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続、戦闘計算式初級講座
桝田 省治

 こないだの「戦闘計算式初級講座」がわりと評判がよくて、続きをリクエストされるのだけど、他は汎用化が難しい。

 たとえば「会心の一撃」。
 これを「たまたま敵の急所に当たったラッキーパンチ」と捉えるか「たまたま理想的な力の配分で敵を殴れた」のかによって、意味は違う。
 ラッキーパンチなら、1/20くらいでランダムに発生させて、攻撃のアクセントとして機能する。
 後者なら剣道や野球選手の素ぶりと同じで、理想的な太刀筋やら軌道は、経験を積めば出やすくなるはずだ。そうするとレベル差が開けばバンバン会心の一撃が出てもおかしくない。
 当然、ただのラッキーパンチと、理想の太刀筋じゃ、それを表現する計算式は異なる。プレイヤーにとっては、両者ともたまに出る大ダメージに見える場合もあるだろうけど。
 もちろん「会心の一撃」の解釈はこの2通りだけじゃないし、この2通りが同時に起こることもあり得るだろう。わかってるけど、あえてラッキーパンチにしぼるというゲームデザインだってある。
 ようするに自分が再現したい戦闘の場においての「会心の一撃」の意味や演出的効果、あるいはその重要性を考慮して組み立てるわけだ。

 命中率と回避率も同じ。
 いろんな解釈があるだろうし、騎士VS騎士と忍者VS忍者じゃ、当たった外れたの意味が違う。当然、判定式も違う。

 あと、リアルであるかどうかより、それが面白いか、快感かという点のほうが大事だ。
 たとえば、大人と子供が相撲を取れば結果は最初からわかる。
 でもそこにラッキーパンチや、たまたまうまく避けたが、入ったほうが盛り上がるのは明らかだ。

 いわゆる魔法に至っては、もともと想像の産物なのだから、解釈は千差万別だ。
 そういうときは、自分が作りたい戦闘において魔法がどんな場面でどんなふうに使われるか、絵や文にしてみるといい。
 呪文は長いしMPも大量に消費するが敵を一網打尽にできる殺りく兵器なのか、それともメインは戦士や剣士の攻撃で、魔法使いはそれを支援する気のきいたアシスタントなのか。
 ゲームの序盤中盤終盤で、その意味や役割が変わる場合もある。
 あるいは、テニスのダブルスと、二人乗りのボブスレーと、投手と捕手とじゃ、同じ二人でも役割が違う。
 たとえがイマイチだけど、ネギは薬味として使えるし、鳥ガラと一緒にコトコト煮れば十分メインの食材にもなる。ようは、どんな料理を作りたいかでネギの役割も変わる。当然調理法も変わる。そういうことだよ。

 そのへんをアレコレ考えて、自分が再現したい戦闘の部品を集め、バランスをとる。
 DQやFFがこうやってるから単純にマネしようじゃなく、なぜそうなってるかをよく考えることだ。

戦闘計算式初級講座
桝田 省治

 戦闘で最も多頻度で使用するコマンドは「戦う」。剣などの武器による通常攻撃だ。
 このバランスさえしっかりしていれば、それなりに遊べるゲームになる。
 よって、ここでは、基本的な通常攻撃のダメージ計算式の作り方を解説する。

 まず念頭に置くのは「適正なバランスどり」だ。
 ここで言う「適正なバランスどり」には、ふたつの意味がある。
 ひとつは、ゲーム内の戦闘におけるプレイヤーの緊張感の維持。ふたつ目は、制作者があとあとイメージどおりにチューニングしやすいこと。

 緊張感のある戦闘とは、ようするに、いくつかのミスや不運が重なれば「死ぬ」リスクを感じるということだ。これは、具体的に「何発なぐれば敵を倒せるか」「敵に何発なぐられればやられるか」とイメージする。
 この「死ぬまでに何発」は、ボス戦では当然変わる。想定するターゲット、マップの広さや体力の回復手段等によっても変わる。
 ここでは、多くの人がイメージしやすいように、ごくオーソドックスなRPGの標準的なバランスをイメージする。

 今どきのRPGなら4対4あたりの集団戦が普通。
 雑魚戦なら「2発か3発たたけば敵を倒せる」、それに対して「1戦闘で平均2発なぐられ、それを回復せず放置すれば5戦闘、10発で死ぬ」。だいたいこんなイメージだろうか。

「10発で死ぬ」ということは、1発なぐられると最大体力の1/10が削られる。N発で死ぬなら、1発当たり1/Nだ。
 これを式にする。
 話をわかりやすくするために、敵も味方も、体力も攻撃力も守備力も全部100でイメージすればいい。

