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 場面は、変わる。

 その小さな公園では、一人のつぶれトカゲ顔をした男がキャンプしていた。
お隣さん……家族連れに挨拶し、今日は何を食べようか考える。

 考えているうちに、目の前から縦巻きロールの女が近づいてきた。
つぶれトカゲ顔は、目を細めた。

 近づいてきた女は、つぶれトカゲ顔……準竜師の副官であった。
「閣下」
「今はプライベートだ」
 顔を見せず、準竜師は言った。
「では芝村様」
「この間、プライベートで呼び合うための秘密暗号表を渡したぞ」

 副官は顔を赤らめて口を開いた。
「でででは、勝吏様」
 副官の前に丸い指が向けられる。
「ノンノンノン。ダーリン」

 次の瞬間、準竜師は副官にボディブローを打たれてくの字に折れ曲がったところをアッパーカットでのけぞって倒れた。

 肩で息をする副官。
「危なかった。プライベートならこの方法があるのを忘れていた」
「……見事なお手前で」
 ゴミ箱に頭から突っ込んで準竜師は返事した。

 準竜師を引きずりだし、口を開く副官。
「いいから立ってください。作戦中になにやってるんですか」
「参謀がやることは戦う前に終わっている。……いや、まて。倒れたのはまったく俺のせいではないような気がするが」
 準竜師は副官に引きずられながらそう言った。遠くなっていく。
副官は口を開く。
「細かいことを気にしないのが貴方の良いところでしょう? それとも、プライベートにまた戻りますか?」

 準竜師は少しだけ微笑んだ。副官と一緒にやってきた琴乃が走ってついてくる。こいつはすっかり俺より更紗に肩入れするようになりやがったなあ。

「そなたと共になら、それも悪くはないな」
 副官はそっぽを向いた。
「そう言いながら、一度でも私を連れて行ったことはないくせに」
「この間動物園に行ったぞ」
「あれは琴乃のためでしょう」
「3年前に奈良に行ったろう」
「あれは時効です。……それに、あの時は会長がいました」
「偶然に会っただけだ」
「偶然が6回も続くんですか。3年前、5年前、7年前、10年前11年前15年前」
「いやまて、そっちには時効はないのか。あ、嘘です。当然あるわけないですよね。いやーもう更紗さん今日も綺麗だなあって」

 副官が瞬間泣きそうな顔をしたので、準竜師は顔を歪め、次に真顔になった。
「……分かった。本当のことを話そう。3年前はウスタリ跡にワールドオーダーが出ていた。ハードボイルドペンギンと俺はその討伐のために」
 そして言い終わる前に足首をつかまれて、ハンマー投げのように投げられた。公園でキャンプしてはいけませんの看板に頭から突っ込む準竜師。
「この期に及んでまだギャグか!」
 肩を怒らせて怒る副官。

 煙を出す準竜師。看板の裏でテント生活している家族が七輪でメザシを焼いていて、そこに突っ込んだのだった。

「煙まで出して!」
「いや、メザシと共に火刑にあっていた。うむ。今度からメザシを食べるのはやめよう。同病相哀れむだ」
 準竜師は、真顔で起き上がって、頭をかいた。

「怒るな。愛しているから」
「聞こえません」
「勘弁してくれ。そなたの怒った顔は魅力的だが、やはり一番良いのは笑顔だ」
「最近そう言えば私が機嫌を直すと思っているのでしょう!?」
 にらむ副官に、準竜師は言った。
「直さんのか?」
「……直しますけど、図に乗らないでください」
 更紗は顔を赤くして、下を向いて言った。

