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傷だらけのビーナ 試し読み6
桝田 省治

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[もうひとつの再会]


「ふぅ、まあ、これで三日もあれば片づくだろう。さてと、ヤトマ……、次はなんだっけ?」
 卓上の地図から顔をあげたエルが正面のヤトマに助けを求めていた。
 ――あ~ぁ、やっぱりこの人、忘れてるよ。
 エル隊長は、いつもこの調子だ。誰よりも頭がキレる。その作戦は、常に過不足なく緻密にして大胆、神がかっているとさえ言える。
 だが、直面する問題にあまりに集中するためか、それ以外のことはしょっちゅう忘れてしまう。
 そして、それをとくに恥じるでもなく、必ずヤトマに訊ねるのだ。
 エルのそんなチグハグさが、年上のこわい上司であるにもかかわらず、ヤトマはかわいらしくてしょうがなかった。それに自分に訊くということは、たぶん信頼されている証だ。勝手な思い込みかもしれないが、ヤトマにはそれが嬉しかった。
 ヤトマは、おとぼけ上司の顔を優しくにらんでから、ゆっくりとビーナのほうを振り向く。それにつられてエルもビーナに顔を向けた。
 ビーナがあわてて立ちあがる。その拍子に膝の上に置かれていた魔物の面が床に落ちた。
「あ……、そうか、そうだった。待たせたな、ビーナ…………だっけ?」
 エルは、そう言いながら、ビーナの前まで大またで歩いていくと、
「で……、この娘【ルビ:こ】は、なんだっけ?」と、後ろから追いかけたヤトマにまた訊ねた。
 ヤトマは腰を折り、床に落ちた異形の面に手を伸ばす。
「よりによって正月に、それもひどい雨の中で、例のチグルっスよ。ほら、傷だらけの子供……」
 そう説明している途中、たぶん“チグル”の名を出したあたりだ、エルのすらりと伸びた足がいきなりビーナに駆けよるのが見えた。直後に「ひッ」というビーナの声が続く。
 ヤトマは、拾った面をビーナに渡そうと顔をあげた。だが、面を返すのは少しあとになりそうだ。おそらくさっきビーナの口から出た短い悲鳴は、いきなりエルに抱きしめられたせいだ。
 よほど感激したのだろう、ビーナがエルの胸で声をあげて泣いていた。エルは、子供を寝かしつける母親のようにビーナの白黒の頭をいとおしげに撫ぜている。
 ――よしよし、ここまでは順調。でも、ここからのほうが大変なんスがねえ。
 ヤトマは、エルとビーナ、変わり者の女ふたりを見つめながら、ほくそえんでいた。
 ビーナは、エルに促がされ、円卓のそばの椅子に腰かけた。エルはビーナが座った椅子の左右に二脚の椅子を引き寄せると、右側にビーナの弓と矢筒をていねいに置き、自身は左側に座る。
「あれから何があった? つらかったか? なんでもいいから、私に話してごらん。あ、それともう泣くな。あ、えっと、それから、お腹は減ってない? 何か食べるか?」
 エルが発したどの問いかけに応えたものか、ビーナがコクリとうなずいた。それを見るや、エルが矢つぎばやに叫ぶ。
「何をボンヤリしている。下に行って何かビーナが好きそうな物をかっぱらって来い。グズグズするな!! さっさと行けッ!! とっとと行けッ!! 行けッ!! 行けッ!! 走れッ!!」
 いきなり脛を蹴られた大男が、あわてて部屋を飛びだしていった。
 ――あらま。あいつ、あれでも十人からの部下を率いる、泣く子も黙る突撃隊の班長なのに。あ~ぁ、かわいそ。
 それにしてもメチャクチャな注文だ。“ビーナが好きそうな物”と言われてもわかるわけがない。
 ヤトマは、こんなにはしゃいでいるエルの姿を初めて見た。他の部下たちも同様らしい。十倍の敵を目の前にしても平然としている歴戦の猛者たちが目を白黒させている。

 どうやらビーナは、本当にお腹が減っていたようだ。泣くことも忘れ、山と積まれたさまざまな食べ物を勧められるままにどんどん平らげている。その豪快な食べっぷりを、エルは頬杖をつきながら目を細めて楽しげに見つめていた。
 ヤトマには、エルの気持ちが手にとるようにわかった。
 軍人だから、敵をたくさん殺せば手柄になる。金にもなるし出世もする。だが、それよりも誇らしいのは、自分の力でひとりでも命を救えたときだ。それが子供なら、なおのこと。ましてその救った命がしっかりと育っているのを見るのは、子供が産めないエルにはこの上ない喜びだろう。
