五章 梅木戸山【ルビ:うめぎどやま】決戦
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どこにこんなにたくさん隠れていたのだろう。
リビングルームのあちこちから青い液体が駒子に向かって押し寄せていた。
まるでホラー映画でおなじみの人喰いスライムのようだ。
あがけばあがくほど全身にべっとりとまとわりつき、どんどん動けなくなった。
背中の大蜘蛛の脚にも青い液体が取りついている。まともに動くのは一本だけ。その一本もバタバタと音を立てるばかりで床を踏ん張ることすらできない。
想像したくはないけれど、今の自分の姿は、粘着シートに捕らえられたゴキブリそっくりに違いないと駒子は思った。
横向きに床に貼りついた顔の前に、陽が履いていた編み上げのロングブーツが見えた。目だけで見上げれば、胡蝶が少し腰を折り、こちらを見下ろしている。その背後には、真っ赤な蜘蛛の脚がせわしなく蠢いている。
「本物の三ツ橋はんはどこえ? あんさんなら、知ったはるやろ?」
その声に向かって、一本だけ動く阿修羅の脚が突きだされた。だが胡蝶の手に難なく捉えられる。
「今さらつまらんこと、しんときて。痛い目ぇ見るだけ損どすえ」
胡蝶は、駒子の右肩の後ろに片足を乗せて踏ん張ると、つかんでいた蜘蛛の脚をねじりながら左右に振った。そしていきなり引っぱった。
「ぎゃああああああッ!!」
駒子は、我慢できずに泣き叫んでいた。
修学旅行で阿修羅を用いて戦ったとき、胡蝶に大蜘蛛の脚を砕かれた。さらには邪魔になった脚を夜鳥子が自ら切断した。そのときは、少しも痛みを感じなかった。
だが、今回は違う。背中の肉をえぐられるような痛みだ。
目の前の床に駒子の背から引っこ抜かれた大蜘蛛の脚が放りだされた。
おそらく駒子に見える場所に、胡蝶はわざと投げ捨てたのだろう。その根元に蜘蛛の白い神経の束と、蜘蛛のものではない赤い肉片がついていた。
「これ、痛いやろ? うちも昔やられたことあるんえ。葛城の衆に押さえつけられて一本ずつ引っこ抜かれてな。三本目ぇ、いかれたときは、『早う殺して』しか言えへんかったわ。せやのに、あいつら……」
ミチミチと不気味な音がそばで聞こえ、背中の肉が引きつる。二本目の蜘蛛の脚を胡蝶がねじりながら、船頭が艪をこぐようにゆっくりと揺さぶっている。
胡蝶は明らかに一本目を引き抜いたときより時間をかけていた。これからまたあの激痛が来ることを自分に教えて、苦しみを長びかせようとしている。その魂胆がわかっていながら、恐怖で歯の根が合わない。
「早う白状しいて。うち、ホンマはこないな回りくどい殺し方、好かんのや」
そう言うと、肩を踏む胡蝶の足に再び力が入った。駒子は、思わず目をつぶり歯を食いしばる。だが、無駄だった。
「うぐぅ、ぎゃあああああああああああッ!!」
それは、確かに自分の口から出た声だった。だが、途中で意識が薄らいだせいだろう、悲鳴が遠のき、視界が真っ白になった。最後まで残った感覚は味覚と嗅覚だ。喉か鼻の奥の血管が切れたらしい。口の中に特有の甘さと生臭さが広がっていく。
「な、ええ子やから早う言いよし。そしたらすぐに楽にしたげまっさかい」