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傷だらけのビーナ 試し読み1
桝田 省治

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 12月17日エンターブレインより、僕の新刊「傷だらけのビーナ」が発売されます。
 序章1章分を本日から毎日1節ずつ公開していきますので、読んでください。

●粗筋
女だてらに兵士になりたい少女と、男尊女卑のセクハラオヤジが一千の敵を相手にふたりで篭城【ルビ:ろうじょう】戦に挑む!!


目次

序章 チグル村
[精霊の棲む山]
[チグルの虐殺]

一章 王都マリーシャ
[出陣式]
[港の秘密基地]
[再会]
[もうひとつの再会]
[魔物]
[エルの決断]

二章 旅路
[馬車の荷台]
[零【ルビ:ゼロ】小隊]
[傭兵くずれ]
[楽園の村]
[入城]

三章 迎撃準備
[指揮官ロウザイ]
[密偵]
[案山子作り]
[惜別]
[落日]

四章 ボバドン作戦
[物見櫓の上]
[戦車爆走]
[再び、物見櫓の上]
[石切り場の人影]
[血模様]

五章 魔女
[朝まだ来]
[階段の攻防]
[逆襲]
[ビーナとサコト]
[肉迫]
[百爆血]
[去来]

六章 白兵戦
[思わぬ提言と依頼]
[交渉]
[開門]
[罠【ルビ:トラップ】]
[契約]
[絆]

終章 三ヵ月後
[輝く海]

後書き


序章 チグル村


[精霊の棲む山]


 何かの顔だ。
 目のかわりに開けられたふたつの大きな穴には、深い闇が宿っていた。
 広い額に刻まれた太い皺が、何匹もの蛇がのたくっているように見える。
 はげあがり、額との境目がなくなった頭の上に残る毛はわずかだが、頭の左右はボサボサの真っ黒な髪がおおい、だらりと長く垂れさがっている。そこから突きだしているのは、手のひらほどもある先のとがった耳だ。
 三角の鼻は、額やしゃくれた顎よりも低く、丸い穴を正面に向けている。
 なまめかしい赤で細く縁どられた口は、耳の近くまで裂け、大きく開いている。その中に山犬を思わせる鋭い歯がズラリと並んでいて、ひときわ大きな牙が上下に二対ずつはえていた。
 その表情は、怒りにまかせて叫んでいるようでもあり、世の中のすべてを笑いとばしているようでもあった。
 これは、山の民に豊かな恵みをもたらしてくれる精霊【ルビ:ボンゴロス】たちがもつ、もうひとつの恐ろしい顔、
 ――魔物の面だ。
 この異形の面が、少女が歩【ルビ:ほ】を進めるたびに、まだ丸みが目立たない腰のあたりで踊るように揺れている。
 腰にぶらさげた面と背中にまわした小ぶりの弓と矢筒を除けば、少女が身につけているのは、短い帯で軽く結んだだけの袖がない麻の着物一枚だけ。大きな魔物の面がなければお尻が見えそうなほど、着物の丈が極端に短いが、気にする素振りはまったくない。
 少女は、蒸すような暑さのなか、生い茂る草木をかきわけながら一心に山を登っていく。
 かなり急な斜面にもかかわらず、その足どりは子馬が跳ねるように軽快だ。息も上がっていないし、男の子のように短く刈った髪には一滴の汗すらかいていない。それどころか、白い歯がこぼれる口元には、楽しげな笑みさえ浮かんでいた。
 少女の名は、ビーナ。
 近くにある人口六十人ほどの小さな集落、チグル村に暮らす九歳になったばかりの娘だ。
 その腰に結わえられた奇怪な面は、昨夜の祭りでビーナがかぶっていたものだった。
 このあたりの山村では、新年を迎える前の夜に邪気をはらう追儺【ルビ:ついな】祭りが催される。恐ろしげな面をつけた魔物役を、笛や太鼓を盛大に鳴らして大騒ぎしながら村の外まで追いたてていく。
 魔物に扮するのは、たいてい子供。その理由は、魔物が村を出て行く際に、餅や菓子が供されるからだ。さらには、こわい顔の魔物ほどより多くの供物が集まる……となれば、そのごちそうを目当てに子供たちは競って恐ろしげな面作りに熱中する。これも、年の瀬の恒例行事だ。
 にぎやかだった大晦日から一夜明けると、うってかわって正月の三が日は静かに過ごすのが決まりになっている。家から出てはいけないし、大声も火を燃やすのも厳禁。村を無人に見せかけて、出ていった魔物たちが戻ってこないようにするためだ。
 だが、この風習は、酒を飲んで寝正月を決めこむ男たちや、煮炊きの家事から解放される女たちにはともかく、遊びたい盛りの子供には不評だった。とくに、一日たりとも太陽の下で走りまわらずにはおれない性質【ルビ:たち】のビーナには、死ぬほど退屈で半日と我慢ができなかった。
「母ちゃん、あたし、厠に行ってくるね」
「おまえ、正月だけは絶対に山に入るんじゃないよ」
「まさか!? そんなことしたらバチが当たるもんねえ」
 そう応えて家【ルビ:うち】を出たにもかかわらず、ビーナは村の下を流れる川には向かわず、迷うことなく山を登っていた。