 ビーナは、食べ物をほおばった口で、八年間の暮らしをエルに話していた。ここにビーナを案内する道すがらヤトマが聞きだしたのとほぼ同じ内容だ。とりとめのない話ぶりだが、エルはときおり質問をまじえながら熱心に耳を傾けている。
 驚いたことに、自分には見せるのをためらっていた身体の傷を、ビーナはズボンの裾までめくって、大笑いしながらエルには見せている。
 ――あらま、かなわねえな。やっぱ、女は女同士ってことっスかね。
 ヤトマは、ふたりの会話を聞きながしながら、ビーナに返しそびれた魔物の面をまじまじと観察していた。
 八年前、ヤトマはエルに命じられてビーナの傷に応急手当をほどこした。裏技も含めて、あの場でできることはすべてやった。傷そのものは、いずれ治ると確信していた。
 だが同時に、この子は長くは生きられない。そうも思っていた。
 なにしろビーナの身体は、いわば差し押さえられた借金のカタ。傷は、借金の証文。それが全身をおおっていた。そして、借金の相手は、強欲な魔物。さらには一匹や二匹ではない。
 いずれどんな手段を使っても取り立てにくるに決まっている。
 かわいそうだが、この子はそれまでの命だ。そうあきらめていた。
 なのに、ビーナは八年も生きていた。
 そればかりか、あの意地汚い食べっぷりからして、間違いなくここにいる誰よりも健康だ。
 ロウザイの大将じゃないが、お尻だって今どきの若い娘の中では十分にでかい。たぶん、元気な子供をいくらでも産める申し分のない身体だ。
 ありえないことだ……。運がよすぎる……。ビーナは、何か強い力に守られている。
 ――だとしたら、この迫力満点の面かなぁ。とくに変わったところはなさそうだけど、他に考えられないっスもんね。
 だが、たとえそうだったとしても問題は解決していない。今まで大丈夫だったからと言って、これからも安全な保証などどこにもない。
 見たところ、ビーナは頭に血がのぼりやすい性質【ルビ:たち】だ。そもそも、ビーナに限らず、あれくらいの年齢で自分の感情を制御できるヤツなんていやしない。
 怒り狂ったとき、絶望したとき、その心の隙を狙って無数の魔物がビーナに群がるだろう。もしも王都でそんなことが起きたら、どれだけの人が巻きこまれるかしれない……。ビーナの傷あとを見たとき、ヤトマはその凄惨な様が脳裏に浮かび、冷や汗が出た。
 ビーナの身体に傷をつけた片目野郎には貢物以上の意図はなかっただろうが、今のビーナは、勝手に動きまわる生きた“爆血【ルビ:バッケツ】”。いや、万爆血【ルビ:マンバッケツ】かもしれない。
 だったらいっそのこと、目の届くところに置いたほうがいい。たとえ、どちらに転ぶにせよだ。
 それが迷った末に出したヤトマの結論だった。
 ――さ~て、エル隊長はどう出るか? まッ、何ごともなるようにしかならないっスがね。
 もしもダメなら……。
 そのときはビーナをここに連れてきた自分が始末をつけるべきだろう。だけど、せっかく助けたんだし、今日まで健気に生きてきたんだし……、できることなら、

 ――殺したくはないっスね。

 そう思いながらも、ヤトマの手は、背中に隠している鎌の位置を確かめていた。同時に普段どおりの笑みを絶やさず、ビーナの止まらないおしゃべりに聞き耳を立てている。
 ビーナも、ロウザイとの珍騒動に関しては、少し後ろめたかったのか、話題にしなかった。だが、その代わりに怒りの矛先を向けたのは、志願兵の登録所で受けた扱いだ。
「それでね、エル。聞いてよ、ひどいの!! 話もろくに聞かずに受付のおっさんたら『女には無理!!』って決めつけるんだよ。あたし、頭にきた!!」
「まあ、そうだろうね。兵役経験がない女が、紹介状の一通も持たず、フラリと出向いて採用されるわけがない」
「えッ、あれ? そうなの? そうなんだ……。知らなかった……」
 本当に採用されると思っていたのだろう、ビーナはガックリと肩を落としてうつむいた。これには、さすがのエルも苦笑いするばかりだ。
「で、ビーナ、これからどうするつもり?」
「あたしを雇って。エル隊長の下で働かせてほしい」
 ビーナは即答すると、面【ルビ:おもて】を上げた。その頬は決意に満ち紅潮している。それとは逆に、真っすぐに向けられたビーナのまなざしに、エルの顔色がみるみる曇っていく。
