑っていたのを思い出した。
 あの時親父はここは子供で一杯になるかもしれんと言っていたのであった。滝川はなるほどこの値段を言っていたのかと思った。

「ということで、急げ、売り切れる前に俺達も行くぞ」
「皆にも教えないとね」
「馬鹿、女たちは俺らに内緒でもう先に行ってるって。俺達も急ぐぞ」
速水は目を細めた。舞はその限りではないと思ったのだった。彼女は声をかけられないだろうし、内緒などという考えそのものがない。絶対確実間違いなく、 彼女は一人で読書をしているか、さもなければ整備しているだろう。
声をかけられないと言えば、たぶん、ヨーコさんもそんな感じだろう、ひょっとしたら東原もそうかもしれない。

いずれにせよと速水は思い、滝川の手を優しく離して微笑んだ。
滝川。僕はそんな生き方をしたいとは思わない。実際のところ、もうたくさんだ。心の底からもうたくさんだと心の中で語りかける。ここから先はそう、 馬鹿でもやってすごすつもり。そして士魂号に乗れば彼女と繋がる、自分の多目的結晶を見下ろす。
「小利口に生きるそれよりも、炎が綺麗だと思ったら、終わりなんだろうけどね……」
「はあ?」
「先に行ってて。僕も、みんなと行くから」

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 速水がみんなに知らせようと駆け出すと、滝川も頭をかきむしった後でついてきた。
「いかないの?」速水が驚いてたずねると、滝川は変な顔をした。
「俺はお前のそういう所が嫌いだ。友達見捨てていけるかよ」
滝川がそう言うと、速水は笑った。
「そうか、じゃあ僕は友達が多いんだね」
速水は思う、僕は見捨てられない人が多い。良い事を盗んだ。僕には友達はいないと思ったが、見捨てられないことを基準に考えれば、この1月で ひどく多くなったと思った。

速水の笑いをどう思ったか、滝川は頬を赤らめた。
「そこまでは知らねえよ」

滝川は思った。たまに得体の知れないところはあるにせよ、例えばあいつが自分の髪の生え際を妙に気にしたり、委員長を恐ろしい目で 見ていたりだ……速水は全然駄目駄目なくらいに生き方が下手なことは間違いない。いっつも巻き込まれ、損しているように見える。だから、 俺がついてやらにゃあと思うのだった。

滝川は自分で思うよりもずっと、面倒を見るのが好きな性質であった。
それが親の愛を注がれなかったことに対する反動だとは、自分では気づいていない。

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 速水と滝川は連れ立って自分達用に割り当てられた裏庭の区画を走った。そこは華やかな女子校の、捨てられたような場所だった。

 ここなら誰も文句を言われないと思ったのか、色々な動物や生き物が、ここには捨てられている。あるいは行き場をなくして、自ら集まってきたのかもしれないが。
おかげでそこは野良猫、野良犬、野良鳥、野良兎、たくさんの生き物の砦になっているような気配さえあった。もっとも生き物が集まる整備テントにいたっては、 装備や人員すらもその一員という趣さえある。野良戦車に野良人間というわけであった。 実際、軍事的にも政治的にも、この頃の5121は 野良部隊と言えなくもない。

 廃棄実験体だった速水は母親に捨てられた滝川と走る。
その横を足元を旅する兎が微笑みながらすれ違った。

 さほど広くもない土地である。速水と滝川が少し走る間にも、兎以外にヤギ、鶏、猿、色とりどりの蝶たちとすれ違った。
猫にいたっては人間より偉そうで、赤いちゃんちゃんこを着た太った猫などは、ふふんという顔で横をすりぬけていく。
速水はこの猫を一度捕まえて、君を治療した舞にだけは感謝するようにと注意したことがあった。

テントに入る。速水は正義最後の砦と大書された看板に触れて入った。触れれば舞に触れた気がして、速水はそれが、好きだった。
俺は、僕は、いつか、ここの看板の前を胸を張って通るのだと、そう思う。

滝川はその速水の横顔を見ていぶかしがったが、ま、アップルパイ食えるんだからと思った。