 攻撃力100-A×守備力100。
 Aは、「N発で死ぬ」補正値で、1-(1/N)だ。
 これで体力100の1/Nが1発ごとに削られていく。
 味方側の攻撃時のAは2.5(2発か3発で敵は死ぬ)、敵側の攻撃時のAは10(1戦闘2発で5戦闘はもつ)だ。
 いわゆるボスキャラに関しては、20発で倒せるならNは20。Aの値は(1-1/20)だ。回復魔法を使うボスなら16発とか、そのへんは適当に。逆に、ボスキャラの通常攻撃が味方を3発で殺すほど強烈なら、Nは3。Aの値は(1-1/3)となる。

 話をわかりやすくするために、敵も味方も全パラメータを100として説明した。だが、実際は攻撃力と守備力と体力は同じ数値ではないし、レベルが上がれば200にも500にもなる。こんな単純な式にはならないと、思うかもしれない。
 でもね、あなたはゲームデザイナーなのだから、単純にしてしまえばいい。そうすれば、あとあと調整もしやすくなる。たとえばパラメータの最大値は999。50レベル、全パラメータが600でラスボスに勝てる。ゲームスタート時は全部100。
 とりあえずこんな風に目安を立てる。そうすると1レベルでパラメータは10上がる。
 ただし攻撃力や守備力は、その半分程度が武器防具に依存するから、1レベルあたり5前後だ。だから、たとえば、20レベルなら体力は300、攻撃力も300(腕力200+剣100)となる。
 また、20レベルの主人公がそれなりの緊張感を維持しつつ戦う適正な敵は、体力、攻撃力、守備力がすべて300だ。
 こういう管理にしておけば、常に体力、攻撃力、守備力が同じ数値になり、先の「攻撃力-A×守備力」が、そのまま使用できる。

 これで各レベルの主人公の強さ、各レベルの敵の標準的な強さ、各レベルの主人公の標準的な装備の値が大まかに決まった。
 これらはここで固定してしまう。どうせ強さは相対で決まる。何かを最初に固定して基準にしないと先に進まない。

 次は、仲間キャラや敵の個性づけだ。
 これらは、主人公、あるいは標準的な敵の「変種」と位置づける。
 魔法使いなら体力が主人公の2割引とか、戦士なら攻撃力は1割増とか、適当な数値を先の「攻撃力100-A×守備力100」に放り込んでみよう。
 何度か違う数値で試して調整する。で、イメージに合う数値Bを見つけら、「B:100」の比でもって、各レベルの魔法使いや戦士のパラメータを割り出し、そこから武器防具の数値を決める。
 敵のパラメータの決め方も基本は同じだ。妙に硬いヤツ、体力は少ないが攻撃力が高いヤツなどの曲者は、「攻撃力100-A×守備力100」に適当な数値を放り込んで、イメージに合う数値を見つける。その比を汎用化して各レベルの曲者を同じ手順で作る。

 次は、「ここで主人公はMレベルに達しているだろう」という想定レベルを、「この塔は高いからここで3レベル上がるな」とか「この洞窟は抜けるだけ、抜けた先に町が見えるから簡単」とか主人公が冒険するマップの順路に割り振ってみよう。
 この想定レベルに従って、敵も配置する。
 よって、シナリオをスムーズに進めたいときは、緩やかに想定レベルを上げ、逆に難関の城などを演出し、プレイヤーを足止めしてたいときは、あえて2レベルほど飛ばして割り振る。

「攻撃力<A×守備力」のとき、「攻撃力-A×守備力」ではダメージが出ない。そういうときのためによくやるのは、「(攻撃力-A×守備力)+p」だ。pの値は、DQなら0~4あたり、いわゆる桝田ゲーなら攻撃力/64~攻撃力/32とか、そのへんだ。

 あと、気を配らなければならないのは、回復魔法の回復量と修得するレベルだろう。
 でも、これはすでに各レベルの体力が出ているから目処はつく。放置すれば5戦闘で死ぬとわかってるから、使用頻度も当たりがつく。そこから消費するMPの適正も導ける。

 ここから先は、そのゲームの特徴づけにより、まちまちだ。
 攻撃魔法や補助魔法を主体に魔法使いの話、フォーメーションや職業の組み換えをメインにした指揮官の話。「世代交代」をテーマに復讐劇。その趣向に合わせて、攻撃力-A×守備力を加工すればいい。