「あ、ああ……、そうだな」
 エルの声は暗かった。だが急に、人が変わったように明るく甲高い声でまくしたてる。
「ああ!! そうだ、ちょうど下の詰め所で女給を募集していたよ。おまえならすぐに看板娘だ!! 慣れてきたら厨房の手伝いもやればいい。料理人になれば一生食うに困らん。食い意地が張ったヤツほど、いい料理人になるというしな!! そうだ、そうしろ、それがいい。私が親代わりだ。身元引受人になってやろう」
「違う!! そうじゃない!! ごまかさないで!!」
 ビーナのはじけるような勢いに、エルが気おされてうなだれる。
「ビーナ……、やめろ。それ以上、頼むから言わないでくれ」
「聞いて!! あたし、エル隊長みたいに強くなって、それでいつか、あの片目の男をやっつけて、父ちゃんや母ちゃんや兄ちゃんの仇を討ちたい!!」
「私……? 私のようにか……? おまえ、私が何と戦っているか、その目で見たろう」
 エルの様子を見て、ヤトマは鼻先を何度もかいた。だが、ビーナはぜんぜん気づかない。
「ぶっ殺す!! 魔物をぶっ殺す!!」
 そう叫ぶや、ビーナは椅子を蹴って立ちあがった。
「ふざけるな……。魔物を相手に戦うことの意味がおまえにはわかってない」
「できるよ、あたしだってやれる!!」
「いや、わかってないわよ……」
 エルの口調は、あくまで穏やかだった。おまけに口元に薄っすらと微笑みまで浮かべている。こういうときのエルは本当にヤバイ。きっと、とんでもないことをやらかすつもりだ。
 ヤトマは、鼻をかくのも忘れて、エルの一挙一動を見守った。
 エルは顔をあげ、四人の部下を見まわしたあとで、その中のふたりを指さす。
「おい、おまえたちふたりで、アレをここに連れて来てくれ」
「アレって? まさかあいつのことですか?」
 エルの命令に、元から強面【ルビ:こわもて】の男ふたりが、さらに顔を強ばらせていた。
「ふたりでは足りぬか?」
「い、いえ、大丈夫、ですが……」
「では、グズグズするな。さっさと行けッ!! とっとと行けッ!! 行けッ!! 行けッ!! 走れッ!!」
 エルに怒鳴られ、男ふたりがあわてて部屋の外に飛びだしていった。しばらくすると、大きなうめき声と男たちの怒声が廊下に響きわたった。さっき廊下で聞こえた声だ。どんどん近づいてくる。
「ビーナ、おまえはさっき、魔物を殺せると言ったね?」
「やるよ!! やってやるよ。あんたの仲間にしてくれるなら、なんだってやる!!」
「そうか……」
 エルが独り言のようにそうつぶやいたとき、奇声と怒声が部屋の前までやってきた。まるで扉の外で猛獣が暴れているような騒ぎだ。
 先ほどの男のひとりが少し扉を開けて顔を出す。
「隊長、本当にいいんですか?」
「かまわん。私が責任をもつ」
 扉が開け放たれた。大男ふたりが前後を抱えて部屋に運び入れたのは、巨大な頭陀袋【ルビ:ずだぶくろ】だ。その袋は、身をよじるようにモゴモゴと蠢いている。獣のようなうめき声はその中から聞こえた。
「出せ」
 エルに命じられ、袋の口を縛っていた縄が解かれ、ひっくりかえされる。
 袋の中から大きなかたまりが、ドサリと床に投げだされた。
 それは貧相な小男だった。部屋の真ん中で、のたうちまわり大声でうめいている。
 荒縄で芋虫のように何重にも縛られ、さらに縄の上に何枚もお札が貼られている。
 口に猿ぐつわをかまされているにもかかわらず、凄まじい声だ。
 それをたくましいふたりの大男が、必死の形相で押さえこんでいた。
 その様を悠然と見つめたまま、エルがビーナに声をかける。
「あれは、キルゴランの密偵だ。雇った人足に混じっていた。おそらく子供のうちに魔物に乗っとられたのだろうね。外側は人間だが、中身はもう完全に別のものだ」
 エルは椅子からおもむろに立ちあがると、腰にさげていたナイフをビーナの手をとって握らせた。
 そして、ビーナの耳もとに頬を寄せてささやく。
「これが魔物と戦うということだ。あいつの首を落とせ。おまえにやれるか?」
 ナイフを握ったビーナの手が震えていた。暴れる小男を、真っ青な顔で見つめて放心している。まるでエルの声など聞こえてないかのようだ。
「兄ちゃん!? 兄ちゃんだ!!」
 ビーナが突然そう叫んだ。
 ――兄ちゃん?
