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飯淳をもう一度ほめる
桝田 省治

 パタポン、かなり評判がいいらしい。
 独特の面白さがあり敷居も低いせいだろう、プレイしてる人が知人にお薦めしている紹介文もブログなどでよく見かける。
 同じゲームなのに人により紹介のポイントが違う。

 たとえば、よく見かけるのはこんな感じだ。
「音ゲー+SLG」
「とにかくパタポンがかわいい」
「パタパタパタポンが耳から離れなくなる」
「太鼓を叩いているだけなのに楽しい」

 その中にこんな紹介もあった。
「神様になってパタポン族を世界の果てまで導くゲーム」

 こういう風にパタポンというゲームを理解した人が少なくないとしたら、これは飯くんの手柄だ。
 なにしろ前回2007年12月15日(土)に書いたとおり「神様になってパタポン族を世界の果てまで導く」という設定は、現在のグラフィック、システム、音楽などがあらかた決まったあとで付けられたものだ。
 それまでは、プレイヤーは神ではなかったし、パタポンも世界の果てを見たがっていたわけではなかった。
 ようするに太鼓の音の組み合わせで戦術的な指示をパタポンたちに送ることで、設定されたさまざまな障害を乗り越え、パタポンたちを画面左から右へ移動させる、極端に言えばそれだけが決まっていたのだ。
 プレイヤーは太鼓を持ったパタポンの隊長でもよかったし、悪のジゴト族から土地を取り戻すことが目的でもよかった。
 それを神様というプレイヤーの立ち位置を選び、世界の果てを目指すというパタポン自身の自発的な目的を設定することで、このゲームの奇妙なグラフィック、システム、音楽などをプレイヤーに自然に納得させてしまった。

 現在の完成形を見れば、当たり前に思えるかもしれないが、これほどピタリとはまる世界設定を後付けで考えるのは、けっこう難しい。