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ジョン&マリー 支援2
桝田 省治

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●企画の手順

 世界を救うわけでも魔王を倒すわけでもないので、勇者の対極にあるような主人公をまず決めることにした。
 できるだけ敷居を下げるために、このご時世なら周りに一人やふたりはいる「学校は卒業してみたものの就職の当てがない」「コネも財産も特技もない」「彼女もいない」。ただし、共感を得やすいように正直で誠実な男だ。
 彼の目的は、恋人と結婚するために大金を得ること。
 ありきたりの男だから名前も平凡。とりあえず仮名は「ジョン」、恋人は「マリー」。
 ……あとで気の利いた名前を考えよう、と思っていたのだが、結局そのまま(笑)。
 僕は、固有名詞を考えるの、苦手なんだよ。
 次に主人公ジョンくんを取り巻く周囲のキャラクターを考えた。
 実は今回、二ヵ月半後に別の仕事が始まることがほぼ確定していたので、執筆にかけられる時間が限定されていた。
 そこで、時間をかけずにキャラを作成する手法を用いた。

 ジョンを構成する要素(男、若い、コネなし、金なし、特技なし、兄弟が多い、真面目、体育会系、素朴、心身とも健康など)を書き出し、それらに対立する要素を「男←→女」という風に書き出し、適当に組み合わせた。
 ドラマというのは、ようするに価値観の対立を大小とりまぜ波風立てて適当な頻度で押したり引いたりすれば、それなりに盛り上がる。
 逆に言えば、主人公の周囲のキャラや状況に主人公と対立する要素を持たせておけば、自然と衝突と緩和が起きる。

 悩んだのはヒロインのマリーをジョンより富裕にするか貧乏にするかだった。
 目的が大金を稼ぐことであるから、このポイントは重要だ。
 両パターンのヒロインを想定してみたのだが、どっちも悪くない。
 ということで、結局現在の強烈な裏ヒロインがいる構図となった。
 このとき参考にしたのが、「ヤッターマン」をはじめとする「タイムボカン」シリーズの一連の悪役、ドロンジョ様、マージョ様だった。(続く)

 http://bit.ly/JohnMary

ゲームデザイン脳 試し読み
桝田 省治

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 以下は、3月12日技術評論社から刊行の「ゲームデザイン脳 桝田省治の発想とワザ」の二章「つくる 設計/調整」の3節。
 最近続編の話題で盛り上がっているので「俺屍」関連の内容をピックアップしてみた。
 本書は、これくらいの分量の節が30個ほどで構成されている。
 詳しい目次はこちら。http://gihyo.jp/book/2010/978-4-7741-4192-3

●戦闘の意味づけ ――俺の屍を越えてゆけ――

「日常の中の個人的な欲求」(P*)では、「俺の屍を越えてゆけ(以下、俺屍)」は、「僕も曾孫の顔を見て泣いてみたい。その感動を再現してみたい」という個人的な欲求が企画のスタート地点だったという話を書いた。
 次に「着想を企画書に落とす」(P*)では、「子に残す、親から引き継ぐ」という俺屍のゲームデザインの方向性が決まっていく過程を書いた。
 本節では次の段階、僕がどんなことに気をつけて具体的なゲームデザインを行っているかを、俺屍の戦闘部分を例に紹介する。ここでは戦闘を例に書くが、他のパーツでも基本は同じだ。戦闘を取り上げたのは、戦闘がほとんどのRPGに存在するからゲームに詳しくない方もイメージしやすい。他のRPGと比較すれば俺屍の戦闘の個性が見えやすい。この二点が理由だ。
 ちなみにまったくゲームを知らない方のために簡単な説明をしておくと、RPGの戦闘というのは、たとえば映画やコミックの戦闘シーンから諸要素を抽出して再現し、体力、装備、人数などの要素の違いで勝敗の判定ができるようにパターン化したものだ。
 ――世代交代がテーマのゲームにおける戦闘の意味とはなんだろうか?
 答は単純だ。世代交代がテーマのゲームであれば、戦闘という部品もまた世代交代というテーマをプレイヤーに感じさせるものでなくてはならない。
 小見出しをつけて具体的に説明していく。

☆俺屍の戦闘は、子供の成長を見守る場である。
 俺屍はめまぐるしく世代が交代するゲームであるから、常に成長途上あるいは初陣のキャラクターが集団の中にいる。どんなに素質に恵まれた子供であっても最初は体力がない。年長者が守ってやらなければあっという間に敵にやられる。
 そこで俺屍には、自陣に前列と後列というふたつのキャラクターの配置場所を設けた。後列は前列より敵に狙われにくく攻撃されてもダメージが少ない。逆に前列は敵の矢面に立って狙われやすくダメージも大きい場所だ。
 プレイヤーは、まだひ弱な子供を後列に、体力のある年長者を前列に置く。さらに前列のキャラクターは「かばう」ことで後列のキャラへの攻撃を肩代わりできるようにした。
 そして、前列でひ弱な子供を守っていた親たちはいずれ死ぬ。その頃には頼りなかった子供も大人に成長して前列に立っている。自分が親たちにそうされたようにひ弱な子供を守るようになる。
 各キャラクターの前列後列を決めているプレイヤーにしてみれば、「親の後ろで震えていた太郎も、とうとう前列で子供を守る役を任せられるようになったか」と感慨深い。俺屍では、戦闘の中でも世代交代が目に見えるわけだ。