 あ~ぁ、ウソだろ。よりによって実の兄貴とは、つくづく運のない娘っスね。いくらなんでも、こりゃ、きついわ。残念ながら採用試験は落第かぁ。ちょっと期待してたんスけどねえ。
 ヤトマは、手に持っていた面をビーナの弓と一緒に椅子に置いた。空いた手を背中に回すと、半てんの裾をめくり鎌の柄を握りしめる。


(明日は一章5[魔物])
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傷だらけのビーナ 試し読み5
桝田 省治

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[再会]


 梯子【ルビ:はしご】と見まがうばかりの急傾斜なのに、その階段には手すりの類が一切なかった。もしも落ちたらケガではすみそうもない……。
 ヒヤヒヤしながら、高さにして三階分ほど階段をのぼった先には、下にあったのと同じような両開きの扉があった。少し違っていたのは、左右の扉に縦長の紙が一枚ずつ貼られていたことだ。
 その紙には文字らしき記号がびっしりと書かれていた。大半はなじみのない記号だが、見覚えのあるものもいくつか混じっている。
 ×、◎、◇、V、И、△……それはビーナの全身に今なお残る傷あと、精霊の名前を表す印だ。
「これは? 魔物が入ってこれないようにするお札か何か?」
「それもあるけど、どっちかといえば逆っスかね」
「どういう意味?」
 ビーナの質問に、ヤトマはあいまいに笑いかえすと扉を開けた。
 その瞬間、モワっと押しよせてきたのは透明の魔物……ではなく、思わずあとじさるほど濃厚な男くさい空気だった。
 窓が少ないのかもしれない、昼間だというのに中は薄暗い。
 左右と正面に長い廊下が続いている。廊下の左右には、入口にすだれをかけただけの小さな部屋が、見えるだけでも二十近く並んでいる。
 太い梁が何本も通り、天井が斜めに傾いているところから考えて、この空間は倉庫の天井裏だろう。
「ンおおおお……!! ンああああ……!! ンむむむむ……」
 突然、右手のほうから獣がうめくような奇声が響き、ビーナの身体がビクリとした。後ろからは、ハゲオヤジのいかにも不快そうな舌打ちが続く。だが、ヤトマは、まるであの声が聞こえていないかのようにスタスタと歩いていく。その表情はあいかわらずだが、あの奇声については質問されたくない雰囲気がありありと見えた。
 ビーナは、ヤトマのあとについて歩きながら、すだれが上がっている部屋の中をチラチラとのぞいた。木製の簡素な二段組の寝台と横長の机と椅子が二脚、縦長の引き戸がついた物入れも見えた。どうやら全室とも家具の種類と数は同じだ。
 たまに脱ぎっぱなしの下着が寝台の上に放置されたままの部屋もあったが、だいたいは整理整頓されている。
 すだれが下りている部屋のいくつかからは、寝息が聞こえていた。
 ここで数十人の男たちが常に寝起きしている様子だ。
 正面の廊下を少し進み、左に曲がった突きあたりの部屋の前で、ヤトマが立ち止まった。
 この部屋だけは、入口にすだれではなくしっかりした扉がついている。この扉にも、先ほど見たのと同じお札が貼られている。しかも、こちらは扉の取っ手が埋まるほど隙間なくおおっている。
 その執拗さを目にしたとき、ヤトマがさっき言った“逆”の意味がわかった気がして、背中がひやりとした。
 これは入るのを防ぐのではなく、出るのを止めるお札なのだ。つまり、この扉の向こう側には、とんでもなく危険なものが封じられている。
 ――いったい何があるの?