 準竜師と副官の双方に、笑う琴乃が抱きついてきた。

 準竜師は琴乃の頭をなでると、思い出したように口を開いた。
「そうだ。近所に面白い奴がいてな。面白いものを売っているのだ」
「どこですか?」

 準竜師は既に案内をはじめている。
「すぐそこだ。5m先。ここだ」

 副官はずっこけた。公園の中で青い髪の娘がホームレスだ。自分で作ったらしい土産物を売っていたのだった。

「あ、おじ様。いらっしゃいませ」
 青い髪の娘は、準竜師を見ると嬉しそうに笑った。黒縁の眼鏡をしていた。
「うむ!」
 わが意を得たりの準竜師。

 副官はずっこけながら、準竜師の首を絞めあげた。

「何故しめる」
 小声で準竜師は言った。
「浮・気・は・し・て・も・私に紹介しないでって言ったでしょう!! それと、最低でも私よりいい女にしてください」
 絞めながら小声でささやく副官。
「そなたの悪い癖だ。女を見るとすぐ浮気を疑う」
 準竜師がそう言うのとほぼ同時に、青い髪の少女は首をかしげた。
「おじ様、その人は……どなたですか?」

 準竜師は笑顔を浮かべた。
「うん? ああ、俺の幼馴染だ。今は奥さんだがね」
「そう思いました。すごく似合ってたから」
 青い髪の少女は笑顔でそう言った。

 副官は笑顔になって準竜師の首にまわした手を離した。すました顔をする。
「似合っているというよりも、似合ってしまったんです。付き合い長いし。この人がつきあってって、泣いて頼むから」
 準竜師は笑いを浮かべた。
「うん。で、今日所用が出来てこの公園を離れることになってな。その前に、そなたの作った土産を買いたいと思ったのだ」

 青い髪の少女は自分のことのように喜んだ。
「良かったですね。そういうことなら、好きなのを持っていってもいいですよ。お金は、いりませんから」
「いや、払わせてくれ。金は使うためにある。溜め込んでも仕方がない。更紗、琴乃。好きなのを選んでみろ。俺が言うのもなんだが、 中々かわいいと思うぞ」

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 青い髪の少女が作ったのは、紙粘土に色を塗って作った小間物だった。
中には余り布で作ったらしい、服をきたのもあった。

「どうした?」
 不意に考え込む副官に、準竜師は言った。
「どこかなつかしい思いが」
 副官は目を細めた。
「俺もそう思った。伯父貴の作風に似てるんだよな」
「それです」
「ごめんなさい」
 青い髪の少女は恥じ入って謝った。

「いや、謝る必要はない。むしろ感謝したいくらいだ。なつかしい」
 準竜師は赤いちゃんちゃんこを着た寅縞の猫の置物をとった。
「ねこのかみさまですね」
「ペンギンの友だ。俺は会ったことはないが」
「今度そういう事を言ったら、メザシと一緒に焼きますからね。うん、確かにかわいいですね。ね、琴乃」
 琴乃はウォードレスを着たイルカを手に取った。これと決めたようだった。

「これを貰おう」
「私はこれと、これを。ねこのかみさまと、それが棲む家を」

 丸いテントのような置物は、どうやら家のようだった。
小さい看板がついている。準竜師はそれに目を走らせて、笑って見せた。

「正義最後の砦、出張所か」
「何語ですか」
「猫語だ」

 更紗は準竜師を殴った。
「なぜ?」準竜師。
「そういう話はしないでって、言ったじゃないですか。それと、いつから人間まで裏切るようになったんですか。貴方は」
 副官は目を細めた。
「猫でも人語が分る奴もいる。逆もある」
 準竜師はそう答えた後、頭をかいた。結局のところ、準竜師は現実主義者だった。無理に信じてもらおうとは、思わなかった。
「まあいい。ではこの3つをくれ」
「全部で300円です」
「俺はもっと値上げしてもいいと思うぞ」
 準竜師は300円を渡しながら言った。釣りはいらないと言うとこの娘が悲しそうな顔をすることを学んでいたので、そうはしなかった。

「この間、小さな子がいて、お小遣い足りなさそうだったから」
 青い髪の少女は、笑顔で言った。
「だからいいんです。この値段で」

「ふむ、そなたの弟の言うことは本当だな」
「うちの勇気が、なにか?」

 準竜師は、立ち去りながら口を開いた。
「悪いことではないよ。弟さんによろしく。困った時は思い出すようにと」

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 準竜師は副官と並んで歩いた。
いつもは半歩引いて歩く副官だったが、公園の中だけでは、昔に戻ると決めたようだった

