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[チグルの虐殺] 
 ――火事だ!! 
 再び村が視界に入ったとき、そう思った。 
 あちこちの家から赤い炎があがり、黒い煙とともに悲鳴がうずまいている。昨夜の祭りのために広場に設えられた、花に包まれた大きな祭壇も炎に包まれ、今にも焼け落ちようとしていた。 
 だけど、ただの火事ではない。松明【ルビ:たいまつ】を持ったたくさんの男たちが、家々に火をつけてまわっている。 
 粗末な鎧を着たその男たち全員がブタそっくりの魔物の面をかぶっていた。 
 ――なにあれ? 野盗!? 
 そういえば、父と行商人がこんな話をしているのを耳にした覚えがある。 
 大きな山を三つほど越えた東に、キルゴランという国がある。そこの王様が精霊を怒らせたせいで、ここ数年凶作が続いている。年貢が減った王様は、給金を払えなくなり、兵隊の数を半分に減らした。職にあぶれた兵たちが、食うに困って旅人や村々をおそっている……とかナントカ。 
 その野盗たちが、山を越えてこっちのほうまで遠征してきたのかもしれない。 
 こわい……。どうしていいかわからない。この場から逃げだしてしまいたい。 
 あたしが親の言いつけを守らず山に入ったせいで、バチが当たったんだとしたら、どうしよう? 
 そんな思いが頭に浮かぶと、急に目まいがして、ビーナは強烈な吐き気におそわれた。 
 だが、次々に家から引きずり出され、広場に転がされる顔見知りの姿を目にしたとき、ビーナは我知らず背中の弓を肩から抜いていた。 
 道に置かれた樽の後ろにそのまま駆けこみ、息をひそめてかがむ。 
 急いで矢を弓につがえようとしたが、手がブルブル震えて、どうしても思うようにいかない。 
 その間にも無数の絶叫が耳に刺さり、いろんな物がこげるイヤなニオイが鼻をつく。 
 ビーナは顔を半分出して、広場の様子をうかがった。 
 思わず小便がもれた。叫びたい。だが、自分の目が見ているものが信じられず、声が出ない。 
 村の男たちの首がポンポン跳んでいた。鶏をさばくように無造作にはねられて、次々に血を噴きあげている。 
 その血でドロドロになった地面の上に、衣服をむしりとられた女たちが這いつくばっていた。 
 ぬかるみに落ちた虫のように手足がバタバタと動いている。その上にブタ男の巨体がのしかかり、獣のような声をあげて腰を激しく振っている。 
 その様をのぞきみている他のブタたちの口が、顔全体がゆがむほど大きく動いている……ということは、あのブタ顔は、仮面ではなく本物だ!! 
 あんなのも精霊なのだろうか? 
 それともあいつらこそが魔物なのだろうか? 
 ブタ男たちは、ムシャムシャ、バリバリと音をたてて肉や骨を噛みしだいていた。食っているのは、村の子供たちだ。 
 子供たちは広場の真ん中に集められ、生きたまま手足をちぎられ次々に食われる友だちを、ブタ男たちの足もとでただ呆然と見上げている。 
 その中に兄の姿を見つけたとき、ビーナの胸で何かが赤くはじけとんだ。 
「ちきしょー!! 放せ!!」 
 ビーナは、樽の陰から往来に飛びだすと、夢中で矢を放っていた。 
 気がつくと、胸から矢がはえたブタ男がもんどりうって倒れるのが見えた。 
 ビーナは、二の矢、三の矢と、どんどん放つ。ブタ男たちの背に、顔に、胸に次々に矢が刺さる。 
 何が起きているのか、ブタ顔の兵士たちがやっと理解したのは、五匹目がブヒブヒと鼻を鳴らしながら地に伏したときだ。 
 ビーナとブタ男たちの距離は、ほんの二十歩ばかり。三十ほどのブタ顔がいっせいに振り向き、ビーナの身体を舐めるように見つめている。巨体のわりに小さな目は、汚れた油のようにヌメヌメと黒光りし、笑っているのだろう、口元が醜くゆがんでいる。 
