●勇者死す、概要
これを面白いと思うかどうかは人それぞれですが
面白いと感じる人にとっては、よく宣伝文句にあるとおり
「今までにない面白さ」だと思います。
ちょうど今、プロデュサーに頼まれた広告用の原稿を送ったとこなので、まずは設定から
勇者は、ついに世界を滅ぼそうとしていた魔王を倒した。
だが、その代償に命を失った……。
しばらくのち、奇跡が起きた。
神の導きにより、勇者は五日間だけの生を得たのだ。
目覚めた勇者は、世界に平安が訪れたものと信じていた。
だが、そうではない。
戦時中は協力していた人間と亜人種が小競り合いを始めていた。
失業した騎士や傭兵が町にあふれかえっている。
戦火の激しかった地区と免れた地区に埋めがたい格差が生じていた。
だが、国全体が疲弊し、魔物に焼かれた町の復興は滞っている。
新興の商人たちと既得権を守ろうとする王族が反目していた。
辺境の洞窟や廃墟には、今も魔物の残党が立てこもっている。
そんな混乱の中、勇者は行方不明の恋人を探す旅に出る。
彼に残された時間は、泣いても笑ってもわずかに五日……。
ま、こんな感じ。
スタート時の勇者は、魔王を倒したそのままの最高の強さ、装備、財産、地位名声を維持しています。
ですが、時間経過とともに「死」が近づき、体力は衰え、呪文は忘れ、今まで軽々と扱えた剣すら重く感じ始めます。
そんな中で何をするか?
逆に言えば、何をしないでおくか?
何をしても五日(実時間で6~8時間)で終わり。
勇者が満足を得るのは、葬儀に集まった人々の弔辞だけ。
ゲーム性としては、ぜんぜんジャンルは違いますし、予想はしてませんでしたが、僕はなぜかテトリスに似ていると感じました。
ブロックの形を見て、落ちるまでの間に最善と思われる場所に可能な限りはめていく。それぞれの判断が真に最善であったかどうかわかるのは、たいていゲームオーバーのとき。
最初は、余裕を持ってできていたことが時間経過とともに「え?」「うそ?」「そんな!」になってくる。
あの感じを数時間かけてやってる気がします。
最初に言ったとおり、それを面白いと思うかどうかは人それぞれ。
たぶん「私の人生もあと**年だ」とか「今、死んだら葬式は誰が来るんだろ」とか「あのとき**を選んでおけばよかった」とか、そういうことを考え始める年齢に達している人には、たぶん面白いと思います。
「切ない気分に浸りたいときにどーぞ」
●勇者死す、構造の話
昔、マーズのコラムにトランプの「神経衰弱(たぶん今はこの呼称じゃないと思う)」と「ババ抜き(これも酷い名前だ)」は、構造としては同じなんだよ、という話を書いた。
かいつまんで言えば、伏せられている2枚の札の数字が同じなら取り去るというルールがあって、あとはそれが初期状態で場札か手札かの違いがあるから、たくさん集めた者勝ちか早く無くした者勝ちかの勝利条件が変えてあるだけ。両者は構造的にはほぼ同じ。
同じなのに面白さはまったく違うよね。
そんな感じの話だ。
で、勇者死す。
勇者死すとDQやFFを代表とする多くのRPGにもこの関係が成り立っている。
普通のRPGでは、体力、お金、魔法、装備などの要素をうまく交換しながら増やしていく。で、実際は増やす過程が面白いのだけど、結末としてはたいていは巨悪を倒すことが目標になってる。
それに対して「勇者死す」の場合は、初期状態が体力、お金、魔法、装備などの要素が最大値。
なにしろ魔王を倒した直後だ。
これを時間内に、他人の幸せといかにうまく交換して減らしていくか。この過程がミソだ。で、結末はその結果発表としてのお葬式。
増やしていくか減らしていくかの違いだけで、要素を分解していけば構造的にはよく似ているし、部品もほぼ同じ。
だけど、神経衰弱とババ抜きの面白さが違うように「勇者死す」と多くのRPGは面白さの質が違う。
楽しみにしてて。
けっこう思い切ったチューニングにしてみたから。
●勇者死す、お気に入りのメッセージ
他のRPGでは、まずお目にかかれないメッセージをふたつ。
パラメータが低下していくとときどき表示されます。
まずは、これ。
「“魔法名”の呪文が思い出せない……」
四十歳くらいから顕著になりますが、なんでもない単語が思い出せなくなります。顔は覚えているのに人の名前が出てこない。そういうこともよくある。
システム上の処理としては、今までメニューにあった魔法を削除するだけなんだけど、ダンジョンに行ってボスを倒して、さあ移動の魔法で一気に町へ帰ろうと思っていたらその直前に、その魔法が消えるとけっこうショックです。
それに魔法のメニューにどんどん空欄が増えていくのがなんとも虚しい。
あと、これ。
「“装備名”が重く感じるようになった……」
1キロくらい走ってもぜんぜん平気なつもりが200メートルと走らないうちに息切れして、あれ? こんなはずじゃあ、みたいな。
そういえば、こないだも本を詰めたダンボール箱を発送するのに、息子に運んでもらったよ。
こっちは、力パラメータの半分以上の武器や防具を装備した状態だと、その差分を素早さのパラメータから引いてる。
素早さが下がってくると、たとえばゲームスタート時、モンスターが4匹出てきたとしても、ずっと俺のターンみたいな感じで主人公ひとりで4匹とも倒せていたのが、どれだけ攻撃力があろうとも行動の順番自体が回ってこない。
中盤から若いキャラを仲間にすることができるのだけど、けっきょくその連中だけでモンスターを倒して、主人公出番なしで戦闘が終わることもしばしば。
いや、ホント「およびでない? こりゃまた失礼いたしました」と言いたくなる。
で、衰えた体力に合った装備に交換すると、ターンはまともに回ってくるようになる。でも、攻撃しても当然大した威力はない。せいぜい仲間の回復をしたり、邪魔にならないように身を守ったり。
そういう地味な仕事って俺の担当じゃなかったんだけどなあ、と遠い目で見てみたり。
そういえば、ここ1年、あるゲームの監修というか助言というか、そんな仕事をやらせてもらってた。
その打ち合わせ中にも何度か思ったよ。
「こういうまとめ役って、僕の仕事じゃなかったんだけど、おかしいなあ」って。
「桝田省治は、細かい町の人のメッセージ書きが辛くなった……」
とか、まあ、さすがにそういうことはないけどね。
でも、まあ、200メートル走っただけで息切れするということを受け入れれば、若いときより5分早くうちを出るようにすればいいだけで、ゆっくり歩けば今まで気づかなかった人様の家の庭先の花も目に入るし、悪いことばかりじゃない。
たぶん歳をとるって言うことは、そういうことなんだよ。