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傷だらけのビーナ 試し読み9
桝田 省治

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二章 旅路


[馬車の荷台]


 巨大な大陸の最南端に位置する、虎の牙のように曲がった小さな半島。その半島の中央をチグル山脈が、葉脈のように南北に分断している。
 ビーナの母国であるナンミア国は、チグル山脈の西側にある小国だ。
 ナンミアは“国”と呼ばれているものの、国の隅々までゆっくり歩いてもせいぜい一週間。大陸の東西にある二大国、チャナ国やラーブ国の“県”ひとつにも満たない広さだ。
 だが、その豊かさは大国に勝るとも劣らない。莫大な富を産みだす理由は、その立地にある。
 大陸の東と西、さらには南海に浮かぶあまたの島国、ナンミア国はちょうどその真ん中にあり、とりわけ半島の南にある王都マリーシャは、貿易の中継地点として理想的な位置にあった。
 この天禄【ルビ:てんろく】に加えて、歴代のナンミア国王は外交手腕と商才に長けていた。王たちは、絶妙な匙加減で周辺の諸国に利益を分配し、特定の国が強国になることを巧みに回避した。これにより力の均衡を保ち、大国同士を互いに牽制させることで小国の独立を維持してきたのだ。
 ナンミア国内部は、産業や気候から東部と西部、二種類の地域に大別される。
 内陸である東部地域には、オロロチ河流域を中心に多くの農村と山村が点在している。
 主要産業は、農業、林業、鉱業。ただし、年に米が三回収穫でき、一年中果物が実る恵まれすぎた気候が、かえって近代化を遅らせている。小規模な灌漑工事で田畑にできる土地ですら、まったく手つかずの有り様だ。
 また、チグル山脈の国境付近には、今も狩猟を生活の糧とする少数民族の村もある。ビーナが生まれたチグル村もそのひとつだった。
 西部地域は、海に面している。南には王都マリーシャ、北には国内随一の工業都市ミットナットがあり、この二大都市を結ぶ街道沿いに、港をもつ宿場町が発展している。こちらは、商業と工業、昔ながらの漁業も盛んだ。
 出稼ぎや行商など一時滞在者を含めれば、ナンミア国の人口の七割がこの西部地域に偏在し、そのうちの半分以上が王都マリーシャに集中している。

 訓練兵として仮採用された翌日の昼過ぎ、ビーナは、おんぼろ馬車の荷台で揺られていた。
 現在、王都マリーシャから工業都市ミットナットへ向かう海岸線沿いの街道を北上中だ。
 街道の左手には、どこまでも広がる青い海があった。目の前の浜では、裸の子供たちが銛で魚を突いている。沖合いには強い風が吹いているようだ。白い帆を張った大小の船と白い波頭がいくつも見える。
 あれがミットナットだろうか、湾をぐるりと回ったはるか彼方に、大きな建造物の影とそこから立ちのぼる灰色の煙が薄っすらとたなびいている。
 右手に目を移せば、すぐそこまで森が迫っていた。赤、黄、薄紫、色とりどりの果物がたわわに実っていて、その木々の間をたくさんの小鳥が休みなく舞っている。
 ビーナが海を見たのは、今日が生まれて初めてだった。本来ならもっと感激してもよさそうなものなのだが、ビーナにそんな元気はない。理由はいろいろとある。
 まず、馬車のひどい揺れ。
 この街道が国の主要幹線であった頃には、それなりに整備されていたのだろう。だが、造船や航海技術の発達にともない物流の主役が海路に移ってからは、最低限の補修しか行われていない。道は凸凹だらけ、腰のあたりまで伸びた雑草におおわれて道が途切れている箇所も多い。
 そんな悪路をおんぼろ馬車が無謀な速度でひた走っているのだから、首がどうにかなりそうなほど激しく揺れる。
 続いて、元気がない理由のふたつ目は、身体をあぶられているような強烈な直射日光。
 ビーナは、夜明けにマリーシャを出発してから、かれこれ半日近く炎天下にいる。馬車の狭苦しい荷台は、前半分には幌がかけられていたが、ビーナが座っているのは、幌がない荷台の一番後ろだ。
 喉がカラカラに乾き、もう唾も汗も出ない。頭が熱く目まいがしている。それなら、幌がある荷台の前方にさっさと移ればよさそうなものだが、それはもっと気が重い。
 なぜなら、荷台の前方に、ビーナの気分がすぐれない最大の元凶があったからだ。
 ビーナは、心の中で毒づく。
 ――は~あ、なんで!? なんでよりによって、飲んだくれの変態ハゲオヤジなのよぉ?