☆俺屍の戦闘は、子供の性格や特徴を見つける場である。
 俺屍の戦闘では、各キャラクターがこの場面で自分がやりたい戦術を当主(プレイヤー)に対し随時提案してくる。提案の中身は、各キャラの性格に依存する。同じ局面でも、とにかく一番強い敵を攻撃したがる者、味方の体力回復を最優先に考える者、派手な魔法で敵を一網打尽にしたがる者、体力もないくせに前に出たがる者、さまざまだ。
 プレイヤーは戦闘の中に子供の性格を知り、小学生のサッカーチームを率いる監督のように、こいつはディフェンス向き、あいつはフォワード向きなど、一族というチーム内での将来的な役割を考えていく。
 また、そういう戦闘中の役割分担を考えると、「女だてらに向こう気の強い姉を影でフォローする健気な弟」とか、ゲーム内では描かれていない家族関係も自然と浮かんでくる。

☆俺屍の戦闘は、一族の絆を確認する場である。
 俺屍の戦闘には「術の併せ」という魔法の攻撃効果を倍化する方法を用意した。同じ攻撃魔法を修得している家族が次々にその魔法を唱えることで、敵に与えるダメージをふたりなら三倍、三人なら五倍、四人なら七倍とどんどん増やすことができ、非常に効果的でお得な攻撃方法になっている。
 演出も「術の併せ」にひとり加わるたびにシレソと重なりきれいな和音になる。術の発動時は全員が片手を天に掲げる同じポーズをとる。
 手順、音、見た目で家族の協力や一体感を表し、効果の大きさでその重要さを伝えている。

☆俺屍の戦闘は、次世代に残し伝える物、技術を見いだす場である。
 敵に勝利すると戦闘終了後に敵が宝物をまれに落とすというシステムは、多くのRPGで採用されている。ただしその宝物の中身は、戦闘を勝利で終了した後に確率で決定される。
 俺屍の戦闘では戦闘開始時に三つのスロットが回転し、その戦闘で勝利すると得られる宝物が決まる。つまり戦闘する前に戦利品が公開される。また、回転するスロットの中身をつぶさに見れば、その敵が所持している可能性がある珍しい宝物が何であるかもわかる。
 このシステムにより、現在の戦闘に勝利し宝物を得たいというプレイヤーのモチベーションが上がる。さらに何度も戦闘を繰り返すモチベーションも上げている。
 こうして得た珍しい宝物が家宝として代々受け継がれていく。
 また、俺屍の戦闘では戦闘終了時に、特定の条件を満たしたキャラクターが「奥義」という必殺技を確率で開発する。この奥義には、「双光“花子”斬」といった風に開発したキャラクターの名前がつく。その奥義は、キャラクターの子供ひとりのみが継承できるという制限をつけた。つまり一子相伝である。
 プレイヤーはせっかく修得した奥義を失いたくないから、「双光“花子”斬」は、親から子、子から孫と受け継がれていく。

☆俺屍の戦闘は、子供が親を超える場である。
「システムでドラマを生成する」(P*)で書いたとおり、俺屍では「親の仇を子供が討つ」という状況が発生しやすいバランス調整がなされている。
 この仇討ちの晴れ舞台は、もちろん戦闘だ。

 さて、本節のポイント。
 ここで紹介した一つひとつの工夫は、実はその半分以上が他のRPGでも採用されているもので俺屍固有のシステムではない。
 ただし、世代交代というテーマを体現するために集めた部品であるから、同じシステムであっても意味づけが他のRPGとは違う。それぞれの部品が同じベクトルをもち、ゆえに相互に作用するという点が重要だ。
「システムでドラマを生成する」(P*)でも書いたがもう一度。ゲームというメディアは、シナリオを用いずともシステムやバランスでもテーマを語れる。

●予約受付中
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ジョン&マリー 支援1
桝田 省治

 日に数回、アマゾンのランキングを見ている。
「ジョン&マリー」の執筆中に、気分的には片手間で書いた、おまけに発売すらしていない「ゲームデザイン脳」のほうが評判がいい。
 正直、参った……。
 このままでは、いろいろお世話になったイラストレーターの水玉さんやハヤカワの担当に申し訳ない。
 それに水玉さんとの仕事は実に楽しいので、続編も書きたいと思っている。
 そのためにはそれなりに売れてもらわないと困る。
 というわけで、少しでも販促につながるように「ジョン&マリー」のことを暇を見つけてチョコチョコと書くことにした。