「久しぶりにいい人を見ましたね。お世話、するのでしょう?」
「こっそりな」

 準竜師は副官の腕をつかんだ。顔を赤らめる副官。
「あ、あの、さすがにこういうところだと。ちょっと、高校の頃じゃあるまいし」
「隠れるぞ」
「え?」

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 隠れた準竜師と更紗、琴乃の前に姿を見せたのは、超高速スキップで公園にやってきた岩田であった。

「大家令……?」
 目を細めながら、更紗は信じられないという風に口を開いた。
「これを、探していたのですか?」
「いや、偶然だ。どういうことだ」
 準竜師。震え始める琴乃を抱きしめる。
「貴方の特殊な趣味がらみじゃないんですか?」
 勝吏の尻をつねりながら、更紗。
「それもないな……くそ、あの子の処に行くのか」

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「いらっしゃい」
 青い髪の少女は、岩田の姿を見るとにっこり笑った。

「こんにちは」
 岩田もにっこり笑い、空気椅子のポーズで、青い髪の少女と話し始める。
どうやら二人は知り合いのようだった。


「毎日、来られるんですね」
 青い髪の少女は、優しく言った。

「電波が私を呼んでいるんです」
 同じくらい優しく、岩田は言った。

「電波、ですか」
 青い髪の少女は、少しも否定的な感じを匂わせることなく、にこにこしながら言った。
「ええ。強力な奴です」
 岩田も、普段の言動とは裏腹に、静かとも言っていい態度でそう言った。


 しばらくの沈黙。
先に喋りだしたのは、岩田だった。

 公園を見渡しながら、岩田は静かに言った。
「この世で一番悲しいことが何か、分かりますか」

 青い髪の少女は、首を左右に振った。
「ごめんなさい。私、あんまり不幸なこと、知らなくて。一番悲しいのは、やっぱり、何かが亡くなることでしょうか」

 岩田はしばらく黙った後、不意に口を開いた。
「それは自分の本当の姿を、他の誰も知らないことですよ」

 そして、優しく言った。
「もしも本当の僕を知る人がいるとしたら、僕はその人のために、運命にも反逆するでしょう。それが僕の決めた、唯一つの恋のルールです」

「見つかりましたか? そんな人が」
 青い髪の少女は、控えめに言った。

「ええ」
 岩田の声は、抑制が利いている。加藤と話すときのような不自然さは鳴りを潜め、ひたすら優しい理知的さだけが残っている。

 青い髪の少女はにっこり笑った。
「そうじゃないかと、思いました。だって、今日はどこか幸せそうだから」
「ありがとう」
 岩田は頭を下げた。
「そうだ、こんなものしかないけれど、どれでも好きなものを持っていってください。贈ります」
「ありがとう。でも、私が欲しいのは、その眼鏡です。その眼鏡を、譲ってください」

「この眼鏡、ですか」
 青い髪の少女は、黒縁眼鏡をつけていた。自分を指差す青い髪の少女。
岩田は静かにうなずいた。
「ええ。その眼鏡です。まさか生きているうちに、それをまた見ることが出来るとは思いませんでした。いや、本当にそれは、必要なときに 必ず届くものだったのかもしれません。お金であれば、いくらでも出します。どうぞ、私めに譲ってください」

 青い髪の少女は戸惑った。実際のところ、眼鏡がないと何も見えないのだった。
「でもこれは、その、貰い物なんです。それを勝手に人に譲るのは。でも……」
 青い髪の少女は岩田の悲しそうな表情を見てしばらく考えた後、にっこり笑って眼鏡を外した。
「でも、きっと貴方に渡るんだったら、きっと許してくれますよね。はい。お金はいりません。貰い物には、価値がつけられないから」