 ビーナは、無意識に背中の矢筒に手を伸ばした。だが、もう空っぽだ。 
 それに気づいたブタ男たちが、太刀を振りあげてこちらに向かって駆けだす。 
 ビーナは逃げようと、あわてて身体を反転した。 
 その瞬間、顎のあたりに鈍い衝撃が走り、視界が白くなって不意に消えた。 
 ビーナは道に転がっていた。その喉元を大きな手でわしづかみにされ、ビーナの顔が強引に上向きにされる。 
 男がビーナを見下ろしていた。 
 男は人間だった。身につけた鎧装束もブタ男たちより立派だ。だが、その男は、ブタ男たちよりも異様な容姿だった。 
 右目がつぶれてくぼんでいる。耳と鼻はなく、それがあるはずの位置には、直接頭に開いた穴と引きちぎられたような傷あとがあった。 
 右手は肘から先がなく、手のかわりに鋭くとがった金属の太い棒がはえていた。 
 おそらくさっき自分を殴ったのは、その金属の棒だろう。中ほどにわずかに血がついている。 
 男は、喉をつかんだ左手一本で、ビーナの身体を軽々ともちあげ、宙吊りにした。 
 足が地面から離れ、全体重が首にかかる。息ができない。しだいに気が遠くなる。 
「へ~、こいつはスゲー大収穫だ!! おめえ、ずいぶんと精霊どもにモテモテじゃねえかよ。ずっと探してたんだ。地場の精霊への貢物は、おめえで決まりだな。おめでとォ!!」 
 薄れゆく意識の中に男のかん高い声が響くと、再び地面に投げだされた。 
 今度は足首をつかまれ、ビーナはズルズルとどこかに引きずられていった。 
 どれくらい気を失っていたのだろう……。 
 いつの間にか、雨が降っていた。ビーナはぬかるんだ地面に大の字に仰向けで寝ている。 
 冷たい雨が全身を直接たたいていた。どうやら着物をはがされ、丸裸にされたようだ。 
 身体を起こそうともがくが、頭と両手両脚を大勢のブタ男たちに押さえつけられていて、ぜんぜん動けない。 
 ブタ男たちの体臭だろうか、それとも血と泥の混じったニオイかもしれない。激しい雨の中なのに、むせかえるほどの濃いニオイが周囲を包んでいる。 
 突然、片目の男の顔が目の前に現れ、ビーナをのぞきこむ。 
「これから、おめえの身体に精霊の名前をいっぱい書いていく。おめえ、知ってるか? あいつら、食い意地が張ってるんだ。名前をちゃんと書いておかねーと奪いあいになるんだよ。ケンカはよくねーよ。それに食事は礼儀が大切だ。そうとも、何ごとも礼儀は大切だ。わかるか?」 
 男はそう言うや、ビーナの胴体をまたぎ、右腕にはえた金属の棒を静かに下ろした。途端に、焼けるような痛みが胸を裂いていく。ビーナは、たまらず悲鳴をあげた。 
「声はいくら出してもいいけど、いい子だから動くなよ。せっかくの印が曲がると台無しだ。それに、まんいち手もとが狂って傷が深くなって、全部書き終える前におめえが死んだりしたら、俺の苦労が水の泡だろ? おめえは若いからいいけど、俺くらいの歳になると、やった分の苦労が報われなきゃ、けっこうヘコむんだよなあ。わかるか?」 
 わけのわからないことをしゃべりながらも、男は手を止めなかった。 
 ビーナの胸にとがった棒の先端を押しつけてガリガリと引っかくように傷をつけていく。 
 胸の作業を片づけると腹に、腹を終えるとすぐに痛みが太ももに移った。そのあと、身体を裏返しにされて顔を横に向けられ、また押さえつけられた。 
 どれくらい時間が経ったのか見当もつかない。 
 背中……、腰……、尻……、両脚の裏側……、腕と続いた…。おそらく最後は顔だろう……。 
 ビーナは、気を失わないように、ギリギリと歯を食いしばり目を見開いていた。 
 ――この痛み、忘れるもんか!! 顔も覚えておくよ!! もしも生き残ったら、あんたら全員、ぶっ殺してやるんだ!! 片目のヤツは、八つ裂きにして肥だめにぶん投げてやる!! ぶっ殺す!! 