 ビーナが足を止めたのは、ちょうど村の裏手に当たる山の中腹。そこに巨大なアカオの木がそびえ立っていた。山ノ神が住まうとされる神木だ。根元は、ビーナの家族が住む小屋よりもはるかに大きく、途中から二股に分かれた幹を下から見上げると、その偉容はさながら空を背負う巨人のようだ。
 草木が密集した森の中で、その周囲だけ地面が露出している。赤ん坊の頭に似た大きなコブにおおわれた根元には、ビーナより少し背の高い石造りの古い社祠がひっそりと建っていた。
「聖なる場所だから絶対に近づいてはいけないよ。神隠しにあうからね」
 大人たちから耳にタコができるほど聞かされていた、この場所こそがビーナの遊び場だった。
 背をそらせて巨木を見上げるビーナの顔は、あいかわらずニヤニヤしていた。実は、昨夜の祭りで、ビーナの面が断トツの一番人気だったのだ。
 人気の決め手は、大人がかぶれるほどの迫力満点の大きさだった。ビーナがつけると胸まで魔物の髪がおおい、大きな顔から直接手足がはえているように見えた。
 おかげで、ひとつ違いの兄に分けてもまだ余るほどの供物を手に入れたし、めったにほめない父にまで「本物みたいだ」と言われて、ビーナは鼻高々だった。
 けれど、思い出し笑いの理由は、それだけではない。
「ねえ、ボンゴロス!! 本物【本物に傍点】、みたいだってさ!!」
 ビーナは、陽光がこぼれおちる木の上に向かって叫ぶと、サンダルを脱いで祠の屋根によじのぼった。
 屋根の上側には、山ノ神を表す△の形が刻まれている。その印を蹴るようにして、ビーナは神木に飛びうつった。毎日のように登っているから、幹を這うイチジクのツルや足場になる洞の位置は目をつぶっていてもわかる。ツルをつかみ、丸出しの腕と膝で幹にしがみつくようにして、ビーナはどんどん上を目指していた。
 正月が終われば、祭りに使った面は、村の広場に集められて焚き火に放りこまれる。残念ながらどんなに素晴らしい出来であっても例外はない。その火で煮る芋汁粉の甘さは楽しみだったが、ひと月もかけて苦心して作った面だ、やっぱり惜しい。
 せめて燃やす前に見せておきたい相手がいた。それは面と同じ顔をした、ビーナの秘密の友だちだ。