 以上

今週読んだ2冊
桝田 省治

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●ビッグボーナス ハセベバクシンオー著

 パチスロの攻略情報を売る詐欺組織の話だ。
 序盤は、パチスロ中毒者とそれをカモにする詐欺師の、どちらも「壊れてる」感じの温いんだか熱いんだかよくわからないやり取りが妙に新鮮。
 中盤から、ヤクザや企業など大きな組織の有無を言わせない介入が始まり、一気にハラハラドキドキ感が高まる。
 そこまではいい調子なのだが、終盤は「このピンチをどう切り抜ける!?」のオチが、派手な銃撃戦とカーアクション、終わってみれば「うるさいやつはみんな死にました」「AとBは実は前から知り合いでした」的なやや乱暴な風呂敷のたたみ方。
 悪いわけではないし、そのシーン自体は緊張感を保持していたとは思うが、序盤の「壊れてる」感の新鮮さに比べると凡庸な印象。
 とはいえ、中盤までの「リアルな非日常感」を楽しむだけでも十二分に楽しい。


●面影小町伝 米村圭伍著

 退屈姫君伝のサブキャラが主人公と聞いて、いつもの穏やかでコミカルなテイストだと思って読みはじめた。
 が、あにはからんや、サスペンス、あるいは因果がめぐる伝奇で、びっくり仰天。
 ひと振りの呪われた刀をめぐる設定周りは、いささか強引で、ある意味ツッコミどころ満載だが、それもここまで重ねれば様式美。
 ヒロインの数奇な運命に緊張の糸は途切れることなく、大満足の500ページ。
 さすが米村先生でございました。

今週読んだ本
桝田 省治

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●グラスホッパー 伊坂幸太郎著

 タイプの違う殺し屋3人の三つ巴戦。
 ラッシュライフと同じ多視点のドラマだ。
 いくつか時系列を崩してあるが、映画で言うところの編集が巧みなので混乱はない。
 キャラが適当にヘンで、台詞がうまい。
 ただし、「異能の殺し屋の三つ巴戦」という趣向だけなら、山田風太郎先生の忍者物にはワクワク感が及ばない。
 あと、個人的趣味としては、いびつな殺し屋が三人も出てくる話の結末としては妙に道徳的で破綻もなく肩すかしを食らった。

●風の墓碑銘 乃南アサ著

 昨夜ゲームのシナリオを書きつつ、煮詰まるたびに気分転換に30ページくらいずつ読んだ。
 結局朝方読了。
 主人公は女刑事。その相方は男尊女卑のセクハラ親父。
 二人の掛け合いと日常の描写が非常にうまいので、派手な銃撃戦とか奇妙な殺人現場とかぜんぜんないが、スルスルと読めてしまう。

 600ページほどの本を30ページずつ読んだということは、20回煮詰まったということか。
 1回あたり5~6分として、2時間弱のロス。
 作業としてはあまり効率がよろしくないな。

「ゲームデザイン脳」重版記念 試し読みその2
桝田 省治

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 ということで、今回の試し読みは、既に読み終えた方の話題によく上っている節をピックアップしてみました。
 詳しい目次はこちら。http://gihyo.jp/book/2010/978-4-7741-4192-3

●テレビゲームとは何か? その二 それは偶然か?