 ビーナの不安をよそに、ヤトマは躊躇なくその扉を拳の先で二、三度軽快にたたき、中からの返事を待たずに扉を開いた。
 その瞬間、ビーナは目がくらんだ。
 正面の大きな窓いっぱいに見えたのは、オロロチ河だ。船の帆柱がすぐ近くに見え、午後の強い日差しを反射した水面がキラキラと輝いている。
 その清らかな光と窓から入るそよ風のおかげだろうか、この部屋には男くささを感じない。
「ヤトマ、戻りました。ロウザイ隊長をお連れしました。それと懐かしいお客さんも」
 ヤトマに手招かれ、ビーナはおそるおそる部屋に入った。
 思った以上に広く横に長い部屋だ。ここには壁だけでなく天井まで先ほどのお札が雑に貼られている。壁際には真っ黒で人の背丈ほどもある大きな祭壇がズラリと並んでいた。まるで立てかけられた棺おけだ。その一つひとつに果物と花がていねいに供えられている。
「懐かしい…………客…………?」
 やや口ごもった声がしたほうを見れば、部屋の隅でがっしりした体格の大男が四人、頭を突きあわせるようにして、円卓を囲んでいた。すぐそばに椅子があるにもかかわらず誰も座っていない。
 全員が今すぐ出陣できるような出で立ちだ。帷子【ルビ:かたびら】の上に使いこまれ黒光りする革の鎧を身につけ、かたわらの床にはさまざまな武器が無造作に置かれている。
 その輪の中にひとりだけ女がいた。歳は三十半ばだろう。細身だが、背丈はまわりの男とそう変わらない。女としてはかなりの長身の部類だ。
 女も胴体の前面と腰の部分にいちおう革の鎧をつけていた。だが、肩も首も手足も背中も青白い素肌が露出している。ようするに下着のような薄っぺらな鎧以外、女は何も着ていない。武器はといえば、腰にさげた大振りのナイフ一本だけだ。
 短く切った頭髪は、前の部分だけ色が抜けていた。その白い前髪のかたまりが左眼を隠すように垂れている。女は、思索に集中するようにうつむいていた。
「エル?」
 ビーナは、無意識に声に出して名前を呼んでいた。
 その声に顔をあげた女は、なぜか左手に大きな丼、右手に朱色の箸を持っていた。その箸でビーナを指している。
「エルは…………私だが…………あなたは…………?」
 そう訊ねたエルの口元から赤い物がはみだしていた。しゃべるたびに跳ねるように動いているのは、ゆでたエビの尻尾だ。
 どうやら昼食の真っ最中だったらしい、よく見れば男たちも丼と箸を持っていた。
 食べていたのは、魚介類のぶつ切りをのせた茶漬けご飯。卓上には、大皿に盛られた根菜の煮物も見える。そういえば、下の寄り合い所で同じものを食べている人を見た気がする。
「ビーナです。お久しぶりです。お食事中、すみま……」
「ごめん、覚えてない。…………誰だっけ?」
 挨拶の途中でエルに言葉をさえぎられ、ビーナはとまどっていた。
 チグル村の名前を言おうかどうか迷っていたとき、目の端にヤトマが見えた。こちらを見ながら、何度も鼻の頭を指先でかいている。
 鼻の頭をかいているということは、
 ――うそッ!? なんで!? エルが怒ってるってこと? あたし、何かまずいことした?
 ビーナには、エルが怒っている理由がわからなかった。せっかく会えたのに泣きたい気分だ。
 エルは、とくに怒っているふうでもなく、ビーナにチラリと目をやる。
「ビーナ。悪いが、少し待っていてくれ。食事も打ち合わせもじきに終わる。そのあとに話を聞こう。あぁ、ロウザイ殿も申し訳ないが……」
 そう言うと、エルは箸の先で壁際の長椅子を指した。そこに座って待てという意味らしい。
 ロウザイは、例によって品のない舌打ちをしたものの、指定された長椅子に向かった。腰の青龍刀を外して脇に置くと、長椅子の真ん中に脚を大きく広げてどっかりと腰をおろす。
 ビーナは、腰にさげた面を外し弓を手に持って、ハゲオヤジからできるだけ離れた長椅子の端に身を縮めて座った。
 ハゲオヤジは座った途端、落ち着きのない貧乏揺すりをはじめていた。おまけに妙なものを懐から取りだし火をつけて煙を吸っている。刻んだ葉を細い筒状に紙で巻いたものだ。
「ねえ、それ、なに?」
「けッ、タバコも知らねえのか。半年前からミットナットで生産されはじめてな、今じゃ一番人気の輸出品だ。なかなか手に入らないんだぜ」
 自慢げに言うと、ハゲオヤジは、ビーナの顔に向かって容赦なくくさい煙を吐きかけた。
 頼りのヤトマはと見れば、いつの間にか円卓の輪に加わり、こちらを振り向いてもくれない。
 ――最悪だよ。
 ビーナは、膝に置いた面の縁を両手で握りしめながら、エルのほうを見つめてため息をついた。
 円卓の中央には牛の革が広げられ、その上に貝殻や魚の骨がいくつも並べられている。その食べかすを、エルとヤトマが議論しながら、箸でつまんで場所を移したり向きを変えたりしている。
 ――あの人たち、何をやってるんだろ?
