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傷だらけのビーナ 試し読み3
桝田 省治

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一章 王都マリーシャ


[出陣式]


 はちまきと裾が広がった半ズボンは、サフランで染めた鮮やかな黄色。陣羽織は深い海を思わせる藍色だ。目が覚めるような二色の対比が、午後の強い日差しの下でギラギラと輝いて見える。
 そろいの戦装束を身にまとった勇壮な男たちが、王宮から一直線に伸びた大通りを一糸乱れぬ足どりで行進していく。いつ果てるとも知れぬ大行列だ。
 若きチャンタ王子を先頭に千騎の騎馬武者、その後ろには歩兵一万二千、弓兵六千、弩兵千が途切れることなく続いている。
 沿道では、王都マリーシャの市民が総出で、王家の象徴である双頭の井守【ルビ:ゲッコー】を描いた黄色い旗を打ち振っている。その様は、激しい雨にたたかれる水面【ルビ:みなも】のようだ。
 八年前に起きた“チグルの虐殺”以降、キルゴラン国との間に小競り合いが絶えなかった。
 だが、今回ばかりは小競り合いではすみそうもない。これまでとは桁違いのキルゴラン軍が東の国境付近に集結している――そんな情報が王宮にもたらされたのは先月のことだ。
 敵の侵攻を阻むべく、ナンミア国王は未曾有の大軍をチグル山脈に派遣することを即断した。その数、二万人。これはナンミア国にとって戦力の八割に相当する数だ。
 マリーシャ市民の大半は、王の並々ならぬ決意をたたえ、戦地におもむく兵士たちを喝采で迎えていた。
 とはいえ、市民全員が諸手をあげて支持したわけではない。どこにもヘソ曲がりはいるものだ。