 ロウザイは、幌がつくる涼しい日陰を独り占めして座りこみ、瓶に入った水をガブガブ飲んでいた。それでも何が気に入らないのか、こちらを不愉快そうににらみつけて舌打ちを繰りかえしている。
 悪夢のような光景。だが、これが現実だ。
 このハゲオヤジこそが、エルが推薦した“指導は厳しいが女性には優しい先生”であり、今回の任務中は、ビーナの教官であり上官。つまりエルが言った実地訓練とは、エルがロウザイに依頼した仕事の手伝いだった。
 仕事の内容は、あわただしく出陣の準備をするエルから聞けた範囲ではこういうことだ。
 国の最北にあるデボラッチ城という古い城砦に行き、三ヶ月前から調子が悪い“爆血”を新しい物と交換したのち、装置が正しく作動しているかどうかを確認。それで終わり。
 ちなみに、爆血というのは、昨日エルがロウザイに預けた、濃い紅色の液体が入ったガラスの小瓶のこと。説明されてもビーナに原理など理解できるわけもないが、小指の先ほどの瓶の中に精霊をひきつけるエサが濃縮されて入っていて、ようするに物凄い魔力を生みだすそうだ。これを仮に爆破に使えば、百目燈台【ルビ:ひゃくめとうだい】(王都マリーシャで最も高く頑丈といわれている建物)くらいは跡形もなく吹きとばすことができる……と注意を受けたからには、かなり危険な物なのだろう。
 とはいえ、装置のありかさえ知っていれば、交換作業自体は、古い爆血を取りだした穴に新しい瓶をはめこむだけ。“重要な任務”ではあっても、しごく簡単なものらしい。
 ただし、エルは重要な任務と強調していたが、本当に重要なのか、これも今思えばかなり疑わしい……。だいたい、調子が悪くなってから三ヶ月もほったらかされていたのだから、火急の案件であるはずがない。
 ――エルは、いったい何を考えてるんだろ? あ~ぁ、それにしても暑い!! 死ぬう!!
 見れば、ハゲオヤジは、また新しい瓶の栓を抜いて水を飲んでいる。
「プハ~!! 生きかえるねえ。そういやあ、おまえ、暑くねえの? 上くらい脱げばいいのに。遠慮はいらないぜ。なんだったら俺が脱がしてやろうか? それとも脱がしっこするか?」
 そう言うとロウザイは、両手でつかんだ襟元をパタパタと扇いで胸元に風を入れた。途端にむせかえりそうな酸っぱい体臭が荷台の後方に流れてくる。ビーナはそれでなくても息が苦しいのに、必死で息を止める。
「おかまいなく。ゼンゼン暑くないから」
「あ、そ。ふーん」
 ロウザイは、今度はビーナに聞こえるようにわざとゴクゴク喉を鳴らして水を飲む。
「プハ~!! ああ、うめえ。おまえも飲むか?」
 ロウザイが飲みかけの瓶をこれみよがしに振ると、半分ほど残った水がチャポチャポと澄んだ音をたてた。ビーナはその音につられて思わず手を伸ばした。だが、
「これで、おまえとは間接キスだな。たっぷりと俺の唾を入れといてやったぜ。ゲヘヘヘ」
 ロウザイの下品な笑い声に、ビーナは我にかえり、あわてて手を引っこめた。
「なんだよ、失礼な。“隊長”がせっかく“部下”に気ィ遣ってやってんのに、細かいことばかり気にしやがってよぉ。けッ、だから女ってのは面倒くせえってーの」
 ロウザイはそう吐き捨てると、頭の上で瓶を逆さに向け、残った水を気前よくハゲ頭にかける。
「水が欲しくなったらいつでも言えよ、『隊長殿、お願いします』ってな。そうすりゃ、おまえの顔でも胸でも、好きなところにたっぷりぶっかけてやるからよ。ダハハハ」
 ――いつかぶっ殺してやる!!