 ビーナには精霊【ルビ:ボンゴロス】が見えた。
 ……といっても、山で生まれ育った子供ならたいてい見える。ただし、六歳を過ぎても精霊が見える者は珍しい。まして九歳になってもこの能力を残しているのは、村ではもうビーナだけだった。
 精霊が見えなくなった途端、精霊が見えていたことすらみんな忘れてしまう。そして、同じ精霊を勝手に神さまとして祭りあげてみたり、時には魔物として無意味に追い払おうとする。
 これがビーナには不思議でならなかった。
 だが、そんな疑問を口にしようものなら、両親も兄も友だちも「昼間っから夢を見てんじゃねーよ。そんな暇があったら働け」と馬鹿にする。だから、ビーナは精霊の話題を避けていた。
 でも、精霊は確かにいる。それも、いっぱい、いつも、すぐそばにいる。
 神さまとあがめられようが魔物と恐れられようが、精霊は精霊だ。神さまでも魔物でもない。善いも悪いもない。人間の道徳とは元もと無縁の存在だ。気性が激しく気分にムラがあり、よく笑いよく怒りよく泣く。たまにひどいいたずらもするけれど、それはお互いさまだ。
 なにより遊び相手として最高だ。とくに隠れん坊は、人間の子供とは面白さの次元が違う。連中ときたら、木にもぐり土の中を走り風に溶けて、あっちとこっちの世界を行き来するのだから、本気で探さないとなかなか見つけられない。
 逆に精霊たちがビーナを探すときも面白い。目の前にいても息を止めてじっとしていれば、精霊にはビーナの姿が見えないのだ。
 精霊は、人間と住む世界が違う。とうぜん、何から何まで別だ。人間の物差しでは測れない。それが大人たちには、わからないらしい。自分や前例を基準にする。目に見えない、手で触れない、そんな話は聞いたことがない……、たったそれだけのことで否定しようとする。
 そっか……。
 あたしと精霊は、似たもの同士なのかもしれないね。だから気が合うのかも?
 ビーナは木を登っている途中で、ふとそんな気がした。そして、嫌いな言葉を思い出す。
『女には無理!!』
 ビーナが何かやろうとするたび、話も聞かず試しもしないで、大人、とくに男がすぐに止める。これも男と女、大人と子供で物差しが違うせいなのだろう。
 たとえば、狩りだ。ビーナの歳になれば、男の子なら父親や兄と一緒に狩りに出る。
 だが、ビーナが「あたしも連れてって」と頼んでも、父も兄も「女には無理!!」と頭から決めつけた。日頃はビーナの味方をしてくれる母までが「やめときな」とうろたえる。それも、村の子供でビーナが一番正確に素早く矢を射ることも、実はビーナのほうが兄よりも弓の腕前が上だということも承知しているくせにだ。
 ビーナは、大きく左右に分かれた木の股にまたがると、ため息をついた。
 いっそのこと、精霊の世界に行ってしまうのは、どうだろう?
 あんなにいろんな種類の精霊が住んでいて、それぞれ好き勝手に楽しくやっているようだから、きっとあっち側には「女には無理!!」と言いだす人はいないと思う。
 でも、枯れた木や死んだ動物や人が精霊になるという人もいる。あっちで生まれ変わるのを待つのだそうだ。だとしたら、行儀に口うるさかったおばあちゃんが、待ちかまえているかもしれない。それは、もう勘弁してほしい……。
 本当はどうなんだろう? そうじゃないかもしれないし……。
 ――あたしも連れてってよ!!
 そう頼んだら、精霊たちはどんな顔をするのかな?
 ビーナは自分の思いつきに胸をドキドキさせながら、友だちの到着を待っていた。
 だが、今日に限って精霊は一匹も現れない、精霊の世界に退屈な正月なんてあるはずないのに。
 そういえば、今日はなんだかおかしかった。
 常ならビーナがここまで登ってくる間にも、精霊が何匹も身体中にまとわりついてくる。髪を引っぱったり、脇腹をくすぐってきたり、お尻に噛みつくヤツもいる。
 精霊は気まぐれだから、今日のようになかなかやって来ない日も、もちろんたまにはあるけど……。それにしたって気配すら感じない。
 かわりに突風が吹いた。湿り気を含んだ生ぬるい風だ。
 ビーナが座っている木は巨大だから、太い幹は微動だにしない。だが、枝がいっせいにざわめき、今朝降った雨の雫がビーナの全身を容赦なく濡らした。
 精霊のいたずらだろう。最初はそう思った。
 だけど、何かが違う。鳥の声がやんで、森全体に重苦しい静けさがじわじわとしみこんでいる。なんともイヤな感じだ。
 ビーナは、少し心細くなって顔をあげた。いつの間にか日が陰っていた。じきに雨が降りだしそうだ。葉の影が暗い。その生い茂った葉のすき間から、わずかに村が見えた。
「あっれ~? どうして?」
 ビーナが思わず声を出したのは、家々から煙が立ちのぼっていたからだ。それも一軒や二軒ではない。正月の三日間は煮炊き禁止のはずなのに……ヘンだ。
 そう気づいたとき、山の下から声が突きあげるように飛んできた。
 それは大勢の怒声と悲鳴だ。
 村の中央にある広場を誰かが駆けている。それを数人が追いかけていく様がチラッと見えた。
 ――いったい何が起きてるの!?
 さっぱりわからない。それでも木を滑りおり、ビーナは村に向かって夢中で駆けだしていた。
 走りだした途端に、身体の前面にフワフワした形のないものが次々に衝突した。
 精霊だ。
 さっきまで気配も見せなかったくせに、急いでいる今ごろになって現れるなんてどういうつもりだろう?
 それにしても異常な数だ。ビーナの全身を包むほどたくさんの精霊が集まってきたのは初めてかもしれない。おかげで水中を走っているように足が重くて息苦しい。さらには、耳もとで聞こえる精霊のささやき声が、虫の羽音のようでかんにさわる。
「行ッチャ、ダメ」「ビーナ、森デ遊ボッ」「ホラ、押シクラマンジューダ♪」「帰ルト、バチガアタルゾ」「イイカラ遊ボーヨ」「ビーナ、戻レッテバ」「隠レン坊シヨッカ?」「オイラト遊ボーヤ、ビーナ」「イツモミタイニ楽シクヤロウゼ」「ネエ、遊ンデ、遊ンデ」「コラ、二度ト遊ンデヤラナイゾ」「ホーラ押セ、押セ」「行クナラ食ッチャウヨ」「森カラ出ルンジャンナイヨ」「バーカ、バーカ」「言ウコト聞ケ」「行クナッタラ」「行クナヨ」「行クナ」「行クナ」「行クナアアア」
 精霊の身勝手さや悪ふざけには慣れっこのつもりだったが、今日ばかりは我慢できない。
「うるさい!! あっちに行って!!」
 ビーナは思わず怒鳴り、見えない茂みをかきわけるように何度も大きく腕をふった。
 にぎやかな気配が少しずつ遠のき、身体が軽くなる。ビーナは、再び足を速めた。


(明日は、序章2[チグルの虐殺])
http://www.alfasystem.net/a_m/archives/279.html

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