「数を頼んでナリを整えただけの兵隊さんで、魔物に勝てりゃあよぉ、けッ、苦労はしねーっての」
 大通りに面した居酒屋の前に並んだ縁台の片隅で、うらぶれた中年男がボソボソと独りごちていた。かなり飲んでいるらしく、ろれつが怪しい。
 背は高いほうではない。岩のようにがっしりした身体に余分な肉が少々ついている。どっかりと腰をおろした姿は、どことなく牛ガエルを連想させる。その牛ガエルに似た胴体に直接載っているのは、見事にアルコール焼けした赤く巨大なハゲ頭。そのハゲ頭と額の境目あたりに幾筋も古い刀傷がある。目、鼻、口、耳、顔の部品が暑苦しいほど、いちいちでかい。
 でかいといえば、左の腰にさげた青龍刀。男の見栄か、これも実戦で使うには無駄にでかい。あとは、右膝の貧乏ゆすり。このあたりがこの酔っ払いの特徴だ。
 男の名前をロウザイという。
 実は、うだつの上がらないこのハゲオヤジもいちおう王国の兵だ。それも数年前までは傭兵隊長を任じられていたのだから、傭兵あがりの移民としては最高級の出世といえる。だが、現在は一線を退いている。ロウザイは戦場で受けた右膝の古傷を言い訳にしていたが、それが真の理由でないことは本人が一番承知していた。
 だから……、昼間から飲まずにはいられないのだ。
 ロウザイの酒癖が悪い口は、あいかわらず兵士の長い列に向かってグチグチと皮肉を並べたてている。だが、赤くよどんだ目は、途中から別のものを凝視していた。
 ハゲオヤジという生き物が、知らず知らずのうちに目を留めてしまうものといえば決まっている。
 若い娘の大きな桃のようなまん丸い尻だ。
 小柄なその娘は、市民の後ろから懸命に背伸びをしながら、兵たちが出陣していく様を飽くことなく眺めていた。かれこれ小一時間、ずっと爪先立っているのだから大した脚力だ。
 年の頃は、十六、七。つぎはぎが目立つ長袖の上着と、男がはくような丈の長いズボンは、見るからに野暮ったい。飾り気のない弓と矢筒を肩にかけていて、手には大きな荷物を持っている。
 察するに、奉公に出てきたばかりの農夫か猟師の娘か。いずれにせよ、うまく言いくるめられて、その筋の店に売り飛ばされるのは時間の問題だろう。泊まりで六万ギル。それが世間、それが相場というものだ。
 ロウザイの目をひいたものが他にふたつ。
 ひとつは、大トカゲ【ルビ:イグアナ】の尻尾のように背中に垂れた娘の髪。白髪が混じっていた。それも半端な量ではない。三つ編にした髪の三本の束のうち一束すべてが白い。
 白髪で頭が二色に見える女を見るのは、初めてではなかった。まだら髪になる理由も、知りたいとは思わないがよく知っている。幼いときに親からひどい虐待を受けたか、年頃になってから野盗の集団にでも暴行されたか、さもなけりゃ、本物の魔物を見ちまったかだ。
 ただし、あんな妙な頭になったら、普通は染めて隠すもんだ。それを平気で人目にさらしている無神経さが気に入らない。
 そんな恥知らずな女は、ふたりしか見たことがない。ひとりは目の前の桃尻娘。もうひとりは、考えただけでハラワタが煮えたつ、この世で一番冷血なクソ尼【ルビ:あま】だ。
 気になったもののふたつ目は、娘の腰紐にぶら下げられていた。おそらく田舎の祭りかなにかに使われる木彫りの面だろう。魔よけのお守りかもしれないが……それにしても薄気味が悪い。
 広い額に刻まれた深い皺、ざんばらの長い髪から突きだしたとがった耳、唇は血をすすったように赤く、大きく開いた口の中には獣のような鋭い牙が並んでいる。とくに気味が悪いのは、丸く穿たれたふたつの目。まるでこっちの心の中を見透かしているようだ。
「あれじゃあ、まるで本物の魔物じゃねーか。けッ、縁起でもねえ……」
 ロウザイは、杯の底にわずかに残っていた焼酎をあおると、また毒づいた。
 だが、すぐあとに不気味な面からいかにも健康そうな尻に目を戻し、小声で付け足す。
「まッ、でも、やっぱ、いいもんだぜ。若い娘のまん丸な尻にまさる酒の肴なしだ」
 ロウザイがニンマリと目尻を下げた瞬間、突然その尻の持ち主が振り向いた。
 どんな顔だと見れば……、おや? なんとも複雑なつらがまえだ。
 太い眉と黒目がちな丸い目は素直そうだが、角張った頬と顎はかなり頑固そうだし、低い鼻は子供っぽい印象なのに、めくれ気味の厚い唇は一途で情の深い女特有のものだ。
 そういや、情が深すぎて男を刺して身投げした遊女の顔があんなだったな。ああいう顔も、都じゃ近ごろは、とんと見かけなくなったね……。
 ふ~~ん、まッ、悪くねえんじゃねーか。じゃあ、あの唇に一万上乗せして七万ギルだな。
 にしても、あの娘、なんでこっちをにらんでやがんだ?
 と考えている間に、娘がロウザイの前に肩を怒らせながらツカツカとやってくる。
「ねえ、オッサン!! 気色わるいんだよねえ。見世物じゃないんだから、じろじろ他人【ルビ:ひと】のお尻、見るんじゃないよ!! それじゃなくても、今日のあたしは虫の居所が悪いんだから!!」
 いきなり言い放った娘の声に、耳目がいっせいにふたりに集まる。ロウザイはあせった。だが、いくら思い出しても、この娘が振り向いたのは今が初めてのはずだ。ここはシラを切るに限る。
「さあね、なんのことだ? ガキの尻なんて頼まれたって見たくもないね」
「今『若い娘のまん丸な尻にまさる酒の肴なし』って、その酒くさい口でほざいてたでしょうが!! ばっくれてんじゃないよ、この変態ハゲオヤジ!!」
 ――言った。確かに言った。だけど、この歓声の中で聞こえるわけがない。どういうことだ?
 ロウザイは、さらにあせった。
 だが、待て。しょせんは田舎娘だ。ちょっと脅せば黙るだろう。いや、そこでたたみかければ、もうこっちのもの。酒の勢いも手伝って、ロウザイは泣きじゃくる娘をなだめすかしながら、連れこみ宿の暖簾【ルビ:のれん】をくぐる自分の姿までが頭に浮かぶ始末……。
「はてな? どうだっけな? じゃあ、仮に俺がおまえの立派な尻を盗み見てたとしたら、どうする? 番所につきだすか、それとも見物料でも取ろうって魂胆か!? あン!! どーすんだよ!!」
 そう怒鳴ったとき、娘の肩にかかっていた弓がクルリと前に回るのが見えた。そして、