「ところで、おまえ……、なんでエルのヤツが、キルゴランと戦争が始まろうって、この大変なときに、つまらねえ用事をわざわざ俺に頼んだか、わかるか? おまけに足手まといの訓練兵まで押しつけてよ。あン?」
 ロウザイの物言いには、まったくもって腹が立つ。だが、このハゲオヤジ、見識だけは確かだ。それに今回の任務の奇妙さは、ビーナも気になっていた。だから、悔しいけど……、
「そんなのわかるわけ……わかりませんでごぜーます。隊長殿、お願いします。教えてください…………とっとと」
 ビーナの付け焼刃の敬語にニヤリとゆがんだロウザイの口が動きだす。このハゲオヤジ、ぶすっとしているようで本来はおしゃべりのようだ。
「目的地のデボラッチ城は、国の最北。地図を見りゃあ、北に接するヨサフネ国との国境を守る城砦として造られたことは一目瞭然だ。ただしだ、有体に言って、今のデボラッチ城は、時代の遺物。軍事的には無用の長物だ」
「というのもだな。ナンミアとヨサフネとは半世紀あまり前から、磐石な同盟関係にあるんだ。たとえば、王家同士の婚姻関係は、ほつれにほつれた糸のごとく複雑怪奇。チャンタ王子の母君、現国王のお妃は、前ヨサフネ国王の末娘だし、ヨサフネ国の次期国王の正室と側室は、チャンタ王子の腹違いの妹と従姉で……、これがふたりとも白ムチのいい女でよォ。ま、それはどうでもいいけど。とにかく、そんな調子で切っても切れねえ仲なのさ」
「深ーい関係は、外交の慣習を見てもよーくわかるぜ。ナンミアが諸外国と条約を締結するときは、ヨサフネ国王を立会人として招く。でな、連名でサインをするわけだ。逆の場合ももちろん同じだ。これは『隠しごとが一切ないほど両国の団結は強い。条約を反故にすれば、ふたつの国を同時に敵に回す』と相手に印象づける示威行為、ようは脅し以外のなんでもねえ」
「それに下々の交流も盛んだね。『ヨサ女にゃ、ナンミ男♪ そ~れそれそれ、ギッタンバッコン♪』って歌われるくらい、下と下の交流もお盛んだ。まッ、それはともかく……ミットナットの労働者の四人にひとりは、ヨサフネからの出稼ぎだし、今回のキルゴランとの戦のために臨時で雇われた兵のうち少なくとも二千人はヨサフネ出身だ。もっと近いところじゃ、何を隠そう、俺もエルもヨサフネからの移民だ。ま、こっちは大昔の話だけどな」
 地理と歴史から始まったロウザイの話は、終始、脱線気味で要領をえなかったものの、ビーナが知らないことばかりだったから、さほど退屈ではなかった。だが、この話と今回の任務がどう関係があるのか、肝心のことがさっぱりわからない。気が短いビーナは、だんだん焦れてくる。
「隊長殿……話が見えないんだけど、ようするに?」
「ようするに、ヨサフネから攻められることは万にひとつもない。国の東でキルゴランとの戦争が始まったら、戦場から遠いデボラッチ城は、国中で一番安全な場所ですらあるわけだ」
「……だから?」
「わかんねえか? おまえ、察しが悪いな。バカじゃねえの……。だからよ、今デボラッチ城にわざわざ行く意味なんて、これっぽっちもないってことよ」
「じゃあ、なんでエルは?」
「さてお立会い。ここからが本題だぜ!! いいか、耳の穴かっぽじってよーく聞け!!」
 また長話を始めそうなロウザイの勢いに、ビーナはうんざりした。それじゃなくても暑苦しいのに、このまま聞いていたら耳の穴をかっぽじる前に脳みそが融けて耳から出てきそうだ……。
「賢明なる隊長殿、提案がごぜーます。察しが悪いバカな部下のために、最初に結論をお願いします」
「えッ? あ、ああ。結論から先に言うとだな、えーっと……」
 そこで、ロウザイは話を切り、なぜか水の入った瓶をビーナの足元に転がして寄こした。自分も新しい瓶の栓を抜き、喉をうるおしている。
 どうやらまだ長話をするつもりらしい……。そう覚悟して、ビーナも水を飲み一息つきながら、ロウザイが話の続きをはじめるのを待った。
「結論から言うとだ。とどのつまり、早い話が、厄介払いだ」