 小説の後書きにも書いたけど、大き目のRPGのシナリオを書いてると、「世界、救い飽きました」とか「世界を滅ぼすなら、いいからさっさとやれよ、魔王」とか、そういう気分になってくる。
 まあ、仕事なので最大公約数的なシンボルとして割り切って書くんだけどさ。
 そういうとき、ふと魔が差して、もっと個人的で庶民的な下世話な理由でもって旅立つ冒険もあっていいよなあ……とか考えた。
 個人的で庶民的な下世話、かつストレートで誰にでもわかる動機付けといえば、やっぱ「金」だろうと。
 ただし、夢はほしいなと。

 結婚に踏み切れない理由の上位に経済的な問題があるというニュースをたぶん見かけたんだと思う。
 そこで浮かんだのが貧乏で陽気なバカップルが結婚資金を貯金するために冒険に出る……とかそんな感じの暢気な設定だった。
 これが「ジョン&マリー」の原型だ。
 その緩い冒険の状況をあれこれ想像してひとりでクスクス笑っていたのだけど、目の前の仕事に忙殺されてしばらく忘れてた。
 というか、その時点では典型的な現実逃避だったから。
 思い出したのは、たぶん去年の夏頃だ。
 去年の前半に「透明の猫と年上の妹」という児童書、夏に「傷だらけのビーナ」という戦記物を書いた。(どっちもまだ出てないけど)
 その両方が登場人物の半分くらいが死んじゃうような話で、書いた僕自身も気が滅入っていた。
 明るくてHな冗談を書き散らしたい気分だった。
 そこで、思い出したのが、結婚資金を貯めるために若い貧乏なバカップルが冒険に出るという、大作RPGではとても使えないアホらしい設定だった。(続く)
 http://bit.ly/JohnMary

 あ、そういえば、SFマガジンの巻頭にインタビューが載ってます。

【宣伝】ゲームデザイン脳
桝田 省治

 週末にでも俺屍のことを買いたあたりを試し読みできるように当ブログにアップする予定です。お楽しみに。
 それと技術評論社の美人編集者に直リンクをはっておけと命令されたので
http://bit.ly/gamedesignnou 
 桜井君の帯つきジャケットも見られます。

 ところで僕は、桜井君には一度しか会ったことがない。
 その桜井君に帯の推薦文を頼み、挙句にダメ出しする僕は「何様?」と自分でもときどき思う。
 だが、「ちょっと売れてると思って何様?」という批判は僕には当たらない。
 なにしろ何の実績もない子供の頃から、父親に本気で殴られる程度に傲慢で不遜だった。

 ちなみに このジャケットのイラスト発注時のイラストレーターとの会話。
「ああ、アラレちゃんみたいにですね?」
「いいや、ぜんぜん違う。ブロッケン伯爵みたいにだ」

 ついでに「ジョン&マリー ふたりは賞金稼ぎ」はこちら。http://bit.ly/JohnMary

最近読んだ小説
桝田 省治

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●Y 佐藤正午著

 何度も過去に戻ってやり直す「リプレイ」によく似ている。
 よく似ていること自体は、ちゃんと面白かったので特に問題ない。
 この類の話は過去と現在が交差するので混乱しがちだが、情報の配置がけっこう丁寧なのでそれも問題ない。
 時代のディテールの描写に関しては、野沢尚氏の作品を読んだ直後だとさすがに見劣りするが、でもまあ1960年生まれの僕には80年代なら自分の記憶で補える。だから、これも大した問題ではない。
 問題は、あくまで個人的趣味だが、こういう過去に戻ってやりなおす話の「お約束」として、少なくとも誠実な登場人物は全員ハッピーエンドにしろとは言わないが、苦労が報われてほしいな。
 じゃないと、なんか嫌だ。


●退屈姫君 これでおしまい 米村圭伍著

 大好きなんだよ、このシリーズ。その4巻目、最終巻だ。
 これで終わりかと思うと、正直寂しい。

 気づかずにヒロインの口癖までパクってたのはどうにもカッコ悪いが、「ジョン&マリー」を書く際、このシリーズの話の構造やトーンの明るさはかなり意識した。
 剣と魔法とモンスターが出てくる「退屈姫君」ファンタジー版が書けたらいいなあ、くらいの軽い気持ちで書き始めたと言ってもいい。
 なんだけど、この最終巻を読み終えての感想。
「ゼンゼン本家に届いてないや……」
 菊の品種改良、いろは歌の薀蓄などなど、こんな博識な方が大衆娯楽小説を全力で書いてそれが商売になってる日本って、案外いい国かもしれんとため息が出た。
 キャラの暢気さに癒され、語りのうまさに引き込まれ、江戸時代の風物に関する造詣の深さにうなり、風呂敷のたたみ方がきれいなので読後感もいい。
 巻を重ねるごとにネタがマニアックになっていくので、いきなり4巻から読むのはおすすめしないが、多くの方にぜひ1巻から読んでほしい。