「ぶっ殺す!!」

 娘が応えた瞬間には、弓につがえられた鋭い矢尻の先がロウザイの鼻先に突きつけられていた。
 騒ぎを聞きつけた野次馬がふたりを遠巻きに囲みはじめる。見る間に増えていくその数を横目で確かめながら、ロウザイはため息をついた。
 これじゃあ、宿に連れこむどころの話じゃないぞ。
 だが、こんな大勢が見ている前で弱みをさらせば、男の沽券【ルビ:こけん】にかかわる。といって小娘ひとりを相手に刀を抜くのも格好が悪い。
 なーに、もう一度凄めば必ず泣きが入るに決まってる。それが女だ。
「けッ、よせよ、姉ちゃん。危ねえじゃねえか。非力な女がそんな物騒なものを構えてよぉ、間違って指が弦から放れちまったら、あン!! どーーすんだよ!!」
「そういえば、そろそろ腕がしびれてきたよ。あと三つ数える間くらいしか、あたしの“非力な”指はもちそうにないねえ。信心してる精霊がいるなら、今のうちに呼んでおけば?」
 不敵な笑みを浮かべながら、若い娘はさらに弓の弦を引きしぼった。同時に何かがきしむようなキリキリという音が聞こえていた。その音の発生源が娘の弓なのか、自分の胃なのか、ロウザイにはもうわからない。
「お、お、おまえ、何をそんなにいらついてんだ? ああ、そうだ。おまえ、腹が減ってるだろ? 何か食えよ。もちろん俺のおごりだ。女のイライラなんぞ、口に焼き芋でも突っこめばたいていは収まるもんだ。それで足りなきゃ、下の口にも俺の芋を突っこん……」
「ひとーつ!!」
「じょ、じょ、冗談だよ。おまえは知らないだろうけど、この手の冗談が都じゃ挨拶がわりなんだな。ハハハ、わかったぜ、男に金を貸したらトンズラされたと、まあ、よくある話だ。そういうことなら手持ちが少々あるし、なんだったら知り合いの店に紹介してやってもいい。おまえなら、一晩で七万、いや八万ギルは稼げるぞ。おっと、その前に俺が優しく慰めてや……」
「ふたーつ!!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待った。話せばわかる。話せばわかるって。まずは、そうそう、おまえがいらついている理由を教えてくれ。だいたい、なんで自分が死んだのか、理由もわからないじゃ、あの世に行っても申し開きができねえってもんだ。なッ、後生だから。それくらいはいいだろ?」
 娘は、弓を構えたまま、しばらく考えていたが、ふてくされたように口を開く。
「王様が兵を募集してるって聞いたから、わざわざ出向いてやったのに、女だからってだけで門前払いを食わされて……、とりあえず、ゲスオヤジのハゲ頭に風穴のひとつも開けて、スカッとしたい気分なんだよ。納得した?」
「おいおいおい、そんな理由で俺は死ぬのかよ!? ああ、もう、くそったれ。どいつもこいつも。だから、女ってヤツはよぉ……」
「三つ!!」
 娘がそう告げたのと同時に、若い男の声が割って入った。ロウザイの元部下だったヤトマという男だ。ひょろりと背が高く、南海人の血が混じっているのか肌が黒い。店の屋号が入ったこげ茶色の半てんと相まって、なんとなく掘りだしたばかりのゴボウに見える。
 どうやらこのゴボウ男、娘とのやりとりをずっと見物していたようだ。ニヤニヤと白い歯を見せながら、小走りに近づいてくる。
「大将、捜しましたよ!! ところで……、何やってんスか?」
 ヤトマは、ロウザイにそう声をかけながらも、顔は愛想よく娘のほうに向けている。
「あぁ、それと、お嬢さん。射てもいいけど、矢がもったいないだけっスよ。なにせこの大将、いろんな意味で石頭だから」
 いつもそうだが、この男の物言いは育ての親に似たのか、どんな修羅場でも緊張感がない。だが、その軽さが今回だけはいいほうに作用したらしい。娘は弓を下ろし、呆けたような面持ちでヤトマの顔を見つめている。
 まさか一目惚れ……なわけはないか。
 ロウザイは、内心ホッとしながら素早く体裁をつくろう。
「なーに、大したことじゃねえんだよ。ちょっとした誤解ってヤツだ。それより、なんの用だ?」
「ああ、そうっス。エル隊長が折り入って大将に頼みたいことがあるとかで」
「けッ……、誰が、あんなクソ尼の頼みなんか」
 ロウザイの悪態に重なるように、娘が急にすっとんきょうな声をあげた。
 見れば、明かりが灯った提灯【ルビ:ちょうちん】のように頬が紅潮し、大きく開いた瞳は、今にも涙がこぼれそうなほどうるんでいる。
「ねえ、今、エルって……!! エル隊長って言った!?」
 娘は、ヤトマに向かって訊ねていた。だが、唐突に娘の口から出た“エル”の名前に、思わずロウザイが口をはさむ。
「あン? 言ったがどうしたよ? まさかおまえ、あの疫病神の知り合いか?」
「あたしの知ってるエル隊長だとしたら、子供のとき、助けてもらった!!」
 娘の返事に、今度はヤトマが「あああッ!! あんときの!!」と声をあげ、娘は娘で「“ス”の人!! “ス”の人!!」とピョンピョン跳ねまわる。
 自分だけが蚊帳【ルビ:かや】の外にいるようで、ロウザイはなんだか面白くない。
「なんだよ、おまえも知り合いか? で、このいかれた女は、いったい何者だ?」
 ヤトマに訊ねたつもりが、応えたのはいかれた女本人だ。

「あたし? あたしはビーナだよ!! エルに、エルに会いたい!!」


(明日は一章2[港の秘密基地])
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ご予約はこちらから http://p.tl/Urbv

「まおゆう魔王勇者」①ジャケット
桝田 省治

アップロードファイル 280-1.jpg

 誰が言いはじめたかは定かではないですが鬼才らしい桝田さんの総監修の戯曲小説「まおゆう魔王勇者」①(橙乃ままれ著)のジャケットが公開になりました。http://p.tl/B3WN
 ①というからには続きがあって全5巻、これに加えて同人誌やコスプレ支援用の設定資料集を1巻出す予定です。
 全5巻のジャケットは、実は横長の1枚のイラストで、横に並べるとつながる壮大な絵巻物のような構成になっています。
 書店の皆さま、ぜひ5巻並べて平積みをお願いいたします。
 発売は、今月の27か28か29くらい、えーーっと、とにかく末です。

 ちなみに「傷だらけのビーナ」の発売日は今月17日。こちらもよろしく。