 目を凝らすと、牛革にはなにやら細かな絵と文字が描かれているようだ。それにふたりの会話の端々に聞き覚えのある地名が出てくる。たぶんチグル山脈にある山や谷の名前だ
 ――地図? 卓上に広げられているのは、きっと地図だ。じゃあ、あの食べかすは何だろう?
 それが気になってしょうがない。ビーナは、たまらず隣のハゲオヤジに小声で訊ねる。
「ねえ、地図の上の貝殻や魚の骨。あれ、何やってるの?」
 ハゲオヤジは、さも面倒くさそうに背筋を伸ばして、卓上を一瞥【ルビ:いちべつ】する。
「貝殻がキルゴラン軍で、魚の骨は我らがチャンタ王子率いるナンミア軍の布陣ってとこか。ちーと魚の骨のほうが旗色が悪いな。さてさて、こっからが見ものだ」
 ビーナは、その答にギョッとした。ハゲオヤジからまともな答が聞けるとは、まったく期待していなかった。それに、このハゲオヤジ、チラッと見ただけなのに……。
 ビーナは軍隊の布陣など知らない。だけど、コバじいさんとふたりで獲物を追いこむときの配置なら頭に描ける。
 確かにハゲオヤジの言うとおり、貝殻と魚の骨が敵味方に分れて対峙しているように見えるし、貝殻が魚の骨を囲んでいるようにも見える。
 ――このハゲオヤジ、ただのスケベで口の悪い酔っ払いじゃないかも?
 隣を見ると、ハゲオヤジは素知らぬ顔で、まだ卓上をながめている。
 そのとき、「では、ここだな」とエルの凛とした声が響いた。
 エルは、口にくわえていたエビの尻尾を人さし指と中指ではさむと、それをずらりと並んだ貝殻の一番端に置いた。つまりキルゴラン軍の側面を突く位置だ。
 円卓を囲んだ男たちはエビの尻尾を凝視し、息を呑むばかりで誰も声を発しない。
 だが、ひとりだけエルが置いたエビの尻尾の場所に異を唱える者がいた。
 出し抜けに立ちあがったのは、ビーナの隣に座っていたハゲオヤジだ。
「おい、そのエビ小隊。兵糧に火をかけるだけなら、もうちょい下げとけ」
「なるほど。珍しく私とロウザイ殿の読みが一致しましたね。これは吉兆かもしれません。おかげで策に自信がもてました。では、もう少しだけ……」
 エルは、ロウザイの顔を見ながら小さく微笑むと、エビの尻尾に手を伸ばす。
「いまだに私の身を本気で案じてくださるのは、ロウザイ殿おひとり。心から感謝しています」
 だが、その言葉とは裏腹に、エルはエビの尻尾をさらに前に押しだし、貝殻の左翼を崩す。ロウザイの提案とは完全に逆だ。
「けッ!! クソ尼が。勝手に死にやがれ!!」
 ロウザイは胸の前で腕を組むと、またどっかりと腰をおろした。椅子の背に身体を預け、憮然とした表情のまま目を閉じている。
 ビーナには、ふたりのやりとりの意味がさっぱりわからない。小声でまたハゲオヤジに訊ねる。
「ねえ……、あのエビの尻尾は何よ? 敵? 味方?」
「死にたがりなんだよ、あいつは……」
 ロウザイは目を閉じたまま、円卓のほうに向けて顎を上げた。そこには、何ごともなかったかのようにテキパキと男たちに指示を与えるエルの姿があった。

(明日は一章4[もうひとつの再会])
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