 それだけをビーナがひたすら念じていたとき、片目の男が発したものだろう、「ちッ」と大きな舌打ちが聞こえた。それと同時に頭と手足にかかっていた重みが不意に消えた。ビーナを押さえつけていたブタ男たちがいっせいに手を放したのだ。 
 ブヒブヒとやかましい悲鳴がそこらじゅうに響いていた。ビーナの顔に目を開けていられないほど激しく泥がかかる。 
 横倒しになったブタ男たちが泥の中で必死にもがいていた。 
 肉のかたまりのような大きな身体が、穴に落ちたように半ば地面に埋もれている。 
 ――ざまあみろ!! あんたら、太りすぎなんだよ。 
 一瞬だけそう思ったが、そんなわけはない。よく見れば、地面から何かがいっぱいはえていた。それらがブタ男たちをつかまえ、土の中に引きずりこもうとしているようだ。 
 ――手!? 手だ。 
 それは泥まみれの人間の手に見えた。無数の腕が地面から突きでている。 
 ブタ男たちはその手を振りほどき逃げようとするが、あがけばあがくほど早く、巨体が地面に沈んでいく。 
 見る間にブタ男たちの身体は、土に呑みこまれ、あとには荒れたぬかるみだけが残った。 
 ――あの泥んこの腕も、精霊なの、 、だろうか?  でも、 、どうして? 
 その答が、いつのまにか顔のかたわらにかがみこみ、ビーナを見ていた。 
 目深にかぶった黒いフードが顔の上半分を隠していた。ぐっしょりとぬれた白と黒の二色の髪が、げっそりとこけた頬に張りついている。ボロ布のようなマントに身を包んだ、女だ。 
 女はどこか具合が悪いようだ。顔が蒼白で、しきりに咳こむ口元が血で汚れている。死神に魅入られたような風貌だ。もしかしたらこの女こそ死神そのものかもしれない。そう思えた。 
 だが、その口から出た声は、意外なほど生気に満ちている。 
「おい!! この子はまだ息があるようだぞ。土の精霊【ルビ:ドーモン】まで召喚して、ランバにまた逃げられ、おまけにひとりも助けられなかったでは、あの方に給料泥棒と言われかねん。なんとかしろ!!」 
 間をおくことなく、女の求めに応えたのは若い男の声だ。 
「うわぁぁ……、こりゃ、ひでえ……。あの片目野郎、この子を魔物のエサにでもするつもりだったんスかね? それとも依代のセンかなんかっスかね?」 
「御託はいい。結論を早く言え。助からんならこれ以上苦しめる必要はない」 
「いや、いや、いや、死なせやしませんって。少しは部下を信用してくださいよ。……ったく、気が短いんだから。それよかエル隊長のほうは、大丈夫なんスか?」 
「ふン、全治十日といったところだ」 
「ああ!! じゃあ、こないだよりは、だいぶマシっスね!!」 
 場にそぐわない妙に軽い男の物言いに、女が苦笑した気がした。 
「よくがんばったな。必ず生き残れ。死ぬんじゃないわよ」 
 女の指が、涙をぬぐうようにビーナの頬をなぞっていた。 
 お礼が言いたかった。だが、ビーナには声を出す力も、まぶたを開けつづける力さえ残っていない。 
 ――エル隊長?  エル、だね。 この人、 、エルって、 いうん、 、 だね。 
 ブタ男をやっつけたのも、きっとこの女の人だ。 
 女なのに凄いな。女だってできるんだ。 
 ――エル。  エル。   この、 名前は、 、忘れ 、 、い。 
   いつ 、 、エルみ 、 、に強く 、 、なっ、 、 、 、 ぶっ殺す!! 
 意識が途切れる寸前、九歳のビーナはそう心に誓った。 
(明日は、一章1[出陣式])
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