どうやら複雑な家庭だったらしい祖母が「桝田」、つまり自身のルーツを一切語らぬまま、亡くなったのが今から四半世紀前、僕が25歳のころだ。
僕が知っていたことは、戸籍上の僕の祖父らしき人の苗字が桝田ではなかったことくらいだ。
祖母の他界から5~6年後、正確な月日は記憶にないが、兵庫県南西部を川を決壊させるほどの巨大な台風が襲う。僕は、土嚢を運ぶ自衛隊の映像をテレビのニュースで観ていた。確か「瀬戸内海沿岸部にこれほどの雨を降らせた台風は、数十年ぶり」と言っていた気がする。
おそらく台風の翌年だ。僕の父のところに、聞いたこともない寺から電話が入る。
内容は「先の台風で土砂崩れがあり墓地の一部が敷地ごと流された。その土砂に埋まった墓地のひとつが、古い台帳を調べた結果、あなたの先祖の墓のようだ。どうしますか?」
「どうしますか?」と言われても、そんな話は父にとっても寝耳に水だったようだ。僕に「どうしよう?」と相談してきた。
当時の僕はといえば、長男の誕生とともに1年の育児休暇に入った妻と、勝手に育児休暇を取っていた。ようするに暇だった。
それに世代交代ゲーム俺屍の企画を温めはじめたのもこの頃だから、興味のある話だった。
で、「とりあえず行ってみよう」と父に提案。
ちなみにこの時点で僕が知っている「桝田」さんは、妹が嫁に行ったので、この世に両親、僕、妻、長男の5人のみだ。
寺の住所は、白鷺城で有名な姫路の北西(?)に位置する竜野。もちろん誰も行ったことがない。
実家のある芦屋から向かったのだが、当時はカーナビなどという便利なものはなく、さらに該当の住所の辺りはド田舎。細い道は曲がりくねり、歩いている人もいない。
それでもなんとか寺に到着。
電話で説明を受けたとおり、崩れた裏山から掘り出されたらしい古い墓石がいくつかあった。その中でも磨耗が激しい墓石のひとつに、言われればそう読めなくもない程度の痕跡で「桝田」とあった。
結局、父も僕もこの土地に何の縁も感慨もなく、墓参りに行くにしてもあまりに不便ということで、その場で廃棄、別の場所に新しい墓を購入することに決定し、早々に寺を去ることになった。で、帰り。また道に迷った……。
しょうがないので、道を聞こうと車を降りた。と言っても歩いている人はいない。しばらくブラブラと歩くことになった。
なにげなく道沿いに建つ家を見ると、表札が「桝田」。
その隣も「桝田」。
その隣も「桝田」その隣もその隣も「桝田」「桝田」「桝田」
あのときは、声を失ったよ。父も唖然としていた。
状況から考えて、竜野のあの区域が、うちの「桝田」のルーツだろう。
もちろん知り合いはいないし、その後、訪ねたこともない。故郷でもなければ、心の拠り所でもない。
だが、あってよかったと今も思う。