 前節「テレビゲームとは何か? その一 初めてのテレビゲーム」で書いたことは、テレビゲームがもつ他のメディアにない面白さの概念的な話だ。本節では、僕が思う、テレビゲームに向いたネタやその条件を書くことで、その面白さをもう少し具体的にしていく。
 また、本節の内容は、企画のネタと実際のゲームデザインの橋渡しになるはずだ。
 結論から書く。僕が思う、テレビゲーム向きのネタとは、“趣の異なる前向きなジレンマが適度なストレスをともなって、適当な頻度で繰り返しプレイヤーに提示され、その意思決定の結果によって、状況が変わりえる構造を有する事象”だ。
 ……と言われてもよくわからないだろうから、さっそく例を挙げる。
 たとえば、回転寿司。
 目の前を流れていくコンベアに載った握り寿司を客が勝手にとって食べる、半世紀前の人が見たら仰天すること請け合いの大発明の業態だ。ちなみにウィキペディアによれば、回転寿司は僕とほぼ同じ頃に誕生したらしい。
 さて、この回転寿司のどのへんが“趣の異なる前向きなジレンマが適度なストレスをともなって、適当な頻度で繰り返しプレイヤーに提示され、その意思決定の結果によって、状況が変わりえる構造を有する事象”なのかを検証してみよう。
 まず、胃の容量も財布の中身も有限であることが前提だ。すなわちリーズナブルな値段で美味しいからといって無限に食えるわけではない。
 仮に十皿で満腹になり、予算は二千円以内、メニューは一皿あたり百円~四百円、デザートも合わせると五十種を超えるとしよう。この条件だけでも十皿の組み合わせは一兆を超える。さらに食べる順番まで考慮すればほとんど無限だ。もちろん誰でも好き嫌いはあるから、仮にメニューの半分が対象外だとしても百億やそこらの組み合わせがある。
 回転寿司に行った客は、この百億の組み合わせの中から、来店のたびに一通りの組み合わせを選択している。それも一皿あたりの意思決定は、寿司が目の前を通りすぎる数秒間の間にたいてい行われている。
 これだけでも驚くが、さらに驚くのは、無限とも思える組み合わせの中から選んだ一通りの組み合わせに、たいていの客はそこそこ満足していることだ。それが証拠に、繁盛している回転寿司の客は、ほとんどがリピーターだ。
 もちろん完璧な選択などありえない。たとえば、ハマチの皿に手を伸ばそうとした瞬間、視界の右端に今しもヘアピンカーブを回ってきた美味そうなホタテがチラリと見えたとしたら、どうだろう?
 そのままハマチを取るか、ホタテを待つか。だが、ホタテは自分の前に来るまでに誰かが取ってしまう可能性がある。そうなったときは、注文しようか。いや、でも待っている間にすっかりホタテへの情熱が薄らぐこともある。じゃあ、やっぱりここは無難にハマチか。だが、ハマチを食べている目の前を結局誰も取らなかったホタテが通り過ぎたら後悔しないだろうか。
 迷った挙句に、じゃあハマチの皿を取り、さらにはホタテに手を伸ばそうとした瞬間、今しもヘアピンカーブを回ってきた美味しそうなアナゴが目に飛びこんでくる。ハマチのあとは、ホタテと言うよりアナゴのほうが合うんじゃないか? いや、でもハマチで九皿目だし、締めの一皿でアナゴのタレの甘さが口に残って終りというのはいかがなもんだろう……。でも、美味そう。
 この感じこそがまさに“趣の異なる前向きなジレンマが適度なストレスをともなって、適当な頻度で繰り返しプレイヤーに提示され、その意思決定の結果によって、状況が変わりえる構造を有する事象”だ。……わかるかな?
 ハマチであろうとホタテであろうアナゴであろうと、腹が膨れるという最低限の目的は達せられる。それにどれを選ぼうが、今どきの回転寿司はそこそこ美味しい。だが、結局あきらめた皿がある限り、満足度が一〇〇%になることはない。結果、「次こそはホタテを食べるぞ」とか次回来店の動機づけになる。
 ところでだ。ハマチに手を伸ばそうとした瞬間、ホタテがチラリと見えたのは、もちろん偶然だろう。だが、「本当に偶然だろうか?」と読者に問うておく。

 次は、野球の話。野球のルールを知らない人は、置いてきぼりにして申し訳ない。適当に読みとばしてほしい。
 たとえば、立ちあがりの悪い能見投手(阪神)が一回に巨人から一点とられたものの、その後は立ち直り五回まで好投し追加点は入っていない。今日の能見投手の調子からこの後もそうそう点はとられないだろうと期待できる。だが、ゴンザレス投手(巨人)も調子がいい。四回まで被安打ゼロ。ところが五回裏、阪神の下位打線が爆発。ラッキーなヒットもあって二死ながら満塁。ここでバッター能見。打率は一割。
 はたして真弓監督(阪神)は、昇り調子の能見をあきらめて代打を送るか!?
 あるいは、三対二で巨人リード。九回裏阪神の攻撃も二アウト。だが、ランナー一、三塁。ここで迎えるバッターは金本(阪神)。ただし金本、ここ三試合ノーヒット。金本と勝負か、敬遠して新井と勝負か。原監督(巨人)の采配やいかに!?
 勝負事なので判断の結果は必ず出る。応援しているチームが勝つに越したことはない。だが、野球観戦の醍醐味は、まずはこういう息を呑む場面に立ち会い、選手なり監督なり他の客と一緒に緊張感を共有することだ。その意味でこういうどっちに転ぶかわからない状況が成立した時点で十分に面白い。たとえ贔屓チームが負けても「惜しかったなぁ。でも次こそ」と思える。
 これも“趣の異なる前向きなジレンマが適度なストレスをともなって、適当な頻度で繰り返しプレイヤーに提示され、その意思決定の結果によって、状況が変わりえる構造を有する事象”のひとつだ。
 もちろん、いつもいつもこんな面白い状況が起きるわけではない。今日そういう場面に立ち会えたのはただの偶然だろう。だが、「本当に偶然だろうか?」と読者にもう一度問う。
 ハマチに手を伸ばそうとした瞬間、ホタテがチラリと見えたのは偶然だし、野球観戦で手に汗握る場面に遭遇したのも偶然だ。
 ただし、そういうことがたびたび起きるのは偶然ではない。そういう楽しい迷いが適度に起きやすい仕組みやルールがあるから、必然的に起きたのだ。
 そういう仕掛けやルールを決めることをゲームデザインと言う。

http://bit.ly/gamedesignnou