「ありがとう。……本当にありがとう」
 岩田は眼鏡を受け取ると、空中に放り投げてメスで半分に切断した。
右手と左手に眼鏡を握る。

「その眼鏡のことを知っているんですか?」
 青い髪の少女は、驚いて言った。
「少しはね。はい」
 岩田は傷一つない綺麗な黒縁眼鏡を青い髪の少女に渡した。
眼鏡を掛ける青い髪の少女。
「実は、その眼鏡のことは秘密だよって、教えられたんです」
「ええ。知っていますよ。私もそうでしたから」

 岩田は、同じく傷一つない綺麗な黒縁眼鏡をポケットに入れた。
「ありがとう。貴方のおかげで、必要なものはみんな手に入りました。子供の頃に欲しかったものは、みんな手に入った」
「良かったですね」

 岩田は静かに立ち上がり、深々と一礼した。
「貴方にお礼を。どんなことでも」
「私は何も……ああ、でも」
 青い髪の少女は考えた後、顔を上げた。
「なんでしょう」
 岩田は優しい。

「もし、困っている人に気づいたら、助けてあげてください。それでは、駄目でしょうか」
 岩田はにっこり笑った。

「いえ。僕はそのために生まれてきたんですよ」

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 岩田はそう言うと、表情を変化させた。電波受信。
目を細める。

「さっそく来たようだ。失礼。貴方のためのお礼は、別の機会にでも」
「……私の事は、心配しないでいいですよ」
「貴方の幸せは、僕の問題なんですよ」

 長い手足を大きく振って岩田は走り出した。ジャンプ一発。ジャンプ中に一分の隙もなくYシャツを着込み、完璧なまでにネクタイを巻き、 安っぽいがノリノリにクリーニングされた黄色いジャケットに腕を通す。屋根の上に着地。

 同じく屋根の上を音もなく、誰にも気づかれることなく移動していた死の姉妹、踏子の前に現れる。

「これはこれは踏子様。今日は何のピクニックで」
「死の姉妹が墓所から出てきたということは、その意味は一つだけ。死を量産しに来たのよ。お分かり、死神さん?」
「承知」

 岩田は手で顔を隠すと、次の瞬間、ノーメイクになって髪を伸ばした。ださださな黒眼鏡をかける。それこそは核の炎を浴びても スペシウムバズーカの直撃を受けても、何年も何十年もかけて自己再生して復活する、不屈の強化眼鏡であった。
「ですが、残念。僕は誰の死も望んでおりません。お引き取りください」

 踏子は風に髪をはためかせた。もはや誰にも膝を屈することのない岩田を見る。
「神楽の家令、辞めたみたいね」
「才能も身分も年齢も何もかも捨てて職を選べるとするならば。……僕は、未来の護り手になりたいと思っていました」

「それでなれたの? 未来の護り手に」

 岩田は我が左胸に手をあてた。
「……悪党の子で、ただのクローンではありますが。……この気持ちだけは」
「そっちの方が似合うわ」

 踏子は、三つ編みをとめるリボンを取ると、岩田に投げて寄越した。

「とりなさい。昔からいい男は、いい女のリボンを身につけるものよ」

 左胸にあてていた右手を翻し、岩田はリボンを握ると風に揺らした。
「なるほど。ではこれで僕は無敵な訳だ」

「そういう馬鹿な所もちょっと好きよ。ミュンヒハウゼン! 髪のセットが乱れたわ。今日は帰る」
「はい、お嬢様!」

 ミュンヒハウゼンが、口元を笑わせて元同僚の肩を叩いていく。

「それと、動いている姉妹は私だけじゃないわよ。謡子も動いているはず」
「承知しました」
 岩田は、踏子のリボンで長い髪を結わえると、さわやかに笑った。
手を天に差し伸ばし、下ろす。次の瞬間には魔法のようにバズーカを握っている。
そして腰を左右に振った。

「それでは、初仕事と参りましょうか」

 そして岩田は、屋根という屋根を飛んで渡って、顎を突き出し嬉しそうに笑って、走り始めた。