「厄介払いって何? じゃなくて、隊長殿、厄介払いってどういう意味でごぜーますか? 察しが悪いバカな部下のために、わかりやすく……、できれば手短に」
「あいつはこれから戦争で忙しくなる。そんなときに、あれこれ意見するヤツが近くにいると……」
「ああ!! 邪魔だ!! 目障りなんだ!! ウダウダ文句ばっか垂れて、そのくせゼンゼン働かなくて、すごーくうっとうしいもんね。それで、戦場から一番遠い場所にね。ああ、なるほどね、納得」
 しきりにひとりでうなずきゲラゲラ笑うビーナに、ロウザイが舌打ちで返す。
「けッ、のん気なもんだぜ。厄介払いされたのが俺だけだと思ってるのか? やる気だけが空回りしてる半人前のヤツに目の前をウロチョロされるのも目障りだろうがよ!!」
「ウソ!? それって、あたしのこと?」
「けッ、他に誰がいるんだよ? あン?」
「あぁ、そっか……。それで、ふたりまとめて厄介払いね……」
「ま、そういうこった」
 言われてみれば、そのとおりだとビーナは思った。口ばかりのハゲオヤジと一緒にされたのは、不本意だ。だけど、今の自分が戦場に出ても、あたふたするだけで足手まといになるのは目に見えている。それこそ、エルが言ったとおり、味方の部隊まで窮地に落としかねない。
 だったら……、
 ――一日でも早く、エルが認めてくれる一人前の戦士になるしかない!!
 とはいっても、今のあたしに何ができるだろう? エルを喜ばせるためには何をすればいいんだろう? 今できること……。
 ビーナは、そこまで考えて決心した。ロウザイの顔色をうかがいながら、おそるおそる口を開く。
「ねえ、隊長殿……、あたしに兵士の心得とかそういうこと教えてよ」
「はあああ!? おまえ、俺の話、聞いてなかったのか? けッ、実地訓練の話なんて、厄介払いの方便に決まってるだろうがよ」
「そうかなあ? エルは、ああ見えて隊長殿に一目置いてるよ。だから、あたしの先生を頼んだんだと思うけど?」
「俺に? あの女が? 一目置いてるってか? いや、まあ……そうか。そうだな。おう、そりゃあそうだろうとも!! けどよ……、おめえ、本気なのか?」
「うん!!」
 身を乗りだしたビーナの全身を、ロウザイが値踏みするようにまんじりと見つめた。そしてペロリと上唇を舐める。
「いいだろう。ただし、条件がある。はっきり言って、女の兵士なんて俺は虫唾が走る。だから、今後はおまえを女として扱わない。それでかまわないなら引き受けてやってもいい」
「望むところだよ」
「そうか。じゃあ、まず兵士の心得その一『上官の命令は絶対』。どんな理不尽な命令でも口答えは一切なしだ。俺がカラスは白だと言えば、白だ。いいな?」
「なによ、それ? カラスは黒に決まって……」
 ビーナの言葉がそこで唐突に途切れた。急に目の前が真っ白になったからだ。頬が焼けるように熱い。鼻からはダラダラと血が流れだしている。
 ロウザイが拳を握って目の前に立っていた。思いきり殴られた……らしい。
「口答えは一切なしだと言ったよなあ? それに女として扱わないとも俺は言った」
「ひどい!! だからっていきなり殴るなんて……」
 また言葉が途切れた。今度は、腹を蹴られてさっき飲んだ水が口からあふれでていた。お腹を抱えて荷台の床にうずくまったビーナを、ニヤニヤ笑いながらロウザイが見下ろしている。
「おいおい、『上官には敬語を使え』って、今言っただろ?」
「そんなこと、聞いてない……」
「もう一度だけ言うぞ。上官の命令は絶対だ。兵士なら口答えするな。戦場じゃ、命令の実行が一瞬遅れただけで死ぬ、おまえも仲間もだ。これは理屈じゃねえんだ、身体で覚えやがれ!!」
 そう言うと、ロウザイは横たわったビーナの頭に足を乗せてグイグイ踏みつける。
「わかったら返事をしろ!! 『了解です、隊長殿』だ」
「了解です……!! 隊長殿……!!」
 ビーナは、涙と鼻血で顔をグシャグシャにしながらそう叫んだ。

(明日は[後書き]を掲載します)
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